20◆ 20歳の記念旅行
「どう、似合う?」
「……」
はっきり言って怖い、と思ったが本人がご満悦な様子なので黙っておいた。2分ほど前に目出度く羽根田圭吾氏は20歳をお迎えになり、そのカウントダウンが終わるやいなや、私は圭吾にエイとばかり用意していたプレゼントを突き出した。
あれこれ迷ったのだが、運転するときいつも西陽を眩しがるのでサングラスに決めた。たしか某アーティストも愛用しているとかいうイタリア製のもので、薄い色ながらミラー仕上げでめちゃくちゃカッコいい。ただし、強面の圭吾がかけるとこれほど悪人面になるとは。それだけは私の計算違いだった。
「すっげ嬉しい、なんか芸能人っぽい」
鏡の前でポーズを決めて圭吾は大喜びだ。私の誕生日にくれたペリドットのインパクトには及ばないが、これでもバイト代をコツコツ貯めて奮発したのだ。せいぜい大事に使ってもらおう。
くれぐれもどこかに忘れてくる事がないように、と言うと圭吾はサングラスのまま「ラジャ!」と敬礼した。真っ裸にサングラスで敬礼されても、どうリアクションしていいものか。とは言え、20歳になっても出会った頃と変わらない無邪気な彼を見ていると、心が安堵で満たされる。
願わくば来年も、二人で笑いながらこの日を迎えられますように。窓の外で響く潮騒に揺られながら、私たちはシーツに包まり安らかな気持ちでバースデーナイトを過ごした。
翌朝はほどよい晴れ具合で、爽やかな秋の一日を予感させた。私たちは現在、鎌倉に旅行に来ている。圭吾いわく「20歳の記念旅行」だそうで、昨日はお約束の大仏様などを見て、今日は三浦半島を回った後、私の家までロングドライブしつつ送り届けてもらう予定だ。
もちろん貧乏学生同士の旅なので、宿泊も安いホテルの平日割引だし、食事だってそうそう贅沢は望めない。しかし、そんな事はどうでも良かった。全開にした窓から流れ込む潮風に吹かれて海岸線を走っていると、思わず声をあげてしまいそうな爽快感に包まれる。
早速サングラスをかけて隣で運転している圭吾も、鼻歌まじりで楽しそうだ。平凡な表現だが、心から「幸せだなあ」という充実感が込み上げてくる。きっとこの先、何年経っても私は海岸線を車で走るたび、この日の事を思い出すだろう。
逗子から葉山に向かう途中に感じのいいカフェがあったので、私たちはそこで遅めのランチを取り、そのまま駐車場に車を置いて砂浜に下りてみる事にした。時刻は午後3時。平日の秋の海は人影もまばらで、時おり犬を連れた人が通りかかる程度だ。
「ごめんね、圭吾にばっかり運転させて」
「いいって。俺、運転好きだから」
「私も就職の前に免許取らなきゃね」
「就職か」
圭吾は傷のある方の眉毛をぴくりと上げて、何やら気に入らなさそうな表情で私の手をぐいっと引っ張った。急に引かれたので、よろめいて圭吾の胸に倒れこむ。そのまま彼は長い腕で私を拘束してしまった。
「また千夏子が遠くに行くな」
「え、行かないよ、たぶん地元だよ」
圭吾の腕に少し力が込められた。ワッフル織のVネックシャツのその向うで、彼の心臓が少し早めの鼓動を刻んでいるのが頬に伝わってくる。
「今だって俺の知らない世界で生活してるのに、社会に出たら千夏子が遠くに行ってしまう気がする」
「ちょっとそれ圭吾でしょ。圭吾が私の知らないところで生活してるんじゃない」
「……」
「圭吾?」
顔を上げて圭吾を見ると、サングラスの奥の眸が真剣な色を帯びていた。圭吾は長い息を吐き出すと、「歩きながら話そう」と言って再び私の手を取った。私はただ黙ってそれに従ったが、ようやく彼が口を開いたのは歩き始めて優に5分は経過した頃だった。
「もうちょっと先になってから言おうって思ってたんだけど、もう勢いで言うわ、腹に溜めとくのも何だしな」
何を言われるのか全く予想がつかないので少し怖かったが、別れ話ではなさそうだったので、私は無言で頷いた。
「一緒に暮らさないか、俺たち」
「え?」
「千夏子が卒業したら。一緒に住もう、ちょっと狭いけど、東京の俺の部屋で、俺が卒業するまで」
あまりに突然の事なので、どう答えていいのか戸惑う私に、圭吾は「いきなりでごめん」と照れくさそうに笑い、もう一回大きく息を吐き出した。
「俺、正直もうしんどい、離れてるのが。いくら車があっても、近くに千夏子がいないと無理」
ようやく圭吾の言っている意味が飲み込めた。あの小さなキッチンで料理をして圭吾の帰りを待つ自分の姿が頭に浮かび、一瞬ふわふわした気分になりそうになったが、次の瞬間には現実に引き戻されてしまった。
もしも圭吾と一緒に暮らすなら、私は卒業と同時に東京に行き、その一年後には地元に帰って来ることになる。しかし今の私は学校の授業に思いのほか手ごたえを感じていたし、ぜひとも長く働ける会社でスキルを生かしてみたいと思っていた。
二人暮しは魅力的な響きだが、一年の蜜月と引きかえに仕事のスタート地点で出遅れるのは怖い。そんな私の戸惑いを感じたのだろう、圭吾が表情を和らげて私を拘束から一旦解放した。
「勝手なこと言ってんのは、わかってる。千夏子にだって都合があるしな、でも一応考えてみて」
私は曖昧に頷き、圭吾に手を引かれて車に戻った。ナビシートに座って窓から海を眺めると、浜に下りた時には高かった太陽が、もう日没の気配を漂わせ始めている。秋が来たのだ。うかうかしているとすぐに年が明け春になり、そのうち私はあらゆる意味で最終決断を迫られる。
学生というモラトリアムから追放されるまであと僅か。社会へ続く最後のドアの前で、私は途方に暮れていた。キャリアを目指すか恋に走るか。端から見ればきっと贅沢な悩みなのだと思う。そのどちらも持ち合わせていない人々が、世の中にはごまんといるのだから。




