16◆ ほかの誰でもない
なんとか煮え立つ脳をクールダウンし、圭吾をするどく見据えた。絶対に繰り返したくないので、つい口調がきつくなる。
「圭吾が女にヘラヘラするから勘違いされるんだよ」
「ごめん、もうしない、約束する」
「あの女、どうすんのよ」
「俺、予備校の曜日変えようと思う」
「でもまた変わった先で同じタイプの女がいたら」
「今度こそキッパリお断りする、ほんとに」
圭吾が犬なら耳が垂れていただろう。しょんぼりと肩を落として許しを乞う姿はグッとくるものがあったが、ここで手綱を緩めるわけにはいかない。私はダメ押しで圭吾に「もしも」の場合の引導をチラつかせておいた。
「今度こんな事があったら別れるから」
「わかった」
「冗談でも何でもなく、ほんとに別れるから。私以外の女の子といちゃつく彼氏なんていらない!」
「ほんとごめん」
釈然とはしないものの、今の圭吾にはこれが精一杯のお仕置きだろう。今まで遊びで付き合ってきた相手の時は、関係を修復する努力さえした事がないはずだ。とにかく今回だけは我慢しようと思ったその時、自分にも似たような経験があることを思い出した。
光太郎に無理矢理されたキスの事は、付き合う以前の事なので圭吾には言っていない。しかし自分の後輩と彼女の間にそういう過去があったと知ればいい気はしないだろう。特に光太郎は圭吾にとって油断ならない相手ときている。いい気がしないどころかブチきれてしまうかもしれない。
自分の事を棚に上げて圭吾ばかりを責めた気がして、私はチクチクとした罪悪感を覚えた。
「叩いてごめん」
「いや、叩かれて当たり前だし、千夏子が謝んなよ」
ケンカのムードを一掃して、いつもの二人に戻りたいけれど、さっきまでウエメセで怒っていた照れくささがあり、私はしれっとした態度で話題を切り替えた。
「来週のお誕生日、どうしよっか」
しょんぼりしていた大型犬に、「よし」の号令がかかったように、圭吾の顔が輝いた。
「許してくれんの、おれのこと」
「どこか行きたいとこある?」
「千夏子、俺やっぱお前大好き」
噛み合わない会話の中に、私たちの不器用な真実がある。大切で、失いたくなくて、でもそれを守るにはあまりにも無力で。
一生懸命になればなるほど転んでしまうのは、成長期の子供とおんなじだ。私は圭吾の手をギュッと握った。たちまち倍の力で握り返され、「痛いよ」と言ったら「俺の気持」と八重歯が光った。圭吾の気持は痛い。痛くて重いけれど私には絶対に必要な枷でもある。
私たちはお互いの隙間を埋めるように抱き合い、噛み付くようなキスをした。小学生が見ていたって構うものか。あのミニスカ女がどんなに頑張っても、これと同じキスはできない。私たちのキスは挨拶でもセックスの前戯でもない。互いを与えて奪い合う、羽根田圭吾と佐藤千夏子の存在証明であるのだ。




