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おくぶたえ  作者: 水上栞
第一章
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9◆ あゆみのお願いごと



 それからしばらくは何事もなく時間が過ぎ、季節は梅雨を抜けて真夏の7月を迎えた。


 私は生まれて初めての油絵を完成させ、期末試験も何とか平均点前後で切り抜けた。あと何日か汗まみれの電車を我慢して登校すれば、お待ちかねの夏休みがやってくる。特に何の予定も立ててはいないが、あゆみと買い物に出かけるのもいいし、中学の友人とプールにも行きたい。


 そう考えると、自然と足元が軽くなる。大学受験を考えなくてもいい高1の夏は、思い切り遊べるラストチャンスだ。私もせいぜい楽しんでやろう。その時は無邪気にそんなことを思っていた。



「あのさ、話あるんだけど」


「なーに、改まって」



 あゆみが私を駅裏のカフェに誘ったのは、明日が終業式という日の放課後。その日は午前中で授業が終わり、部活もなかったのでランチがてら以前から気になっていた店に行ってみようと、生活指導教師の巡回を恐れながらも二人で足を伸ばしたのだ。



「で、話ってなに」


「あのさ、何度も聞いてごめんなんだけど」


「うん」



 アイスカフェモカのストローを弄びながら、あゆみが上目遣いで私を見る。彼女がこういう顔をするときは、たいていお願いごとのパターンだ。



「千夏子ってホントに射手矢くんのこと、何でもないんだよね」


「何でもないよ、何度もそういったし」


「だったらさ、私、付き合いたいんだ」



 また光太郎の話かよ、と思いながらフォークで突き刺した海老クリームソースのペンネが、あゆみの口から出た一言を聞いてぽたりと皿に落下した。



「え、何?」



 脳ではたぶん理解できているのだが、気持ちがついていかなかったらしい。私は取りあえずソースまみれのフォークを皿に置き、会話の内容を吟味するべく氷の溶けかかったお冷を口に含んだ。



「だから私、射手矢くんと付き合いたいの」


「え、好きなの」


「じゃなかったら言わないでしょ」



 私の間抜け過ぎる質問に、あゆみが完璧に整えた眉をしかめる。彼女はつい先日までユキ先輩命だったはずなのに、なぜ急に光太郎なのかと戸惑っていると、私の困惑を感じ取ったらしくあゆみが自らこれに至った経緯を解説してくれた。



「あの試合の後から気になっちゃってさ」


「あの顔さえよければ、っていう」


「そう。でも、私ずっと射手矢くんは千夏子狙いだって思ってたから、いいなって思ったけど遠慮してたんだよね」


「それで私と光太郎のこと、何度も確認してたんだ」


「うん、でも千夏子が何でもないって言うから、それならいいかって。 やっぱ友達が絡んでくるとさ、けっこう慎重になるわけですよ」



 あゆみはストローで氷をしきりに混ぜている。いつもは物怖じしない彼女だが、それでも今回のカミングアウトはそれなりに緊張したのだろう。私は受け答えに窮してしまい、黙々とランチセットのアイスオレンジティーをすすり上げた。



「この間2年の人が告ったでしょ、だからちょっと焦っちゃって」


「うん」



 うんと言うだけで精一杯だ。正直言って、あゆみが光太郎を好きなんて微塵たりとも気付かなかった。やっぱり私は鈍いのだろう。今思えば、あれだけあからさまにカマをかけられていたというのに。



「で、お願いがあるんだ」


「ややこしいことでなければ」



 何やら不穏な気配を察知して先回りで制したつもりだったが、あゆみはそれにはお構いなしに、本題だと思われる超難題を私に突きつけてきた。



「できれば千夏子から伝えて欲しいんだ」


「それは困るっ」



 確かに私は二人にとっての共通の知人ではあるが、だからといって何で橋渡しをせねばならんのだ。というよりそういう友情ごっこは嫌いだ。伝言で気持ちが伝わるとは思えないし、言われた方だって不愉快だ。少なくとも私はそう思う。しかしあゆみは引き下がらなかった。



「お願い」


「やだよ、そんなの自分で言いなよ。おかしいよ」



 その時、乙女の最終兵器が発動された。あゆみが目を潤ませているのだ。



「私、自分から好きになるの初めてなんだよ」


「ユキ先輩は?」


「先輩はアイドルだよ。憧れと現実は違うよ」



 そういうものかと関心していると、あゆみの目がすっと細められた。さっきまでうるんでいた瞳の中から、鋭い光が私をロックオンしている。



「千夏子やっぱり、射手矢くんのこと好きなんじゃないの」


「んなわけないって」


「だったら伝えてくれてもいいじゃない」


「それとこれとは」



 そんな押し問答が延々と続き、私はとうとう根負けという形で白旗を挙げた。


 せっかくのランチも何を食べたのかわからないほどぐったりして帰った私に、その後起こった一連の出来事は、忘れられない痛みを胸に刻みつけた。あゆみが私に橋渡しを頼んだのは、初めての告白に戸惑う可憐な乙女心からではなく、もっと根の深い別の目的があったのだ。



 お願いの達人は同時にクレバーな策士でもあった。私がそのことに気づかされたのは、傷ついて苦しんで、体中の涙を流しきった後のことだった。


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