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石階段の途中に有る祠は明治の頃、日露戦争の戦勝祈願で建てられた。故に、日露戦争勝利後は御利益があると言うことで地域の軍人達には人気があった。
時代が下るにつれ戦争が続いたが、出陣する近在の軍人達はこぞって自分の戦場での加護を願うため、祠に詣でるものが多くなった。
そして第二次世界戦争の時である。
学徒出陣が大阪でもあり一人の若い学生が軍の入隊試験を受けたが身体に疾患があることで戦争に行けなかった。
その学生は友人全てが皆戦場に行き、若い命を散らしたことを聞くに及び深く懊悩し、遂にせめてもの懺悔の為か、この場所の楠の枝に紐を掛けて首をくくり、縊死した。
その日は茹だる様な夏の暑い日で、街の至る所で魚や果物などが腐るほどの強い湿気が漂った日だった。
この楠にカラスが無数集まり、酢を嗅いだような独特の腐臭があったが、折から街全体が湿気の為に起きた腐臭交じりの臭いの為、この楠に吊るされた腐体には誰一人気付かなかった。
第一発見者はこの坂の途中、その日の夕暮れに激しい雷雨の中で倒れていた女学生だったが、現実にはその女学生を抱き起した若い医学生だった。
再び目を覚ました彼女は病院の中だったが、そこで彼女は腐体の発見時の転が状況と転がっていた生首の事を話し、しかしそれは警察の死亡解剖が分かるにつれて、死亡原因を裏付けるための証明にしかならず、何も事件性を表すような内容ではなかった。
警察はその若い学生軍人の縊死した日時については長雨が降り始めた最初の夜、恐らく深夜と推定した。
折からの翌日の強い湿気や臭気、楠の鬱蒼と茂る草が死体の発見を遅らせたために腐乱が進んだことが死体の首の根元を腐らせ、それがやがて重さに耐えきれず落ち、それがために身体は枝に偶然に引っかかり、一方の首はそのまま石段に落ちて転がったとして、事件性の無い自殺として処理した。
それを夕方、通りかかった女学生が偶然発見し、声を上げて悶絶したということだった。
――だから、田中。ここは通称、生首坂というのさ
(生首坂…)
気持ちが悪い通称だろうが!!
田中は初めて自分の警ら地区にそのような謂れの場所があって、ぞっとした。
勿論、同僚にはそんな様子は微塵にも見せない。
へぇと言って口笛を吹いて、部屋を出た。部屋を出たが背中に虫唾が走るのを感じないではいられない。足早に自分の部屋に戻り、布団を被る様に眠った。
(本当にそんなのは嫌だぜ…)
そう心の中で呟いて自転車を階段下で止めた。
止めると階段を見上げる。
階段上に空が見える。
その先から見える空はとても晴れ晴れとしている。
だが…
(おや?何だ…?あれは?)
田中巡査は何かに気が付いた。
自転車から降りる。
それから近づいて顔を上げる。
(何だ…あれ…)
腰をかがめて楠を見た。楠の枝が揺れてる。
(何してるんだ…あいつ…?)
厄介なことに誰かが楠をよじ登っている。
浴衣姿に下駄を履いた何やら場違いのような姿で首から上の髪の毛がゴワゴワ揺れている。
(不審者かよ!!)
田中巡査は見なくていいものを見てしまったことに気づいた。
舌打ちをすると田中巡査は、苔むす石階段に足を踏み入れた。




