4◆ ターニングポイント
翌日は夕方から通夜が営まれ、我が家の一階の和室が急ごしらえの弔問の間となった。父は寡黙な人だったが人望は厚かったようで、会社の人や学生時代からの旧友など、多くの弔問客が入れ替わり立ち代り訪れてはあまりに早い死を嘆いた。
救われたのは、射手矢家の面々やあゆみ、そして圭吾が来てくれた事だ。圭吾は昨夜、電話で父の急逝を伝えたら絶句し、急遽バイトや部活を繰り合わせて東京から戻って来た。
「千夏子、大丈夫か」
「大丈夫だよ、何とかね」
「嘘つけ、全然大丈夫じゃないだろ」
親戚から借りたという喪服は丈が短く、格好付けの圭吾には有り得ないデザインだったが、彼の姿を見た瞬間、暖かい毛布で包まれたような気持になった。自分ではしっかりしていたつもりでも、実際はひどく消耗していたらしい。
自分の部屋に入って圭吾にもたれかかった途端、滝のように涙が溢れ出した。漠然とした不安に押しつぶされそうになるのを、弱りきった母に悟られまいと必死で堪えていた。そんな私を慰めるように圭吾は黙って背中をさすってくれている。その手の温もりが何より有り難かった。
泣ける胸がある贅沢を思い切り享受して、今だけは遠慮なく甘やかしてもらおうと思う。また明日からしっかり者の私に戻って、家族と一緒に悲しみを乗り越えるために。
そのしばらくは葬儀や初七日、親戚への挨拶などで慌しく過ぎ、心身ともにクタクタになる毎日が続いた。大切な人間を失ったというのにゆっくり悲しむ暇もない。いや、かえってその方が気が紛れて良いのかもしれない。人類にとって葬儀とは、残された人間に踏ん切りをつけさせる儀式でもあるのだと思う。
そんなわけで、私がようやく学校へ顔を出したのが通夜の翌週。開いたノートの片隅に「ヘッドホンかブレスレット」と書いてあるのを見て、圭吾の誕生日がもうすぐなことを思い出した。慌てて休み時間にメッセージでプレゼントの希望を訊ねたが、逆に気を遣われてしまった。
『俺のことはどうでもいい。でも、思い出してくれてありがとう。その気持だけで腹いっぱい。近くにいてやれなくてごめん。気疲れして体こわすな。何かあったらすぐ相談するように』
文面から圭吾の手の温もりが滲んでくるようで、鼻の奥がツンとした。実は圭吾にはまだ言っていない事がある。それはここしばらく考えていたことで、父の死をきっかけに腹が決まった。圭吾にはこのゴタゴタが終わってから改めて会って伝えようと思っている。
母には49日が終わったタイミングで打ち明けた。法要の後、近しい親族で今後の生活について家族会議をしていた最中だった。
「私、大学じゃなくて専門学校に行こうと思う」
それを聞いて母は猛反対した。住宅ローンは団体信用生命保険に加入していたため、返済の義務がなくなるし、遺族年金や生命保険で生活には困らない。私と弟を大学まで出す経済環境は整っていると力説した。私がお金の心配でそう言いだしたと思ったらしい。
「違うの、お金の問題じゃないの」
つつましく生活すれば、なんとかなるのは知っている。親戚だってサポートしてくれるだろう。しかし、これから佐藤家が母を中心に団結して新しい生活を作っていく中で、たいして目標もない4年制大学に行く意味が見つからなかった。それより、10年後、20年後の自分を想像して、より現実的なスキルを身に着けたいと思ったのだ。
「将来は美術やデザイン系の会社に就職しようと思ってる。そのために一番有利なのは専門学校なの。何より私がやりたいことなの」
母は最後まで大学をすすめたが、私の決心は固かった。専門学校の就学期間は2年。弟の入学と入れ替えに私が就職すれば、少しだが家に生活費だって入れられる。進学を予定していた大学には、学びたい科目がないのだから、専門学校に行きながら資格取得をした方が有利ではないか。要するに名より実を取ったのだ。そう言うとようやく母は折れてくれた。
「千夏子がそんなことを考えてたの知らなかった」
「私の中でもようやく決まったことだから。ほんと、ぎりぎりでごめんね」
目の前でまだ戸惑っている母を見て思う。この人はこんなに小さくて頼りない人だっただろうか。そして私はこんなに現実的な人間だっただろうか。父という支えとともに、将来の地図さえも失ってしまった母。彼女が弱くなるなら私が強くなるまでだ。そのうち時間がきっと味方してくれるだろう。
ひとつだけ悲しいと言えば来年の春、私の卒業と同時に住み慣れた小牧台を離れることになった。親戚に近い場所の方が何かと安心ということで、母祖父母の家から車で5分ほどの、叔父の所有するマンションに引越しする予定だ。
地理的にはそれほど離れていないので弟は転校せずに済むのだが、家族で10年以上暮らした環境を手放すことになる。正直言って寂しいなんてもんじゃない。去年引っ越して行ったチヨもこんな気持だったのかと思うと、胸の奥が痛くなった。
人生はいつ転機が訪れるかわからないというが、私の場合はきっと今が生涯初のターニングポイントだろう。鏡の中の相変わらず平凡な顔に「踏ん張れ、根性だせ」と気合を入れてみる。カラ元気も元気のうちだし、作り笑顔も笑顔のうちだ。それで歩いていけるなら、私は喜んで嘘吐きになろう。
しかし「負けないよ」と鏡に向かって表情を引き締めながら、本当は弱虫小僧の私は、圭吾に会いたくて今にも泣き出しそうだった。




