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おくぶたえ  作者: 水上栞
第五章
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06◆ モノローグ



 最初の10日くらいは、ただ泣いて過ごした。


 それがどこからくる涙なのか、はっきりしないまま泣き続けた。圭吾の裏切りに対する悲しみも、溝端さんの挑発に対する怒りも、すべてがごっちゃになって私に強いショックを与えた。本能的にこの状態で何かを判断するのはまずいと思ったので、気のすむまで泣いて、それから考えようと思った。



 かろうじて学校には通っていたが、そのうち夏休みに入ったので、私にはたっぷりの時間ができた。その頃にはようやく興奮状態から脱出し、ぼんやりと最終的な二択の結論が見えてきた。



 一つ目は、圭吾を許して元通りになること。違う、正確には元通りになったふりをすることだ。一瞬だけ、この激しい痛みからは解放されるだろうが、この先ずっとくり返し苦しみの波に襲われるだろう。




 高校時代の圭吾の恋人、高須さんを思い出した。彼女は圭吾をつなぎとめるために、浮気を許しては関係を修復してきた。私も圭吾と付き合う前、近寄るなと牽制されたことがある。


 本音を言えば、男に合わせて自分を曲げる惨めな女だと下に見ていたけれど、彼女は圭吾の性質が変わらないことを知っていた。ある意味、私より客観的に物事が見えていたのかもしれない。私と言えば「圭吾を信じている」という綺麗ごとを建前に、薄々気づいていた事実を見ようとしなかった。



 きっと、叩けばさらにたくさんの埃が出るのだろう。私はこの先、そんな圭吾を許して再び彼の手を取れるのだろうか。




 圭吾のことは、あんなことがあったのに変わらず好きだ。それには自分でもびっくりしている。しかし、たとえ圭吾が心を入れ替えたとしても、傷ついた記憶が消えることはない。そして私の性格上、昔のことを蒸し返すのはプライドが許さない。自分の中でぐちゃぐちゃな気持ちに蓋をして、物わかりのいいふりをしていくしかないのだ。




 二つ目の選択は、圭吾ときっぱり別れることだ。



 しばらくは喪失感に苦しむだろう。しかし、その痛みは次第に小さくなって、やがて思い出の箱の中に仕舞われる。たまに取り出してセンチメンタルになることはあっても、その記憶が再び私を傷めつけることは考えにくい。


 もしも私の友人の身の上に起こった話なら、間違いなくこちらの道をすすめると思う。実際、今まで何度か友人の悩み相談に乗って、そのようなアドバイスをしてきたような気もする。しかし、いざ我が身のこととなると、こんなに勇気が必要とは知らなかった。



 ぐるぐる回る思考を抱えてうなっていたら、それを見越したかのようにチヨからスカイプが飛んできた。



「おーい、久しぶり。元気かーい」



 誰にも言うまいと決心したはずなのに、気がついたら私は洗いざらいをチヨにぶちまけていた。



「千夏子はどうしたいの」



 ほんと、それに尽きるのである。シンプルな答案用紙をもらって、頭の中がすっきりした気がする。私はまだ20歳前、こんなことでぐずぐずしているわけにいかない。まずは、私がどうしたいか、それが大前提である。



「まあ、もともと羽根田さんはああいう人だから、いつかやらかさないかと心配してたけど、それでも千夏子が彼を好きで、幸せならいいと思ってた」



 圭吾と付き合い始める前、チヨはしきりに「ヤバい人」だと言っていた。それがとうとう本当になってしまった。チヨが大きなため息をついた。



「せめてバレないようにやってくれたらね」



 それを聞いて、いつか興味本位で参加した合コンのことが思いだされた。一見さわやかな狼青年、池山さんにキスされた罪悪感から、圭吾に対して挙動不審になってしまったことがある。そういえば、圭吾も突然べたべたしてきたり、一緒に住もうと言い出したり、様子がおかしいことが何度かあった。



 もしかすると、圭吾も何か私に言えないようなことがあって、罪の意識に苛まれたのだろうか。浮気した夜は妻に花を買って帰る男の話を聞いたことがある。今となっては真実はわからない。私が圭吾に言わないように、圭吾も私に言わなかったことがあるだけだ。






 ついこの間まで、世界で一番近くにいる存在だと思っていた人が、はるか彼方の他人に思える。みんな恋をして、別れて、また恋をして。こんな思いをくり返しているのだろうか。




 私の初めての恋が、手から零れ落ちそうになっている。寂しくて、寂しくて、走ってどこかへ逃げてしまいたいけれど、どこにも逃げ場なんてないことを、私はすでに知っていた。



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