五話 薄毛は風が頭皮に触れて心地いい
荷物をまとめてくる、とニーシャが言い、それを待ってしばらく経った。
俺がそうだったのだが、荷物をまとめるといっても職場に大荷物を抱え込んできているわけでは普通ないし、いらないと感じたものは捨ててもこれる。
そのあたりを考えても、もう来ていてもおかしくないくらいには待ったのだが、まだ来ない。
まあ女性の支度は男よりかかるか。いろいろ必要なものも、男よりよっぽど多いから大変だもんな。そう思うことにした。そうこうしているうちに、もうそろそろ終業時刻となる頃だった。
あまりにも遅い。さすがに探しに行くべきだろう。
逆に行動にするまで遅かったかと後悔しながらギルドの廊下を進むと、ニーシャが前から歩いてくるのが見えた。
その手と背には、家ごと売り払ってきたその後の荷物をまとめたかのような大荷物があった。
「すいませーん、遅くなりました」
「遅くなったっというか…、なんだその大荷物」
「まあまあ、そのあたりは後で説明するんで、とりあえずさっさとこんなとこ離れましょう」
「わ、わかった」
ニーシャに背中をグイグイと押されて、俺は出入り口から外へ出た。
ふと、何の気無しにギルドを見上げる。もう、クビになってしまったから、ここにくることもないのか。
感傷に浸りかけたが、そんな暇をニーシャは許してくれず、俺は街の大通りに向かって歩を進めた。
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俺とニーシャは大通りまで歩いたあと、近くの酒場にどっかりと座り込み、しばし酒を飲むことに決めた。
クビになったんだ、飲まないでやってられるかってんだ。
しかし、それ以上に今はニーシャの大荷物が気になるところだ。
「なあ、その荷物どうしたんだ?」
「あっ、これっすか?これは、ギルド中からいろんなもの持ってきちゃいました」
「なっ、お前それ盗み…」
「シーッ!なにこんなとこで物騒な単語出してんすか。盗みじゃなくて、餞別ってもんっすよ。どうせギルドのやつらはどこになにがあるかなんて覚えてないような連中ですし、いくらかなくなってもバレないっすよ」
「餞別って、自分からもらってくんだっけ…。でも、その大荷物の量からして、流石にバレるんじゃないか?」
「そりゃまあ、全部は残しとかないっす。あとでほぼほぼ売り払ってきますよ」
「…ニーシャ、俺はお前が怖いよ」
「そっすか?」
ニーシャは自分のしていることになんの疑問も持っていない様子だ。
どこに、辞めた職場の備品をかっぱらって売り払っていくやつがいるんだよ。初めて見たよ、そんなやつ。
「さーて、酒が来るまでの間に、いろいろ試してみたいことがあるんすけど、協力してもらってもいいすか?」
「協力?」
「ええ」
そういうと、ニーシャは間も無く俺の髪の毛を一本引き抜いた。
「ニーシャ!何してんだお前!」
「いや、協力してもらうのはこれなんすけど」
「せめて俺が返事してから抜け!いや、抜くのはダメだが!あと、せめて説明してから抜け!いや、抜くのはダメだが!」
「じゃあ、これで一つ借りを返して貰うってことで」
「ぐっ」
貸し借りの話をされると、こちらとしてはもうなにも言えない。優秀なやつは、こういうところが上手くて嫌いだ。
「昼間に、髪の毛染め直そうとしたじゃないすか」
「あぁ、そういえばそうなこともしたな。結局上手くいかなかったけど、あれ何でだ?」
「それを、あたしもずっと考えてたんすけど、それでちょっと今試してみたいことがあったんす」
ニーシャはそう言うと、自分の髪の毛を一本抜いた。
「これは、あたしの髪の毛。今から魔法を使って、これを燃やします」
ニーシャは髪の毛をテーブルに置くと、掌かざす。
「…『地の底に眠る、岩漿から漏れ出た炎よ、我に力を貸したまえ。岩漿火炎』」
ニーシャが最後の一言を口にしたところで、掌の先から小さな炎が飛び出した。
その炎は、ニーシャの髪の毛を中心から燃やし、そしてそのままテーブルまで焦がした。
「ヤバい!」
慌ててニーシャは魔法をやめると、テーブルをローブの裾で擦り、焦げたところを誤魔化そうと四苦八苦し始めた。
「と、とりあえずは、こんなふうに髪の毛は普通、魔法なんかで燃やすことができるのは当たり前なんす」
「…すげぇな。やっぱニーシャって、魔法使いなんだな」
「かなり魔力絞ったんですけど、テーブル焦がしちゃいましたね」
「まあ、話は分かった。髪の毛は燃える。そりゃ当然なことだな」
「そしたら、こっち。ラルフさんの髪の毛燃やして見ますね」
ニーシャは先ほどと同じ様に髪の毛、今度は俺のだが、それをテーブルに置くと、また同じやうに掌を毛へかざした。
「『地の底に眠る、岩漿から漏れ出た炎よ、我に力を貸したまえ。岩漿火炎』」
やはり、言い切ったあとで掌から炎が飛び出す。
するとどうだろう、先ほどと同じ様にテーブルは焦げたが、今度は髪の毛は燃えずに、そのまま残っているではないか。
焦げ跡どころか、どこかに火がついたような形跡もない。
「おいおい、燃えてないぞ」
「なるほど、やっぱりか。思った通りっすね」
「思った通り?」
「ええ、やっぱりこれ、ラルフさんの髪の毛は、龍の髭になってます。昔、師匠から読まされた本の中に、龍の鱗は古今東西の魔法を弾く性質を持ち、最高の強度を誇るって書いてあったの、思い出したんです」
「魔法を、弾く?」
「ええ。だから、髪色を戻そうと魔力を込めても、弾かれて毛の色が戻らなかったんすよ」
「ほわー、なるほど」
「なにアホみたいな声出してるんすか。原因もわかりましたけど、それよりやっぱり龍の髭だったんだってのも改めて分かって、興奮しますね!」
「いや、興奮はしないけどさ。で、どうしたら戻せるんだ?」
「戻すぅ?!」
ニーシャが驚いたようにテーブルを叩いて立ち上がる。
周りの目が何か起きたのかと注がれたのを感じ、少し恥ずかしそうにニーシャは座り直したが、それでも驚きは崩していなかった。
「なんで戻すんすか?!それ、絵本にも出てくる様な超お宝なんすよ?もはや、あたしからしたら頭に宝石箱が縫い付けてあるようにしかみえないくらいすよ」
「もしかして、値段も高いものなのかこれ」
「魔法学園で飾られてるくらいなモンすよ?たぶん、一本であたしたちの年収くらいはあるんじゃないすか?人の髪の毛って、たしか何万本もあるって聞いたことがありますし、全部じゃなくても多少売っていけば、生活に困るどころか遊んで暮らせるじゃないすか?」
「…一本で、年収分!」
「ただ、売るならそれ相応の場所じゃないと売れないっすけどね。ほら、価値を聞いたら戻すなんてバカらしいでしょ?」
たしかに、それを聞くと今すぐ抜いて売り払った方がいいと思ってしまう。というか、そのほうが常識的に考えたら、いいのだろう。
でも、でもなぁ。
「い、いやいやいや。俺はな、ハゲるのが嫌なんだ。それはお前も知ってるだろ?」
「全部抜いてから、発毛剤でもぶっかければいいんじゃないすか?」
「…でも、発毛だろ?毛根が死にきってたら効果はないんじゃないか?俺の毛根が全部生きてるって保証があるならいいけど、逆に全部死んでいたり、頭の横しか毛根が生きてないとかだったらどうする?抜いたら、発毛する力もなく、ハゲるかもしれないんだぞ?今ある毛を抜くってのは、そういうリスクも孕んでるんだ」
「どんだけハゲたくないんすか…。金持ちになるのと、ハゲになるの。どう考えたって金持ちになる方がいいのに」
「これは俺の信念なんだ。金を持っていたとしても、毎朝ハゲた頭を眺めて身支度をするような生活だけは送りたくない」
「ホントに理解に苦しみますね」
そう、ハゲたくないってのは、俺の信念だ。
こんな何も持ってない俺だからこそ、残った髪だけは失いたくない。男の意地ってやつだ。
「お待たせしましたー、エールが二丁でーす」
「おっ、きたきた」
「まあ、とりあえず、飲みますか。じゃあ、二人のクビに!」
「そんな悲しいことでグラスを合わせたくなかったけどな…、二人のクビに」
その日は、俺はクビになった悲しみに、そしてニーシャはエロギルドマスターへの怒りに、それぞれ互いに思いを吐き出しながら酒を飲み交わした。
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朝、ベッドから起きる。
さて、今日も今日とても日課の抜け毛チェックだ。
おっ?抜け毛がないぞ?
普段なら平均して15本くらいは抜けてるものだが、今日にかぎっては1本も抜けてない。
鏡の前に立って、顔を洗う。
鏡に映る俺の髪はやはり白いままで、昨日の一連の流れが夢でないことを、改めて理解させられた。
さて、仕事へ行く準備を…、いや、そうだった。クビになったんだ。
普段なら朝飯の用意をするところだが、そんな気力も起きず、ただどっかりと力無くイスに座り込んで呆ける。
どうしたもんか…、とりあえず、仕事を貰えないか町中練り歩いて探してみるか?
「おーい!ラルフさーん!」
窓の外から、声が聞こえた。
顔を出してみると、こちらに大きく手を振っているニーシャがいた。
昨日、いい時間まで酒を飲んだあと、荷物を売り払うからって別れたんだっけ。俺も男だし、若い女の子と酒を飲んでちょっと期待したところあったのだが、何事もなかった。
ま、まあ、あんな時間まで酒を飲めるってことはだ。つ、次は何かあるかもしれないもんな?
昨日は、疲れてたしな。うん、疲れてたからしょうがないな。
「おはよう、ニーシャ」
「おっすおっす。昨日の話、考えましたか?」
「え?昨日の話?」
なんだ、何の話だ?なにも覚えてないぞ。
「いや、髪の毛治したーい、薄毛治したーいって泣くもんだから、なら、あたしの通ってた学園まで行って、あたしの師匠に見てもらおうかって、提案したじゃないすか。そしたら、考えとくって言うから」
「え、そんな話してた?てか、そんな情けない感じで話してたの、俺」
「いや、内容はいつもと同じだったんで、別に情けなさは変わりないっすよ」
「心と頭皮にくる言い方するなぁ。…って、それで聞きにきたの?」
「そっす!昨日言ったじゃないすか。あたしも仕事辞めたし、次の働き先探しに学園に戻ろっかなって。で、いつまでもボヤボヤしてたら雪が降って動けなくなるから、早速明日、つまり今日街を出てくって。だから返事も明日の朝に聞きに行きますよーって。そこまで話したのに、もしかして全部忘れてました?」
マジかよ…。なんにも覚えてないよ。
俺は飲むと、最初と最後は覚えてるけど、中間は記憶無くすタイプだから、たぶんその間に話したんだろうな。
「で、どうするんすか?」
ニーシャの行動力が高すぎる、いや、強すぎる。
クビになった翌日に、街を出てくなんて活力に溢れまくってるな。おじさんは数日心を休めるつもりまであったぞ。
…でも、そうだよな。心を休めるのも大切だけど、思い切って行動するのも大事だ。
どうせ、この街で俺を雇ってくれるところなんてない。自分で言ってて悲しいが、その自信がある。
であれば、魔法学園とやらに行けば、清掃だか建物の管理だか、また仕事があるかもしれないしな。
「よし」
俺は小さく覚悟を決めると、窓の外のニーシャに向かって大きな声で宣言する。
「…行くよ!俺も行く!」
「分かりました!じゃあ、諸々準備して、家引き払ってくるんで、昼過ぎにまた会いにきます!」
ニーシャはそれだけ言って、通りへ消えていった。
よし、俺もそうと決まれば準備しなければ。
俺は家で一番大きな鞄を引っ張り出して、荷物を詰め始めた。
応対したまま開けっぱなしの窓から入り込んだ風が、朝の新鮮な空気を俺に届けた。
年甲斐もなく、新たな街や、そこに行き着くまでの旅に興奮している自分がいる。
絶対に髪の毛を、元に戻してやる。
誰に言うでもなく、心の中で力強く決意を固め、俺は準備を続けた。
おもしろい!と思っていただけら、星マークのところで評価をお願いします。していただけると、作者が嬉しくて泣きます。
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