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おくぶたえ  作者: 水上栞
第三章
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23◆ 切ない卒業式

 


 圭吾の出発は卒業式から1週間後に決定した。もう私たちが同じ高校に在籍できるのもあとわずか。圭吾の部屋で引越しの片付けを手伝いながら、あと一回着るだけになってしまった制服を眺めていると、じわっと涙が溢れてきた。


 いつも格好つけて着崩していた、その制服の裏地には「Chikako」と小さな刺繍がある。一緒にお弁当を食べたり、自転車置き場でこっそりキスしたり。圭吾と過ごした毎日は、私の大切な宝物だ。もう一年私は高校生活を送るけれど、彼がいない風景はきっと私から色彩を奪ってしまうだろう。



「なるべくしょっちゅう帰ってくるよ。パソコンにチャットも入れたし」



 現代は距離を埋め合わせるツールが溢れているが、それらは触れ合う体温のかわりにはならない。たった数日会えないだけでどうにかなりそうだった私たちが、月に1回会えるか会えないかの暮らしの中で、どんな折り合いをつけていくのか。



 東京は決して遠くない。電車を乗り継いで二時間強の距離など、通勤している人だっているくらいだ。しかしアクセスの遠近以前に、生活圏が別れることが不安でならない。私たちが初めて二人で旅して、心と身体を繋げた思い出の街で、私の知らない圭吾の生活が始まる。そして同時に圭吾の知らない私の生活もスタートするのだ。




 圭吾が壁のバスケットリングを取り外している。東京の新居に持って行くのだそうだ。この部屋から彼の気配が薄れていくのが寂しくてならない。荷物がひとつパッキンの中に収められるたび、圭吾との距離が離れる気がして辛かったが、いつかこの瞬間を笑い話にできる未来を信じようと思う。



「ほんとは千夏子を持っていきたいんだけどな」



 本格的に泣きそうになってきたので、私は圭吾に指を突きつけ、女王様のような口調で命令した。



「そのリング、置いていきなさいよ」



 椅子の上に立ってリングのボルトを外していた圭吾が振り向く。



「私を置いてくんならそれも置いてってよ。東京で根っこが生えないように、大事なものは全部置いてって」



 圭吾が椅子から降りて私を抱き寄せた。私も彼の痩せっぽちな背中を抱き締める。いつしか慣れ親しんだ腕の強さや洗剤の匂い、耳元で私の名を呼ぶ少し掠れた声、そのすべてを体中に刻み込んでしまいたい。






 卒業式は花曇という言葉が相応しい天気だった。私は体育館に並んだ在校生席から、壇上で証書をもらう圭吾を眺めて不思議な気分を味わっていた。あの時、駅ビルで会わなければ知らない卒業生であった圭吾が、今や私の人生の最重要人物になっているのだから縁とは不思議なものだ。



 式が終わった後、人ごみの中を圭吾を探して歩いていると、体育館とプールの間の通路で向かい合う圭吾と高須さんを見つけて足が固まった。



 別に隠れなくてもいいのにと思いつつ、物陰からそっと二人の様子を伺う。何だか私が入り込めない空気を感じる。それを見て少なからず動揺したことは事実だが、何しろ私と出会う前は恋人だった二人だ。お別れの言葉くらい大目に見ようと思っていたら、突然高須さんが圭吾に抱きついた。


 圭吾は少し困った様子で首を横に振っている。何か懇願されているらしい。そうなると想像できることは決まってくる。心の中で「やめて」と祈りつつ見守っていると、圭吾が高須さんの肩を押して引き離し、彼女の頭のてっぺんに小さなキスを落とした。



 ショックだった。本人としては下心のかけらもない別れの挨拶なのだろうが、圭吾のそういう博愛体質が彼女である私には非常に辛い。そのくせ私が同じ事をすると、烈火の如く怒るのだ。せっかくの卒業式に不機嫌な顔で見送るのはいやだが、笑顔でいる気力が失せた。


 こんな気持のまま圭吾に会うのは辛かったので、中庭のベンチでしんみりしていたら、いつの間にか博愛大魔王が私の前に回りこんでいた。



「千夏子、泣いた?」


「え、どうして」


「目の下が黒くなってる、初めて話した時と同じ」



 圭吾は卒業式で私が泣いたと勘違いしているようだ。ならば説明するのも面倒なので、このまま勘違いさせておく。もうすぐ離れ離れになるのにケンカなどしたくないし、どうせ彼にはどう言っても理解できない。きっと今後も彼の女に対する甘さに関しては苦労させられるだろう。しかし、私を失わないためのラインはきちんと引くと信じている。


 そう思っていたら圭吾が私の片手を取って、何か小さな固いものを掌に握らせた。見てみるとそれは、ブレザーのボタンだった。


「第2ボタンは何とかキープいたしました、姫」



 第2どころか袖ボタンまで全てもぎ取られたブレザーは、格好付けの圭吾の最後の制服姿にしては間抜けなことこの上ない。それが何だかおかしくて、今度はさっきと違う涙がにじんできた。


 この男はいつも私を困らせて、それなのに嫌いになれない。まったくとんでもない悪魔につかまってしまった。私は意地で涙を堪えてにっこり笑うと、高須さんに負けないくらい派手に圭吾に抱きついてやった。



「圭吾、この制服ちょうだい、脱いだらすぐちょうだい」


「おっしゃ、来年お前のと交換条件な」



 校内で堂々と抱き合う私たちを、大勢の人間がひやかして通り過ぎたが、こうなったらもう開き直ってしまうが勝ちだ。


 圭吾のボタンをむしった女たち、および高須先輩へ告ぐ。たった今、羽根田圭吾は一年先まで予約が埋まりました。特に支障がない限り自動更新する所存にございますので、とっとと諦めて退散しやがれ。この男は私のものだ、髪の毛の一本だって分けてやるものか。



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