死にたがりのスライム
ボクは、スライムだ。
一番弱い魔物なんだって、みんなにバカにされる。ただの人間にだって負けちゃう、弱い魔物なんだって、みんながボクをバカにする。
ボクだって、望んでスライムになったんじゃない。生まれた時からこの姿だった。叶うなら、もっと強い魔物に生まれたかった。
ボクたちスライムは、簡単に死んでしまう。人に襲われた友達や仲間は、みんな、溶けて死んじゃった。
何も出来ず、何も残せず、生まれてただ死んでいくだけの、何の取り柄もない魔物。それが、ボクたちなんだ。
だから——魔王さまが人に倒されたって話を聞いた時は、嬉しかった。
魔王さまは、ボクたちが生きていくために欠かせない存在だ。魔王さまがいなくなったら、ボクたち魔物は死んでしまう。もちろん、ボクも。
スライムなんて、生きてる価値がない、弱い魔物だ。そうやってバカにされ続けてきた。ずっと、心のどこかでは、死んでしまいたいと思っていた。
だから……よかったんだ。これでやっと、解放されるんだ。ボクは、バカにされないで済むんだ。
魔物の世界は、今日で終わる。魔王さまが死んで、そして、その加護を受けるボクたちも死ぬ。
ああ、なんて……なんて、良い日なんだろう。
——そう、思っていたのに。
「パパ、スライムさんがいるよぉ」
「本当だ。おかしいな、魔物は全ていなくなったはずなのに」
目の前に、人間がいた。小さな女の子と、大きな男だった。
ボクは、死ななかった。死ねなかった。
理由は分からない。魔王さまがいなくなって、他の魔物は全部死んじゃったはずなのに。なのに、ボクだけが生きている。
女の子が、ボクへと手を伸ばす。ゆっくりと、ボクに触れようとして。
触るなッッ!
ボクは人間が嫌いだ。ボクの友達や仲間を、意味もなく殺した人間が嫌いだ。
「スライムさん、怒ってるの?」
「離れなさい。危ないから」
男が、腰に差す剣を抜いた。鈍く光り輝く刃が、ボクの姿を映した。
ちょうどよかった。ボクを殺してくれるなら、誰だっていい。もう、誰かにバカにされるのは嫌なんだ。
男が、ゆっくりとボクのもとへやってくる。そして、手に持つその剣を、天高く掲げた。
ボクだけが生きている理由は分からない。だけど……どうだっていい。これで、死ねるんだから。
「パパ、ダメッ!」
だけど、また、死ねなかった。女の子が、男とボクの前に立ちはだかったから。
「退きなさい。魔物は危険なんだ。たかがスライムでもね」
「ダメ! スライムさん、怖がってるもん!」
「怖がってる?」
怖がってない。ボクは死にたいんだ。邪魔をしないでほしい。
男はそれでもボクを殺そうと躍起になったが、女の子が何度もそれを邪魔するので、終いには諦めてしまった。
「はあ……そのスライム、どうするつもりだい?」
「お部屋に連れていくの!」
「駄目だよ。スライムだって魔物なんだから。危ないんだ」
「やっ!」
何故だか分からないけれど、この女の子はボクを連れ帰るつもりらしい。男と女の子の押し問答だ。挙げ句の果てには男の方が折れて、大きなため息をこぼした。
「はぁ……」
そして、切先をボクに突き付けて言ったんだ。
「娘に手を出したら、殺す。いいな」
ボクは殺してほしいのに。だったら、この女の子を襲えばいいのかもしれない。そうすれば、この男は、今すぐにでもボクを殺してくれるだろう。
女の子が、満面の笑みでボクを抱きかかえる。少しでも危害を加えれば、そうすれば。
「スライムさん、かわいいっ!」
——ぎゅっと、優しく抱きしめられる。
これまで感じたのことないような温もりと優しさが、身体中を駆け巡った。害意のない無邪気な優しさが、この女の子の内に見えた。
……ダメだ。人間は、いつだってボクたちの敵だった。この女の子だって、きっとそうだ。優しくしておいて、後で酷いことをするに違いない。
いや、それならそれでいいんじゃないか? だって、ボクは死にたいんだから。なんで今、一瞬だけ、そうならないことを願ったんだ?
女の子に抱きかかえられたボクは、そのまま二人の家に連れて帰られた。人間の香りが充満した、不快な場所。ここが、ボクの墓場となるらしい。
機を狙い、行動に出たのはその日の夜だ。なんの警戒心も抱かずに眠る女の子の枕元に近寄って、その顔に跨り、息を止めてやろうと試みる。
ちょうど、跨がろうとしていたその時だ。ボクの気配を察知したのか、女の子が両腕を伸ばし、ボクを抱き寄せた。
「……スライムさん……」
寝言だろう。幸せそうな顔でボクを呼ぶ女の子は、起きる気配もなく、ボクを抱きしめたまま深い眠りの底を歩いていた。
……何だよ。そんな顔で寝られたら、殺すに殺せないじゃないか。
殺してやろうと思ったのに、女の子に手が出せないまま、ボクは休眠状態に入った。明日こそは、必ず殺してやる。そして、ボク自身も死んでやるんだ。必ず。
——そして、ボクが女の子に拾われてから、半年が過ぎた。
ボクは女の子を殺すことが出来ず、また、死ぬことも出来なかった。情けない話だ。魔物なのに、無防備な人の子供を前にして、息の根を止めることも出来ないなんて。
「スライムさん、遊ぼっ!」
その日は、よく晴れた日だった。遊ぶにはもってこいの日だった。だから、女の子もそんなわがままを言ったんだろう。
森で遊びたい。
女の子はそう言った。ボク以外の魔物は死んでしまったとはいえ、森には危険な獣がいる。迷い込んだら出てこられない上、遭難した子供を探すのは不可能に近い。
故に、普段は父親が同伴でなければ森には入らない。あの男が危険を全て排除するから、この女の子は、森が安全なものだと勘違いしているのだろう。
ボクはどちらでもいい。この女の子がどうなろうが、ボクには関係のないことだ。
「ね、行こっ!」
森の方へ走る女の子を追いかけ、ボクも森へ向かった。
女の子は、楽しそうだった。普段は男がいて自由にはしゃぎ回れない森を、一人で自由に遊べるから。何だかボクも楽しくなって、久し振りに、何も考えずに跳ね回った。
そうして暫く経った頃、森の中の異変に気が付いた。
ボクは、この森で生まれ、この森で暮らしていた。だから、ここに関してはあの男よりも詳しいと思っている。
今日は何だか、小さな動物たちの数が、やけに少ないような気がした。いつもはもっと、賑やかなのに。
「スライムさん……どうしたの?」
おかしい。いや、考えてみれば、明らかにおかしい。ここまで動物がいないのは、異常なことだ。考えられるとすれば、一つ……。
——ブルルルルッッ
女の子の奥に、赤い眼光が見えた。ボクは思わず、全力の体当たりで女の子を弾き飛ばした。
「きゃっ!?」
そこへ、鋭い二本の牙を生やした猛獣が突っ込んでくる。ぎりぎりのところで跳ねて躱すと、それはそのまま、後ろにあった木々を薙ぎ倒して止まった。
こいつだ。森の奥深いところにいた、凶暴な獣。巨大なイノシシ。普段は奥の方にいるのに、何でこんなところに。
イノシシは再びこちらに狙いを定めると、後脚で土を蹴りながら、首を大きく振った。完全に、ボクたちを食べる気らしい。
「す、スライムさん……あれ、怖いよっ……」
女の子は、突き飛ばした衝撃で手足にかすり傷を負っていたけれど、その程度だった。現れたイノシシを見ながら、ぼろぼろと大粒の涙を流し、体を震わせている。
ボクだけなら、逃げられる。
ボクはスライムだ。逃げることが一番得意な魔物なんだ。この女の子を置いて逃げ出すことは簡単。森の地形は頭に入っているから、イノシシから逃げるのは容易だろう。
この子のことなんて、どうだっていい。所詮は人間。いずれ、ボクを捨てる日が来る。
あれ?
……何でボク、生き残ろうとしてるんだろう。死にたかったはずなのに。死ぬには、絶好のチャンスなのに。
おかしいな。あの男は全然殺してくれないし、この女の子を殺すことも何故か出来ないし。だから、今この場で死ぬのが、一番楽な方法じゃないか。
なのに、何で?
「スライムさんっ……」
ぶるる、っと、イノシシが猛々しい鼻息を吹かした。女の子はボクを抱きしめ、縮こまっている。
このままいけば、ボクたちは仲良く死ねるだろう。人間と一緒に死ぬなんて、不快極まりないことだけど……仕方ない。
イノシシが駆け出し、女の子が目を瞑る。もう、助かることはないだろう。このまま、終わりの時を、迎えるんだ。
……なのに、何でだ? 足掻いたって、無駄なのに。もう、遅いのに。
女の子の腕からすり抜け、再び女の子を突き飛ばす。もう、目の前までイノシシは迫っていた。何とか女の子を逃すことには成功したけれど、ボクは到底、その攻撃を避けることが出来ない。
そして、ボクは……イノシシの突進をその身に受け、全身に激痛を感じながら、弾き飛ばされた。
何度も跳ねながら地面に激突し、動けなくなる。女の子が、ボクに向かって手を伸ばしているのが見えた。
ダメだ。折角助けたのに、そんなところにいたら、死んでしまう。
ボクは、死んでもいいスライムだけど、この子は……みんなに愛されながら生きてるんだ。死んだら、ダメなんだ。
必死に、女の子を守ろうとした。だけど、動けない。そんな時、視界の端に、ボクたちのもとへ駆け寄ってくる人影が見えた。
あの男だ。女の子の父親だ。
男は何か叫びながら駆け寄ってくると、そのままイノシシを一太刀で斬り伏せ、女の子を抱きかかえる。傷だらけになった女の子を案じながら、泣き喚く彼女を宥めるように、何度も何度も頭を撫でていた。
そして、ぼろぼろになったボクに視線を落として、こう言った。
「こいつが……助けてくれたのか?」
「うんっ……スライムさんが、助けてくれたのっ……!!」
「……そうか」
女の子を降ろし、その場に屈む男。ずっとボクのことを敵視していた男の目に、もう敵意はなかった。
「スライムさん、死なないでっ……死なないでよっ……!」
イノシシに狙われていた時よりも、激しく泣き喚く女の子。そうは言われても、難しい。何せ、もう視界がぼやけてきたんだから。
思えば、本当は半年前の段階でこうなるはずだったんだ。魔王さまが死んで、全ての魔物が死ぬはずだったあの日。生き残ってしまったボクが、あの男に剣を向けられた日。
ずっと死にたいと思っていた。願いが、これで叶うはずなのに。
なのに。
ボクは、どうして————どうして、今になって『生きたい』だなんて、そう思ってるんだろう。
この半年で貰った愛は、死にたいと思っていたボクが、生きたいと思えるほどに温かいものだった。弱い魔物だと、何の取り柄もないスライムだとバカにされ続けてきたボクが、この子のそばで生きていきたいと思うほど、優しいものだった。
——ああ、そうか。ボクは、死にたかったんじゃないんだ。だから、何度殺そうとしても、殺せなかったんだ。
そんな簡単なことに、今更気が付くなんて。もう、遅いのに。
視界が、どんどん失われていく。もう、女の子の姿も満足に見えやしない。
「スライムさん、スライムさんっ!!」
ボクを呼ぶ声だけが、意識がなくなるその最後の瞬間まで、聞こえ続けていた。
……ああ。幸せな最期だと。同じスライムの仲間に自慢できるくらい、幸せな結末だったと。そう、思う。
「……ん……ムさん……」
暗闇の底に、声が届いた。ボクの意識を引き戻そうとする声が、届いた。
「……ライムさん……」
聞き覚えのある声だ。この声は、あの子の……。
「スライムさんっ!」
……目の前には、あの女の子がいた。目を赤くして、髪もぐしゃぐしゃで、傷だらけのままの、あの子が。
……どうして? ボクは、死んだはずなのに。
「……良かったな。理由は分からないが、お前は助かったんだ」
男が、そう言った。
助かった。何故?
思えば、魔王さまが死んだあの日に生き残っていたことも謎のままだけど……今回は、死んだと思ったのに。
「スライムさん、よかったっ……死んじゃったかと、思ったっ……!」
女の子が、抱きしめてくれる。いつもよりも、もっとずっと強く。体が痛くなるほど、強く抱きしめてくれた。
そうか。ボクは、生きたのか。生きても、いいのか。
「ごめんね、スライムさん……わた、私のせいでっ……ごめんねっ……」
ぎゅっと込められた力に応えるように、ボクは腕を伸ばして、女の子の背中に回した。これが、ボクに出来る、精一杯の返事だから。
ああ、そうだ。ボクは生きたい。ボクを愛してくれたこの女の子のためにも、ずっとずっと、この子のそばで生きていきたい。
きっとこれは、誰かがくれたチャンスなんだ。この子のために生きろと、こんなボクに二度目の生を与えてくれたんだ。
そう——思うことにしよう。