王子様は蜂蜜を望んでいる
前作では誤字報告や感想ありがとうございます。
「あねうえ、どうしてわたしはシャルロットなのですか」
第三皇子であるシャルロットが八つの時の話だ。第一皇女にして次期女王、王太子ミシェーラにそう言って泣きついたことがある。
普段は聞き分けのいい四つ下の弟の珍しい泣き顔に、同じ部屋にいた一つ下の第二皇子を視線で下がらせ、侍女に温かい飲み物と柔らかいタオルを用意させる。
「シャルロット、せっかくのお爺様似の精悍な顔立ちが台無しだ。目をこするな。さあ、どうしてそのようなことを言っているのか、姉上に教えてくれないかい?」
なるべく柔らかいハンカチでそっと拭いながら可愛い弟を抱きしめる。
「リ、リックが、シャルロットは女の子の名前だって……本当のわたしの名前では無いって」
リックは、確か第三皇子につけた近衛兵の中でも一番若い者だろう。本人にからかいの意図が無くても、幼い子供がどのように言葉を受け取るのかはわからない。微かに侍女に頷いて見せれば、彼女はすっと頭を下げて下がっていく。きっと第三近衛団の団長に話をしてくれるだろう。
「よくお聞き、シャルロット。この世界の神様は麗しの女神様なのは知っているだろう?」
「……はい」
「彼女は美しい子供が大好きでね、特に年頃の幼い男の子がとても大好きで、宝物のように思っている。だから、シャルロットは小さい頃、よく病気になっていたんだ」
「病気、ですか」
幼い子供が理解できるように、古い風習を噛み砕く。頭を回しながら、ミシェーラは優しくシャルロットの頭を撫でた。
「そう。女神様がお前を気に入って、連れて行ってしまう。でもわたくし達はそれを良しとは言えない。お前がうんとうーんと、大切だからだ。だからシャルロット、と女の名前をつけ直して、この可愛い子は女の子で、女神様のお気に入りではありませんよ、と女神様に嘘をつくんだ」
「女神様を、騙すのですか」
「ああ、わたくし達はお前が大好きだから、女神様すら騙してみせよう」
ぎゅうっと思いっきり抱きしめてベッドに倒れこむと、あねうえくるしい! なんて言いながらシャルロットがきゃらきゃらと笑う。
「ああ、可愛いシャルロット。お前の悩みは姉上がきちんと聞いてあげよう。お前が一人で解決できるようになるまで、手伝ってあげよう」
「ほんとうですか? だって、あねうえはおいそがしいし、わたしはきちんと一人でものごとをできるようにならなくては」
「シャルロット、時間は作るものだ。わたくしも兄上も、父上も母上も、お前の為に時間を作ることを惜しまない。だから、お前もきちんと自分でできることをやり、時間を作ってわたくしに相談しに来なさい」
シャルロットが涙で濡れた目を細めて、笑顔で頷く。
「姉上、シャルロット。お話は終わりましたか?」
第二皇子のジェラールがココアの乗ったお盆を持って部屋に入ってくる。シャルロットの大好きな、ホイップが乗った蜂蜜がたっぷりのココアだ。
「あにうえ、夜になったら甘いものはたべてはいけないんですよ」
「シャルロット、姉上は今とてもココアが飲みたいんだ。姉上と兄上と一緒に飲んでくれるかい?」
「シャルロット、姉上と俺との三人の秘密だ。秘密を守れるかい?」
秘密、と呟いてシャルロットが神妙に頷く。ココアを用意した料理人やそれを毒見する侍女、部屋で給仕をする執事の存在に気付かない幼い弟に、ミシェーラとジェラールは笑いながら一番ホイップがたくさん乗ったココアを、彼に渡した。
ああ、そう言えば。そんなこともあったなあ、とミシェーラは息を吐く。
「ミシェーラ殿下?」
「ああ、すまない。お前は下がってておくれ。そうだな、ココアでもいれてきてくれないかい?」
ミシェーラの言葉に彼女の部屋を訪ねたシャルロットもまた、幼い頃を思い出したのだろう。耳を赤くしながらココアは卒業しました、なんて言っているが知らんぷりだ。
「さてシャルロット。相談とはなんだい?」
「女性を口説き落とすには、女性はどのような行動を取られるのが一番でしょうか。女性目線として姉上がしてほしい行動などを教えていただければと」
「ジェラール、ジェラールを呼んで! 可愛いシャルロットが反抗期で思春期なんだ!!」
「姉上!!!」
しまった、あまりにも王太子として相応しくない行動だった。成人女性としてもあまり褒められたものではない。しかしミシェーラは頭を抱えたい。
ひとまずミシェーラはシャルロットの肩を掴むと、まっすぐその目を見た。
「お前は己の立ち位置が分かっているのか? 婚約者というものを持ち、第三皇子でありながら」
「あ、すみません。口説きたい女性はエミーリアです」
「それを早く言え戯け者っ」
シャルロットの後ろで無音で大爆笑しているルイスは全て知っているのだろう。今度彼の父に言って厳しい訓練を課してやろう、と心に決めながらようやく落ち着いた気持ちで椅子に座りなおす。
「して、なにゆえそのようなことを言い出した」
「簡潔に申し上げますと、現在私の片想いの状態でして」
けふん、と空咳一つ。一瞬取り乱しかけたのを気合いで抑え、ミシェーラは扇子を頬に当てた。
「二人は仲睦まじい婚約者同士にわたくしは見えるが」
「ええ、仲はいいですよ。友人として、従者として、婚約者として彼女はどこまでも立派に私を支えてくれています」
「さて、今のところさしたる問題は見えぬのだが」
当たり前のように用意されたココアを見て、シャルロットが一瞬侍女を睨むが、上はミシェーラ、下は末姫イヴェットの面倒を見てきた年長者の侍女は澄まし顔だ。仕方なく口をつけると、なるほど、蜂蜜たっぷりのココアはどこまでも懐かしく、敵わない、と思わざるを得ない。
「私はいつもそばにいて、支えてくれるエミーリアに、ミラに恋をしました。婚約から始まる恋なぞと思うかもしれませんが、この恋は確かなものです」
「ふむ、まあわたくしも父上の決めた相手と婚約したが、確かに彼を愛している。そういう幸運なこともあるだろう」
全くもって問題が無いように見える。しかしシャルロットは困ったように笑った。
「しかし、ミラは私に恋をしていません。全くもって、そういう対象として私を見ていません」
ようやく本筋に触れた。ミシェーラは目を丸くして、そして遠慮なく笑った。
「お、おまえが! 完璧な皇子として婚約者がいるのにもかかわらず令嬢はおろか、既婚者の女にまで寄られていたおまえが、全くもって意識されていないのか!」
「ミシェーラ殿下、笑いすぎですって」
今度こそ声を上げてルイスが笑う。そして困ったような笑みを浮かべたままのシャルロットをちらりと見て、にやりと笑みを浮かべた。
「ちなみに、そうなった原因はシャロンにあります」
「ほう」
「ルイス!」
慌てた様子のシャルロットに扇子をぴん、と向けることで黙らせ、申せ、と心からニマニマと笑いながらミシェーラが命じる。
「初めての顔合わせの時、エミーリア嬢に向かってシャロンが「私は貴女を愛することはない」と宣言しました」
いざという時は影武者をする事も想定されているルイスの声真似はとても見事だ。しかし一瞬にして冷たい目をしてミシェーラはシャルロットを見た。
「見損なったぞ愚弟」
「返す言葉もありません」
「まあまあ殿下。シャルロット殿下はきちんと謝罪をした上でエミーリア嬢に告白して玉砕しましたから」
はあ、とミシェーラが額を抑えながらココアを一口。十秒ほどぐるぐると頭の中で思考を巡らせ、なるほど、と一言。
「サスティアン辺境伯の姫君だ、その忠義を貫くべく、一番初めの言葉を誓いとし、シャルロットを愛さぬよう心に決め仕える事とした、というわけか。それを今の今まで引きずり、その結果恋愛対象として全く以て考えられない、と」
「ミシェーラ殿下、覗き見でもしてたんです?」
「ルイス、いくら愚弟が面白いことになっていたとしてもわたくしは覗き見なぞせぬわ」
さて、何の話だったか。ミシェーラは扇子を開き、そよりと風を送る。ゆっくりと思考を巡らせ、厳選し、まとめ上げる。
「シャルロット。例えエミーリアがお前に恋をしなくても、二人は必ず結ばれる。それが王命であり、今の情勢だからだ。それは理解しているね?」
「はい」
「それでも、お前はエミーリアに恋を乞うのか」
「愚かとは承知の上です」
「その恋に狂い、一つ道を踏み外せばわたくしは迷うことなくお前を切り捨てる」
「その前に必ずやミラが私を止めると信じてます」
覚悟の上か、と頷き、パタンと扇子を閉じる。
「ならば、お前がやるのは一つだけ。ひたすらに恋を伝えよ」
にやり、とミシェーラが笑う。
「何度も何度も、親が子に聞かせるより多く。ひたすらにお前はエミーリアを愛し、恋し、寿げ。花よりも菓子よりも宝石よりも、お前の言葉こそがエミーリアにとって何よりも尊くものだよ」
そんな事だけ、と言いたげな顔に、この愚弟は時折分かり易すぎるなあ、と思いながらもそっと昔のようにその頭を撫でる。
「よく聞けシャルロット。エミーリアはお前のことを大切に思っている。だからこそ、お前の言葉が正しい限りは何よりも優先するだろう。お前の恋は真のものなのだろう? 何度も何度も乞いて、辺境伯が刻み込んだ忠義を上回るほど、お前の恋を彼女に溶かし込めばいい」
「……私は、もう何度も伝えています」
「なら、さらに伝えるのだ。足りぬ、まだ足りぬのだよ。エミーリアの恋心を得るまで、口説き続けよ」
可愛い可愛い愚かな弟。女神の元へ幾度となく連れ攫われかけ、その都度必死に留めた可愛い弟。彼が女神の元ではなく、エミーリアの元を選ぶというのならば、ミシェーラは愚王にならない程度に、その知識を以て彼の手助けをしよう。
シャルロットとルイスが下がると、ミシェーラの隣の部屋からにやにやと笑みを浮かべたジェラールと、申し訳なさそうな顔をした第ニ皇子側付きでありエミーリアの兄であるオルランドが出てきた。
「妹が申し訳ありません、ミシェーラ殿下」
「シャルロットは面白いことになっているなあ」
「こらジェラール。可愛い弟の初恋を揶揄うな」
「ミシェーラも面白がってるだろう」
ひらりとジェラールが手を挙げるとココアの代わりに紅茶が運び込まれる。一番初めにオルランドが口をつけたのを確認し、ミシェーラとジェラールも紅茶を手に取った。
「オルランド。お前の妹はどんな様子だい」
ミシェーラのざっくりとした問いに、少しだけオルランドが考える。
「そもそも、政略結婚することは産まれる前より決まっていたこと。恋をする、なんて発想も持っていないでしょうし、恋の仕方なんて知らないでしょうね」
まあそうだろう。将来の第三皇子の婚約者が恋多き令嬢なんて、醜聞どころの話ではない。
「それにうちの両親も、一番上の兄も、二番目の兄も政略結婚ですし、恋は無くても仲のいい夫婦です。愛人なども持ってませんし、それを見て恋だのなんだのは考えもしないでしょうね」
「おや、一番上はともかく、二番目は学生の頃出会って婚約したのだから恋愛結婚だと思っていたのだが」
ミシェーラが珍しく驚いた顔をする。それを見てジェラールが喉を鳴らしながら笑った。
「いや、確かに学院で出会ったのだが、恋愛ではないだろうねあの二人は。ライバル、というのが正しい」
「二番目の兄夫妻は、その。特殊ですので」
何やらミシェーラの知らぬところでまた別の面白い話があるらしい。また今度詳しく、と言って、そうか、と天を仰ぐ。
「ジェラール、オルランド。婚姻を結ぶまでエミーリアが落ちるかどうか賭けぬか?」
「ミシェーラ殿下。王太子ともあろうものが賭け事など」
「俺は婚姻までには落ちないけど、婚姻してから落ちるに」
「ジェラール殿下」
「むむ、それはずるいジェラール。わたくしもそれがいい」
「ミシェーラ殿下」
賭け事にならない、と言いながら何処からともなく金貨と宝石をテーブルに乗せる王族二人に、呆れながらもオルランドは金貨を三枚、さらにはオルランドが婚約者からプレゼントされたカフスリングをテーブルに置いた。
「次の春までには、妹は落ちますよ」
「何?」
「根拠は」
年子だからか、双子のように同じ表情でこちらを見るミシェーラとジェラールに、オルランドはエミーリアとよく似た、柔らかな笑みを浮かべる。
「恋を知らないとは、つまり妹はとても初です。些細なきっかけさえあれば、一瞬で転がり落ちますよ」
「お前、実の妹に対して割と辛辣だな」
呆れたようなジェラールに、オルランドはただ柔和な笑みを浮かべ続けた。
「まあ、殿下。突然如何なさいましたの。本日お約束はありませんでしたわよね?」
城下町の貴族街。シャルロットがそこにある辺境伯別宅を訪ねれば、驚いた顔をしたエミーリアが出迎えてくれた。
「君の顔が見たくなって」
「まあ。けれども、お仕事などは大丈夫ですの?」
「きちんと終わらせてきたし、警備にも声を掛けてる。ああ、でも花を持ってきただけだからすぐに帰るよ」
お茶を出すようにと去りかけるエミーリアの侍女を止め、エミーリアの好きなユーストマの花束を渡す。エミーリアは嬉しそうに頬を緩めた。
「素敵な色。オレンジ、というよりは黄色かしら。鮮やかな色ね」
「こんなに見事な蜂蜜色珍しいだろう? 去年出来たばかりの新種だそうだ」
「わざわざこれを渡しにいらしたのです?」
「いや」
いつもよりシンプルなドレスを着たエミーリアの髪は、ゆるく結いあげてるだけだ。零れ落ちた髪を耳にかけ、そのまま彼女の頬に手を添える。
「花はただの口実。言っただろう? 君の顔が見たかったんだ。君に会いたかったんだ、ミラ」
「殿下」
少しだけ戸惑う気配を感じる。エミーリアが口を開くよりも早く、シャルロットはエミーリアの頬に唇を落とす。
「好きだよ、ミラ。私の愛おしい唯一。蜂蜜のようなお姫様」
耳元でそっと囁いて離れれば、唇で触れた頬を抑えながら、困ったような、悩むような、不思議な表情をしたエミーリアがいる。そこにまだ羞恥心や喜びがないのはわかっている。
「本当に、ただ君に一目会いたくなっただけなんだ。それじゃあ、また明日学院で」
「……はい、お花、ありがとうございます殿下」
ゆっくりと膝を折り、カーテシーをする彼女に微笑みかけて、屋敷を去る。馬車に乗り込むと、にやにやと笑っていたルイスが早速口を開いた。
「殿下、行動が早いですね」
「会いたくなったのは本当だ。姉上とミラの話をしたら、無性にミラの顔が見たくなった。……キザ過ぎたか?」
少し頬を赤らめて顔を背けるシャルロットに、ルイスは遠慮なく満面の笑みを浮かべる。
「まるで王子様みたいだった」
「完全にからかってるだろう」
そんなやりとりがあるとは知らず、遠ざかる馬車を見えなくなるまで見送って。その場に立ち尽くすエミーリアの肩に、そっとガウンを掛けてエミーリアの専属侍女は微笑んだ。
「冷えますよ、お茶を淹れましょう」
「……ねえ、ジゼル。殿下は、どうしてわざわざわたくしの所を訪ねたのかしら」
ジゼルと呼ばれた、エミーリアが幼い頃からずっと仕えてる姉のような侍女は、微笑ましげに笑った。
「殿下は姫様に恋をしています。殿下はただ、恋した人に会いに来た、それだけですよ」
「……不思議ね」
ぽつん、と呟き、ジゼルに伴われてエミーリアは部屋へ戻る。頬に一瞬だけ触れた熱は、それこそ婚約者として何度か挨拶のように交わしている熱と変わらないはずなのに。
「姫様。そのように握ってしまってはせっかくのお花が萎れてしまいます」
知らず知らずに力が入っていたのだろう。花束を取り上げられ、思わず「あ」と小さく声を上げてしまう。
「すぐに花瓶にいけてお持ちしますよ」
その言葉に大人しく頷き、エミーリアはようやく椅子に腰を落とす。蜂蜜を溶かした紅茶を飲んで、それでもまだ少しだけ落ち着かない。
如何してだろう。胸の中が、ほのかに甘い。
「不思議な、気分だわ」
エミーリアの小さな呟きは、どこにも届かず空気に溶けた。
簡易的な人物紹介
・シャルロット(18歳)
第三皇子。婚約者エミーリアに片思い中。
・エミーリア(16歳)
辺境伯令嬢。兄が三人いる。恋がわからない。
・ルイス(19歳)
第三皇子近衛兵。シャルロットとは再従兄弟。
・ミシェーラ(22歳)
第一皇女、皇太子。家族が可愛くて仕方ない。
・ジェラール(21歳)
第二皇子。家族が可愛くて仕方ない。
・オルランド(17歳)
辺境伯三番目の息子でエミーリアの一つ上の兄。
・ジゼル(??)
エミーリアの専属侍女。