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おくぶたえ  作者: 水上栞
第一章
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7◆ 人類はカレーには勝てない



 私はきりりと表情を引き締め、窓から体を乗り出しているちっさい男を睨みつけた。



「無理。私もこれから用事あるし」


「えー」


「えー、じゃないよ。自分で持って帰りゃいいでしょ」


「打ち上げの後、友だちの家に泊まるんだよ」



 光太郎が情けない声を出す。この暑苦しい梅雨時に、まる一日放置された袋の中身がどんな発酵を遂げるか、考えただけでもオカルトの世界だ。


 私が試合を見に来なければ、こいつはこの荷物をどうしていたのか。いや、私を見つけたからお泊り決行になったと考える方が正しいだろう。そう結論付けるとますます冷たい態度を取りたくなった。



「それって光太郎の都合じゃない、だったら自力で何とかしなよ」


「チカ~」


「学校で話しかけるな、って言ったの誰だっけ」


「誰も見てないじゃん、へーきへーき」



 私があくまでも拒否の姿勢で構えていると、そのうち奴が切り札を出してきた。



「今日、紗江姉がカレー作ってるぞ、俺んち」


「まじで!」



 私がエサに反応した瞬間、光太郎が勝ち誇ったような顔をした。外より更衣室の床の方が高いため、いつもより高みから見下ろされている事も加わり、けっこうムカつく。しかし今は紗江さんのカレーが優先だ。瑣末な問題は取りあえず後回しにすることにして、私はごくりと唾を飲み込んだ。



「食べさせてもらえるかな、私」



 光太郎の二人の姉のうち長姉の紗江さんは、大学の3回生で清楚な美人である。そのうえ彼女はべらぼうに料理が上手で、中でもルーを一切使わず玉ねぎと紅茶で煮込むカレーは、専門店でもそうそう食べられないほどの絶品だ。


 ただし気まぐれな素人シェフであるが故に、数ヶ月に1回登場するかどうかの幻のメニューであり、それにありつけるなら私は、腐れユニフォームどころか死体だって運びかねない。それほど紗江さんカレーは美味いのだ。



「今日、この荷物届けてくれたら、間違いなくゴチじゃね」



 結局、光太郎のエサで私は荷物運びを引き受けることとなり、学校指定のサブバックを肩にかけたまま片手に傘、片手にビニール袋というてんこ盛りの格好で、あゆみの待つ体育館通用口へ戻った。


 さっきは数十人いた人垣はすでに解散したようで、あゆみがピンクの傘をくるくる回しながらつまらなそうに立っている。



「ユキ先輩、ぜんぜん見えなかったよ」



 私の顔を見つけ、あゆみが頬を膨らませる。彼女の王子は一瞬のうちに通り過ぎてしまい、取り巻きの上級生のガードで追いかけることも難しかったそうだ。


 試合のたびにこれでは、先輩本人もさぞやお疲れのことだろう。朝から晩まで誰かに追っかけられていては、プライバシーも何もあったものではない。健康な高校生男子であるからには、人に見られたくない買い物のひとつやふたつあるだろうに。


 私は自由な庶民でよかったと、こういう時だけは平凡な我が身を有難く思う。



「それ、射手矢くんの?」



 あゆみが目ざとく私の手に持っているビニール袋に目をつけた。彼女には私たちの関係がただのご近所さんだということは知らせてあるが、洗濯物を運ぶ行為はどことなく世話女房チックな香りがする。私は変な誤解を招かないよう、わざと困った風な顔をして大仰にため息をついた。



「いやー、食い物でつられちゃってさー」


「うん、見てた。仲いいね、キミたち」



 こやつ、侮るべからず。ユキ先輩の出待ちをしながら、いつの間に私の動きをチェックしていたのか。あゆみが非常に好奇心旺盛な性格であることには気づいていたが、ここまで鼻が利くとは思わなかった。



「けっこうかっこいいよね、射手矢くんって」


「顔だけ見たらそうかもだけど、子供みたいじゃない?」


「いやいや、あれだけ顔が良ければ背なんて」



「見てた」と言われた時には、立ち聞きされた事に対する小さな憤りと気恥ずかしさが胸に燻っていたが、あゆみの屈託のない笑顔で鎮火されてしまった。この子は得な性格だ。自己中心的でありながら敵を作らない要領の良さがある。


 取りあえずは、私たちの男の好みがかぶらない事を確認できて良かった。女の友情を長続きさせるには、そこらへんは極めて重要なポイントだ。



 そんな私たちの様子を、と言うよりあゆみよりもっと前から私と光太郎のやり取りの一部始終を、まさかもっさり頭の11番さんが体育用具室の中から見ていたなんて。そのことは、ずっと後になって本人の口から教えられるまで、まったく私は知りもしなかった。



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