20◆ ブルーグラス
昨日まで使い捨てカイロ2個装着だったのが嘘のようだ。「こっちは雪よ」と電話口で震える母に「私は半袖」と威張って言う。別に暖かい方が偉いわけではないのだが、せっかく沖縄に来ているのだ。南国気分を思い切り堪能して帰らなければ。
母との通話を切った私は、今度は圭吾の番号を呼び出した。ただいま修学旅行2日目。私たちは激寒の本州を離れ、那覇で高校最後のイベントを楽しんでいた。
「遅い、遅い、遅ーーーーい」
圭吾の不服そうな声が耳に飛び込んできた。今回は夜の自由時間以外はスマホ使用が許可されていないため、なかなか電話のチャンスがなかったのだ。
そう言う圭吾も、去年の今ごろは修学旅行だったはず。ちょうど付き合う直前で、私が圭吾に対する気持ちをハッキリ認めた頃だ。思えばあの頃がいちばんドキドキしていたような気がする。少女漫画の世界だった。今はすっかりお笑いモードの二人に成り果てているけれど。
「浮気してないよな、まさかだけど」
「またそれですか、兄サン」
1年の研修旅行の時にも圭吾は同じ事を言っていた。光太郎に対する警戒は、いまだ解けていないのだろうか。
確かに昔、奴は私を狙っていたかもしれないが、圭吾と付き合ってもう1年も経つ。そろそろ安心してくれてもいい頃なのに。その時、耳元でピーという電子音が聞こえた。充電があと5%しかない。私は慌てて圭吾におやすみの挨拶をした。
「じゃあ、明日帰るから。お土産待っててね」
「お土産いらない、千夏子喰わせろ」
「はいはい、泡盛買って帰るから、おやすみー」
「殺す気かよ」
そこで電池が切れたので、そのままロビーに出て土産物を探すことにした。観光地だけあってホテルのショップはコンビニくらいの広さがあり、お菓子からサーフボードまでよりどりみどりの品揃えだ。さすがに下戸の圭吾に泡盛は無理なので、何か甘いものでもと思っていたら、琉球ガラスでできたきれいなグラスが目に入った。
それは沖縄の空と海に染められた様なセルリアンブルーで、値段は少々高かったものの、そのきれいな青を圭吾が気に入りそうで、私は一目散にレジに向かった。我ながら甘いなと思うが、それでも圭吾の喜ぶ顔を想像したら心が弾む。釣り目の強面が、ふにゃっとファニーフェイスになる瞬間、それが私の一番好きな圭吾の表情なのだ。
土産ショップの袋を持って部屋に帰ろうとしたら、エレベーターの前でバッタリ光太郎に出くわした。奴もエレベーター待ちらしく、ボタンをしきりに押している。変に気が短い所は子供の頃から変わっていない。最近、奴が遊び始めてからは殆ど話をする事もなくなったが、その仕草があまりに子供じみていたので、私は思わず背後から声をかけずにはいられなかった。
「いっぱい押しても早く来ないよ」
私の声に光太郎が振り向いた。一時のアッシュグレイはやはり学校からNGが出たらしく元の黒髪に戻っているが、何だか顔つきが変わったように思える。多少痩せたのかもしれない。背は相変わらず伸び悩みのようだが。
「んだよ」
「んだよ、じゃないよ、あんたお土産ちゃんと買ったの」
「買ったよ」
「何買ったの」
「ちんすこう」
「ベタすぎでしょ」
「紅いも系で」とリクエストしていた紗江さんと由佳里ちゃんからは、きっとブーイングが出るだろう。だいたい光太郎はそこらへんが気が利かない男だ。恐らくは目に付いたものを適当に選んだに違いない。
服だって手近にあるものを考えなしに着るので、上下迷彩で自衛隊のようになったり、ボーダーとチェックで柄柄クンになったり。ボタンの開け方にまでこだわる圭吾とは大違いだ。ただし、あれも時には鬱陶しい。足して二で割れば丁度いいのに。
そのうちエレベーターが来て乗り込み、私たちの学校が借り切っている3階フロアに着いた。光太郎の部屋は降り口からほど近い4人部屋で、「じゃあね」と言って私が自分の部屋に向かおうとしたその背中で、「やべ」という声と舌打ちが聞こえた。振り向くと、光太郎がドアノブをガチャガチャいわせている。
「もしかして鍵がないの?」
「ない」
聞けば光太郎はうっかり鍵を持たずに出て、その間に同室の仲間が留守にしてしまったらしい。ホテルは自動ロックなので、こうなると誰かが帰ってくるまで待つしかない。仕方なく私たちは自販機コーナーで待つ事にした。光太郎は一人で平気だと言ったが、テレビも漫画もない所で奴が間を持たせられるはずがない。私はシークワーサーのエードを買って合皮のスツールに腰掛けた。
「ねえ、バイトまだしてるんだって」
光太郎は嫌そうな顔をしてこちらをチラ見した。何でお前が知っているのかとでも言いたげな表情だ。私はいい機会だと思って、ダメモトで光太郎の昨今の行動の原因について斬り込んでみることにした。
「そろそろ本腰入れて勉強しないとヤバくない?」
「俺、大学行かねーし関係ない」
「じゃあ、就職すんの」
「さあね、しばらくは今のバイト先で働くんじゃね?」
「バイト先に好きな子でもいるとか」
光太郎がものすごい勢いでこっちを向いた。目が大きく見開かれている。図星だったのだ。圭吾の勘が当たった。やはり男同士だと通じるものがあるのかもしれない。そのまま光太郎が無言でいるので、私はその推理に至る経緯を白状した。
「ごめん、本当は光太郎のバイト先、見に行ったんだ。そしたらキレイなお姉さんと仲良さそうにしてたから」
光太郎はそれを聞くと手元のカップに視線を移し、大仰に溜息をついた。そしてしばらく何かを考えるような顔をしていたが、やがて重たい口を開いた。
「だったらどうなんだよ」
意外な事に光太郎はアッサリと彼女への好意を認めた。しかし彼女と光太郎では吊り合いが取れていないのは明らかだ。とは言え恋愛には予想外の展開も往々にしてある。まさかとは思ったが、私は二人の関係を問わずにはいられなかった。
「付き合ってんの?」
「んなわけねえ、相手にもされてないし。あの人、男いるし。うちの店長」
「店長の彼女?」
「うんにゃ、愛人。いや、元愛人のはずなんだけど」
思わずカップを取り落としそうになった。まさか幼なじみの口から「愛人」という言葉が出てくるなんて。




