1-2 月への招待
前世診断の後、私は中学に行くのをやめた。
待合室で私の前世を聞いた友達が、友達に言って回ってしまっていたからだ。
私のあだ名は『沙耶ちゃん』から『魔王様』にクラスチェンジ。
その上で、
「ねぇねぇ魔王様、『世界の半分をやろう』って言ってみてよ」
「魔王様が怒った! 助けて勇者様―!」
「魔王討伐だー!」
といったからかい、いや、いじめにあえば、学校に行きたくなるまでたいした日数は必要なかった。
それから2年間、私は学校に行かなかった。
勉強は、いろいろな理由で学校に行かなくなった子達のために提供されているオンライン授業で済ませた。オンライン授業の先生は授業以外のことを話さないし、参加している他の子もそれぞれ事情があるから、授業外で深く関わるということはなかった。
オンライン授業だけが、私が『魔王様』ではなく『沙耶ちゃん』として関わることができる場所だった。
お母さんも、そんな私に学校に行けということはなかった。
きっと、村娘だったという私の嘘はもうばれている。
学校に行かなくなって少しした頃、一度学校で担任の先生といろいろな話をしたみたいで、その時にばれたんだと思う。思う、というのは、お母さんが私の前世について話すことは全くないからだ。
ただ、テレビでその話題が出ると少し様子が変になるし、『前世モノ』の番組を全く見なくなったから、私はお母さんが本当のことを知ってるって確信している。
「高校は、遠くのところに行きたい」
私がそう言っても両親は反対しなかった。積極的に賛同してくれた。
15才になって、中学3年生最後の冬、私とお母さんは進路について相談があると言われて学校に呼び出された。
2年ぶりに見る中学校の校舎は全く変わっていなかった。
校舎の中にある進路指導室に入ると、頭の薄い教頭先生が私たちを待っていた。
「お待ちしてました、鬼沢さん。忙しいところすみません」
教頭先生は柔らかい微笑みで迎えてくれた。
「いえいえこちらこそお手数かけまして」
お母さんは恐縮です、と頭を下げた。
私もお母さんに合わせて小さく頭を下げた。
「どうぞおかけください」
勧められるまま私たちがソファーに座ると、教頭先生は早速お母さんと話を始めた。
「沙耶さんの進路なのですが、遠くの高校に進学することを希望されているとか」
「えぇ。どこを受けるかも決まっているところなんです」
「そうですか。沙耶さんの希望が一番大事ですからね。学校にも手伝えることがあれば何でも言ってくださいね」
「ありがとうございます」
「それで、その、これは決して強制のモノではないのですが、ひとつ、伝えておかないといけないことがありまして」
教頭先生は言いにくそうに両手を組んで握った。言いよどんでいる。
「なんでしょう?」
お母さんに催促されて、教頭先生は意を決したようだった。
「沙耶さんに、招待入学の話がきています」
「招待入学?」
推薦入学でもなく。
聞いたことのない言葉に私もお母さんも首をかしげた。
「はい。沙耶さんに是非入学してもらいたい、という高校があるのです」
教頭先生の言葉は、奥歯にものが挟まっているような、ぼかしたものだった。
絶対にいい話じゃない。
私は確信した。
「どこでしょう、それは」
お母さんもなんとなく察したのか、言葉が硬くなった。
「銀月高校です」
「お断りします!」
お母さんは即答した。
私はというと、平静を保つのに精神力の全てを使っていた。
「そう仰ると思いました」
教頭先生は神妙に頷いている。
「当然です。銀月高校なんてところに、この子を行かせるわけにはいきません!」
「えぇ、えぇ、そうでしょうとも」
教頭先生はお母さんをなだめようとしている。
「どんな待遇を約束されても絶対に行かせません。そんな、月面ダンジョン攻略のための高校なんかに」
そう。銀月高校は、月にある月面ダンジョンの攻略者を育成するための高校だ。
有望な前世を持つ少女を集めて鍛える。
月面ダンジョンを攻略するための、そのためだけに存在する高等学校。
「この子がこの2年、前世のことでどれだけ苦しんでると思ってるんですか。それなのにこんな事をわざわざ伝えてくるなんて!」
「申し訳ありません。学校も立場上伝えなければなりませんので」
「伝えなければいけないからってそのまま伝えるなんて。あんまりじゃないですか」
お母さんはポケットから出したハンカチで目元を拭った。
「いや、まぁ、その」
教頭先生がしどろもどろになっているところに、進路指導室のドアがノックされ、開いた。入ってきたのは若い男の先生だ。
「教頭先生、校長先生が、沙耶さんのお母さんとお話ししたいと言うことなんですが」
「い、今かね?」
戸惑う教頭先生。
「行きます!」
お母さんは勢いよく言って立ち上がった。
「行って私がきっぱりお断りします。どこですか!?」
「あ、はい。こちらです」
お母さんが若い先生の後に付いていって、その後を教頭先生が慌てて追いかけた。
「沙耶さんはすこしここで待っていてください」
そう言い残して。
私は一人になって、正面のさっきまで教頭先生が座っていたソファーを見た。お母さんが激しく怒ってくれたおかげで、私はすこし平静を取り戻すことができていた。
ふう、とため息をついた。
もちろん私も銀月高校なんて絶対にお断りだ。絶対に入りたくない高校を選べと言われたらダントツの1位。
銀月高校には『騎士』とか『魔術師』とか『冒険者』とか、そういった英雄的な前世を持つ人たちが集まっているらしい。
キラキラの前世だ。
そんな中に自分が入ったところで、馴染めるような気は全くしない。
私は自分の前世に蓋をして生きていきたい。どこかだれも知っている人がいないところに進学して、『村娘でした』って言って平和に生きていきていきたい。
友達とご飯食べて、スタバ行って、馬鹿話したり恋愛したりして一日を終える。
そんな一日が私の夢。
だから絶対に、銀月高校なんてお断りだ。第一、月面にスタバはない。
進路指導室の扉が開いた。
お母さん達かな、と思って入口を見ると、知らない女性が入ってきていた。
きれいな女性だ。たぶん年齢は20才くらい。腰まで届く長くまっすぐな黒髪を揺らしながら、その人は私の目の前に座った。
「はじめまして、私は楓花。楓花先生って呼んでくださいね」
その人はにっこりと笑って自己紹介してきた。
先生なんだと分かって私は少し安心した。
「はじめまして。鬼沢沙耶です」
「沙耶さんね。あなたが魔王の子?」
私の心臓が跳ねた。警戒心が全身を駆け巡った。
「ごめんなさい。怖がらせるつもりはないんです」
楓花先生の物腰は柔らかい。
その柔らかさが今の私にはかえって不気味に見えた。
「何の用ですか」
私は険のある声で短く聞いた。
楓花先生は全く動じていない。
「私の前世はね、『悪魔』なんです」
「悪魔?」
「そう。人類を救う禁断の果実を勧める破滅の悪魔。私たち仲良くなれそうだと思いません?」
楓花先生は思わず見とれてしまいそうな蠱惑的な微笑みを浮かべていた。見た目の若さと相容れない老練な表情が私の中の警戒の鐘を一層激しく揺らした。
危険だ。この人は危ない。
「思いません」
「まぁ残念」
そこで進路指導室の扉が勢いよく開いて、教頭先生が息を切らして入ってきた。
「如月先生、困ります。勝手に生徒と接触されては」
楓花先生はちょろっと舌を出した。
「見つかっちゃった。そう怒らないでください教頭先生。ちょっと挨拶しただけじゃないですか」
楓花先生はそう言うと立ち上がって、進路指導室の出口に向かっていった。
「じゃあね、沙耶さん。銀月高校でお待ちしてますよ」
扉が閉まった。