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おくぶたえ  作者: 水上栞
第五章
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10 ◆ 社会人一年生

 


 それから半年。専門学校を卒業した私は、似合わないOLファッションに身を包み、靴擦れのするパンプスを履いて、小さなデザイン事務所の新米WEBデザイナーとして働いている。仕事は通販サイトの更新とメール会員へのDM送付が大半だ。給料はバイトに毛の生えたほどの安さだが、このご時世に正社員になれただけでも上出来だと思っている。




 今年に入って、私の周りの人間たちもそれぞれ新しい道に歩み出した。中でも一番私を驚かせたのが光太郎だ。




 由佳里ちゃんから聞いた話では、奴はアジアから帰国後、支援団体の女性職員さんと一緒に暮らし始めたという。どういう流れでそうなったのかは光太郎のことなので家族にもノーコメントらしいが、大学にはちゃんと行っているようなので、しばらくは様子見だと由佳里ちゃんは苦笑していた。



 私としては、もう小牧台に光太郎が住んでいないというのが寂しくてならない。チヨが去り、自分が去り、光太郎が去り。もはや小牧台は私にとってテリトリーではなく、思い出の街へと変わりつつある。それによって少女時代が失われるとは思わないが、あの場所には手放しで幸せだった頃の記憶が溢れている。それらが年月を経て、セピア色に薄れていくのが切なく思えて仕方がなかった。






 チヨは千葉の大学に入学し、遅ればせのキャンパスライフをスタートしたのと同時に、叔父さんの家を出た。現在は大学近くのマンションで妹と二人暮しをしている。


 奇しくも同時に大学生となった二歳違いの姉妹のために、彼女たちの実父が小さなマンションを購入したのだそうだ。離婚で叔父に委ねてしまった娘たちへの、せめてもの罪滅ぼしなのだろう。親戚の家とはいえ肩身の狭い思いをしていただけに、二人とも大喜びで新居での生活をエンジョイしている。


 ただしチヨと妹は性格も趣味も正反対の凸凹姉妹だ。先日泊まりに行った時もトイレカバーの柄で双方譲らず冷戦に突入していたが、弟しかいない私には喧嘩できる姉妹がいるだけでも羨ましいと思う。




 あゆみは短大を卒業後、就職せずに家事手伝いという名の優雅なニート生活を送っている。実家が裕福で、子離れできない母親を持つあゆみにとっては自然な選択なのだろう。例のオーナーシェフとはいまだラブラブらしく、しきりに私にも早く次の彼氏を作れとプッシュしてくるから困ってしまう。



「好きな人ができちゃえば忘れるって、前の男なんか」


「そんな簡単に好きな人なんかできないよ」


「もう、だから千夏子は頭が固いって言ってんの。そこそこ合格、と思ったら取りあえず付き合ってみなよ。それでダメなら別れりゃいいし、好きになれたらラッキーだし」



 相も変わらずのあゆみ節に、思わず苦笑してしまう。



「別に私、彼氏欲しくないもん」


「なんでよ、彼氏いないとつまんないじゃん」


「今はね、いない方が癒されるの」



 あゆみは私の言葉にキョトンとしたが、次の瞬間には「こりゃ重症だ」と言って彼氏自慢に戻ってしまった。確かに私は重症なのかもしれない。もし私が彼女のような柔軟性とバイタリティーを備えていれば、これほどへこたれる事もなかっただろう。つくづく打たれ弱い自分が嫌になる。


 こんな調子では、次の恋ができるかどうかさえも不安になってくるが、その一方では、別に恋なんかしなけりゃしないでいいやと枯れかけている自分がいるのも、また偽らざる真実であったりするのだ。






 残酷なのか親切なのかわからない月日がどんどん流れ、圭吾と過ごした時間が過去のものへと押し流し流されてゆく。私はもはや学生でもなく失恋女でもなく、意欲に燃える社会人一年生として仕事に没頭していった。



 実際、仕事の内容は退屈極まりないものであったにせよ、ちょっとした工夫で上司に褒められたり、新しいスキルを身に付けたり。そんな当たり前の現実が、何より私には心強かった。恋愛では死ぬほど耐えても報われない事も多いが、仕事なら大抵の場合は頑張ったなりに評価してもらえる。


 そのうち私は職場で「仕事熱心な佐藤さん」と言われるようになった。このパワーの源が実は失恋だと知ったら、会社の連中はいったいどんな顔をするだろう。




 こうして私の生活が仕事を中心に落ち着いた頃、また私をしょんぼりさせる事件が起こった。いや、正確には数ヶ月前に「起こっていた」。


 それを聞かされたのはつい先日、紗江さんの出産祝いに射手矢家を訪れた時で、ようやく10カウントで立ち上がった私を再びダウンさせるには充分なヘヴィパンチだった。何しろ光太郎と圭吾がダブルキャストで、警察のお世話になるような大騒ぎをしでかしてしまったのだから。




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