1◆ 圭吾の新生活
出発の日は新幹線の駅までは行かず、地元の駅で見送りした。どっちにしても電車がホームを離れる瞬間は辛い。新幹線駅から小牧台までは約40分。帰り道、泣きたいのを堪えるには少々しんどい距離である。
圭吾は最後に私を自販機の陰に引っ張りこんで、甘えるようなハグをした。交換したお互いのペアリングが胸元のチェーンで揺れる。私の背中に指を食い込ませたまま、圭吾が耳たぶに囁いた。
「いってまいります」
そんな見送りから3週間。ようやく虚脱状態から抜け出した頃に、始業式がやってきた。ついこの間高校生になったと思ったらもう最終学年だ。2年から持ち上がりのクラスはメンバーこそ変わりないが、なんだか学校の風景が違って見える。
それは圭吾がいない校舎の温度の低さのせいか、追い込みに入った私たちの気の持ちようのせいか。どちらにしても学校は私にとってそれほど魅力的な場所ではなくなっていた。夏のコンクール作品を仕上げたら美術部も引退するつもりだ。
もっとも、圭吾の部活がなくなってからは殆ど顔を出していなかったので、幽霊部員の汚名を拭うためにも、最後の作品は気合を入れて取り掛かろうと思う。
「千夏子、羽根田さんから連絡あんの?」
「うーん、メッセージは一応毎日来るけど、電話は減った」
「おお、早くも遠恋の試練だね」
あゆみが意味深にふふんと笑う。最近、彼女は例のインストラクターさんといい感じだそうで、ごきげんな毎日だ。連絡がだんだん減ってきているのは元気な証拠と思いたいが、新生活を謳歌しているあちらと違って、見飽きた学舎で受験に追われながら待つ身はつらい。
「いろいろやることあるんだよ、一年生は」
そう言って学食のカツカレーに大口開けて喰らいつく。圭吾はこれが好きだったなぁなんて思い出し、不覚にも涙がわいてきそうになった。私もそろそろ限界が近い。
毎月帰ると言っていた圭吾は、1ヶ月目には約束どおり帰ってきたものの、以後はナッシング。理由はわかっている。欲張り過ぎなのだ。
早く単位を履修してしまえば、就活がない圭吾は4年生の大半が暇になるので地元で過ごせる。そのためギチギチに授業を詰め込み、さらにはバスケも続ける事にした。これでは私の分け前なんて残るはずがない。しかも今度はバイトまで入れると言い出した。こうなると構ってもらえない不満を通り越し、身体の事が心配になってくる。
「バイトする時間なんてあるの?」
「バスケ終わってからする、仮眠とかもできるし。夜の方が自給が高いから、俺には都合がいい」
聞けばもう彼はバイトを決めてきたらしい。職種は夜間のビル警備員と言っていた。けっこうキツそうな仕事だ。しかしただでも忙しいのに、何でバイトまでする気になったのだろう
「金、いるんだよ。教習所行かなきゃなんねーだろ」
カチンときた。この期に及んで教習所までブッキングですか。そりゃあこっちに帰る暇なんかないでしょうよ。
しかし何よりムカついたのは、その口調が楽しそうな事だ。離れた直後はあれほど「寂しくて死ぬ」と喚いていた男が、ちゃっかり新しい生活に馴染んでいるのが腹立たしくて仕方がない。
「楽しそうだね、大学生活」
「まあ思ったよりは快適かもな」
「だったらずっとそっちで暮らせば」
そう言い捨てて電源を切ってしまった。私だって圭吾がいない毎日を泣き暮らしているわけでもないし、友人とそれなりに楽しくやってはいるが、彼が何より最優先だ。しかしこればかりは「同じ情熱を持て」と押し付ける事もままならず、私は一人じれじれと日々を過ごすしかない。
一緒にいる頃は圭吾のほうが押せ押せモードだったのに、いつの間にか私は追う女になってしまった。取りあえず明日、電源を入れたら届いているであろう圭吾からのご機嫌伺いメールを冷たくあしらい、再び優位に返り咲いてやる。そう意気込んでいた私のスマホには、翌朝何も残されてはいなかった。
「もうダメかもしれない」
「千夏子、何言ってんのそれくらいで。もうすぐ夏休みなんだから押しかけ女房しちゃいなよ」
「受験生が夏休みに旅行なんてできないよ」
「その気になりゃ日帰りだってできるよ、会わなきゃダメだってば」
結局、あれから圭吾から連絡は来ず、反対に私が謝罪メッセージを送る羽目になった。しかし返ってきたレスは温度の低さ丸出しで、早くも遠恋の難しさを総身で味わっている。
そんな私を見かねてあゆみが東京行きを勧めてくれたが、正直そこまで攻めに転じると重たい女と思われそうで怖い。しかし会いたい気持はもう限界だ。ここはひとつ自分に素直になることにして、私は7月の終わりのある土曜日、早朝に小牧台を出て圭吾の暮らす東京の郊外都市へと向かった。




