壮年かまってちゃん
先週から小説を書き始め、人生で三作目となります。初めて三人称一元視点に挑戦しました。お手柔らかに、感想、アドバイスなどいただけると嬉しいです。
八月十四日、「人気作家、津山修司の自殺未遂」というセンセーショナルな事件を、いずれの報道機関も一面トップ記事として掲載した。津山氏は、先日、一般人女性との不倫問題が取り沙汰されたばかりであり、今回の事件とも関連があるのでは、と見られている。
「あぁ、しんど。頭いった。生きててよかったぁ」
静岡県熱海市、海岸からほど近い病院で、津山修司は自身の「自殺未遂」の見出しが躍る朝刊を流し読みしていた。お盆休み期間中ということもあってか、同じ病室の患者の元へは、次々と見舞客が訪れている様子である。修司は、畜生、早く良枝に会いてぇ、と思った。
妻、良枝とは、今年で結婚して二十年目を迎える。見合い結婚ではあったが、かつての修司と良枝は端から見ても仲睦まじい夫婦であった。だが、修司は典型的な夜型人間と言ってもよく、執筆活動を行うのは主に真夜中であり、昼間の殆どは寝ているばかりであった。そういったこともあってか、年々、夜の営みばかりでなく、二人で会話を交わすことすら減り続け、最近に至っては良枝も「うん」とか「そう」とかしか言わなくなってしまった。
修司は、それがたまらなく悲しかった。真夜中の執筆活動が捗るのは、もはや彼にとって揺るぎない事実であったものだから、妻を食わせていかねばならぬ以上、それはやむを得ない。だが同時に、彼は妻を心から愛していた。なんとしても良枝の気を惹きたかった。頗るかまってちゃんな彼は、そうか、自殺未遂とかどうかしらん、などと思いついた。さすれば動機というものがどうやら必要なものであるらしく、手っ取り早く、自身のアドレス帳で目についた、おそらく好意を寄せてくれているであろう熱心な彼のファン、小幡幸子に「俺と不倫しようや」などどたわけたメッセージを送った。
トントン拍子に小幡幸子と連れ込み旅館から出てきたところを、彼はわざと激写され、あろうことか、嬉しさのあまりピースサインまでしてしまい、なんちゃら砲を受けた。その数日後、その道のエキスパートである友人から、「死なない程度の錠剤数」の手ほどきを受けると、熱海への宿泊の手配などを速やかに済ませた。熱海で自殺(未遂)、なんか文豪感あるなぁ、などと思っていた。
不倫報道後、予定どおり、良枝との関係が更に悪化したのは想定の範囲内ではあるが、いやいやいやこれはあくまで自殺への布石ですよ、と修司は割り切った。さらに彼は、妻に見放され、世間にも騒がれ、憔悴しきった夫、といったポオズをキメることも忘れなかった。時には虚ろな目で日がな一日仕事もせず、外の風景を眺めていた。
暇ではあった。かなり。
熱海警察署から連絡を受けた津山良枝は、なぜ熱海なん? と訝しんだが、夫の自殺未遂の連絡を受けると、目の前が真っ暗になった。
良枝は不倫報道以降、猿股のまま日がな一日、虚ろな目で窓からの景色を眺めている修司を見て、あちゃー、気でも狂ってんかなぁと思っていた。そんな日々が続いたある朝、夫は「ちょいと気分転換に、遠くの地で館詰めになって執筆してくるよう」などと言い残し、やけにすっきりした顔で外出した。野郎、また不倫か、とその時は思っていたが、そうではなかった。警察の話によると、今朝方、修司が宿泊先の机に突っ伏したまま、昏睡状態に陥っているところを、旅館の仲居が発見したそうだ。傍らには睡眠薬の瓶が転がっていたとのことである。
夫が自殺未遂、まるで悲劇のヒロインじゃん、という想いが一瞬だけ彼女の頭をかすめたあたり、さすがはメンヘラ夫婦といったところであるが、すぐさまいかん、いかんそういうのは、と思い直した彼女は熱海へと駆けつけた。たかが浮気、されど浮気ではあるものの、なにもそれが明るみになったことを苦にして自殺までするほどのことではあるまい。会話はめっきり減ってしまったが、彼女は夫を愛していた。そのアイシテルのサインを上手く出さねば、と病室の前でドリカムを聴きながら入念にイメージトレーニングを済ませると、ことさらに勢いよく病室のドアを開けた。
「あなた!」
「良枝!」
彼女は脱兎の如くベッドに駆け寄ると、人目も憚らず獣の様に接吻した、というイメージトレーニングをしていたが、実際には人目を気にしながらの月並みな接吻に甘んじた。久しぶりだった。雀の啄みの様であった。
かの自殺未遂報道から一ヶ月、津山修司の愛人兼熱烈なファンである小幡幸子は思い悩んでいた。
自分が一時の過ちで不倫をしてしまったばっかりに、彼は自殺を図ったのだ、と。なぜならば心の弱いあの人だから、と。
幸いにも、修司が一命をとりとめた事に安堵した彼女は、良枝の目を盗んで修司と再会した際にこう告げた。
「生きていて本当に良かったわ。わたし、修司さんのいない人生なんて考えられない。今度あなたが死のうとするのであれば、わたしは喜んでお供するわ」
その言葉を聞いた修司は、何やら居心地悪そうに、もぞもぞと尻の穴でも痒いような動きをし、しかめっ面のまま答えた。
「いや、そのね。僕は死にたくなんかないのです。僕は良枝を愛している。良枝の気を惹きたかっただけなのです。あれは狂言自殺だったのですよ」
「わざと、ってことかしら? いや、でもあれは、わたしと一緒になれない悲しさや、奥さんへの申し訳無さ、世間からの重圧、それからわたしと一緒になれないことを苦にしての自殺ですよね?」
「なーんか言ってやがる。あのね、君は勘違いをしている。僕は! 自殺未遂で良枝の気を惹きたかった、その布石として不倫をする必要があったのですよ。強いて言うならば、誰でも良かった。僕の事を好きでいてくれる子なら、スムーズにいくと思っただけなのです! 分かったらゲラウェイ!」
修司が唐突な英語とオーバーアクションを駆使しながら、時折、幸子を人差し指で指しながらまくし立てると、彼女の中で、何かが崩壊する音がした。
もっともそれは、修司には聞こえない。
完璧な一日。
たしかルー・リードの曲にそんなのあったなぁ、と津山修司はしみじみ思っていた。
自宅からほど近い、瀟洒な高級洋食店。彼とその妻、良枝は、仲睦まじく、フルコースのディナーを嗜んでいた。かの一件以降、夫婦は再びかつての、いや、それ以上の輝き、関係性を取り戻し、互いの愛情を再認識したようである。それほどまでに、死というものが周囲に与える影響、インパクトは大きいものである。
「よしちゃん、心配かけてすまなかったね。僕はよしちゃんを愛してる。これからは、いや、これからも自分のためではなく、よしちゃんの為に生きていく。よしちゃんが死ぬなら、僕ちゃんも死ぬ、そんな気持ちで毎日いるんだよ。アイラビュー、アイニジュー」
「シューヤン、そんなこと言って、わたしよりも先に死んだら承知しないんですからね。アイラビュートゥー、アイニジュートゥー」
一度は失われたものが、再び何かのきっかけで蘇ると、大いに盛り上がる。燃え上がる。いまや夫婦のやりとりは、端から見ていてもしんどいくらいに、恥ずかしいものとなっていた。そんな二人の時間を邪魔するかのように、修司の元に一本の電話が鳴った。
「もしもし、え、いま大事な夫婦の時間なんですけどね。うーん、今日じゃなきゃ駄目かい? 嫌だなぁ。分かったよ、またね」
「お仕事の電話?」
「編集者からだ。急遽、打ち合わせをしたいんだと。良枝、悪いんだけど先に帰っていてくれ」
修司はタクシーを呼び寄せると、良枝に帰宅を促した。別れの接吻は約五分間にも及んだ。見せつけられた運転手はえらく閉口していた。
彼は接吻の余韻に浸りながらも、何が打ち合わせだ、大したことも出来ねぇ上、こんな時間に呼び出しやがって、糞が、などど思いながら打ち合わせ場所へと足を運んだ。アルコールも充分に入っていたため、その足取りは重い。えっちら、おっちらと長い時間をかけ、彼が街灯の少ない通りに差し掛かった時、突如として彼の背後から何者かが走り寄ってきた。
その直後、激痛。
信じらんない激痛。背中から入り込んだ異物が、胸の表面にほど近い内側まで到達している感覚を彼は覚えた。一瞬にして、体中から汗が滲み出る。叫び声を上げようとするも、うめき声すら出せず、何一つとして言葉にならない。そのうちに彼は膝から崩れ落ち、仰向けとなり、空を仰いだ。澄み渡っていた。月が綺麗だった。
ぼんやりと人影が見えた。暗くて誰かは判別しない。彼は徐々に薄れていく意識の中、声を聞いた。
「修司さん、良かったですね。良枝さんだけでなく、みんなの気を惹けるじゃないですか。あなたは、ずっとわたしのもの。あなたの死は、ずっとみんなのものです」
女の声だった。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。