15◆ 脇の甘い男
駅前の交差点を渡ろうとした直前で、圭吾が私に追いついた。あんなに腹立たしかった相手なのに、つかまえてもらってホッとしている自分に嫌気がさす。
こんなことで別れたくなんてない、お願いだから私を納得させて欲しい。嘘は御免だが、聞いて辛い部分にはなるべく蓋をして、どうにか昨日の二人に戻れる言い訳を上手に見繕ってくれと、縋るような思いで圭吾に振り向いた。
「離してよ、バカ!バカ圭吾!!」
「ちょっと待てよ、俺何にもしてねーだろ!」
「女の子といちゃいちゃしてたじゃない、バカ!」
「あんなの、向こうが勝手にしてきただけだろ」
「ハッキリやめろって言わないからでしょ!自分が逆の立場だったら許せるわけ?」
私の腕をつかんでいた圭吾の手が緩んだ。言われたとおり、私が他の男といちゃついている所をシュミレーションしているようだ。やがて圭吾は首を横に振ると、険しい面持ちで「無理」と呻いて額に手を当ててしまった。
「絶対に無理、相手の男ボコるどころじゃ済まねー」
「だったら私がどんな気持ちかわかるでしょ。自分がやられて嫌なことは相手にもやんないのが常識じゃないの」
「ごめん」
「だいたい、圭吾は女にガードが緩すぎるんだよ!彼女いるから触んなって、どうしてバシっと言えないの」
「ごめん、ほんとに」
「だいたい、あの女、誰なのよ!」
圭吾がうなだれ、私が優位に立った。彼が白状したところによるとあのミニスカは昔、何度か遊んだ相手なのだそうだ。ここしばらくは全く音信不通だったが偶然にも予備校で再会し、それ以来何かと圭吾にちょっかいをかけてくるらしい。
圭吾の言う「遊んだ」とは、「エッチした」という事だ。そんな相手がこの夏以降、彼の近くにいてお誘いをかけていたなんて。止まっていた涙がまた溢れてくる。とうとう私は我慢しきれなくなって、とどめの一発をお見舞いした。
「キスしたでしょ、あの子と」
「えっ」
「見てた人がいるんだよ、キスしてたでしょ!」
流れる沈黙の長さが肯定の証拠だ。私は圭吾の手を振り解くと、思い切り平手打ちを喰らわした。乾いた音が歩道に響く。今度こそ私は圭吾を置き去りにして駅へ全力疾走した。もう圭吾は追ってこない。彼と付き合いだしてもうすぐ8ヶ月。これが私にとって初めて彼との「別れ」を意識した夜だった。
『今日は泣かせてしまってごめん。ちゃんと説明したいので会って話そう。俺もいいかげんな態度を反省しています。明日また学校で声かける。お願いだから話を聞いてください』
夜半過ぎ、切っていたスマホの電源を入れたら思ったとおりメッセージが届いていた。ひとつめのメッセージは予想通りだったが、ふたつめを見て不覚にも泣いてしまった。
『千夏子が好きだ、信じてくれ』
圭吾が私を好きだという事は、ただの1ミリだって疑っていない。そんな事は一緒にいれば空気でわかる。問題は、他の女にも優しい事だ。
もちろん私に対する優しさとは種類が違う事はわかっているが、それでも中には圭吾の愛想の良さを好意と勘違いする女もいる。そして圭吾も来る者拒まぬ体質なので、相手次第では今日みたいなことが簡単に起こってしまう。
今までだって私が知らないだけで、同じようなことがあったのかもしれない。前の彼女の時もけろっとして浮気を繰り返した男だ。そしてその結果、最後の浮気相手になったのが他ならぬ私である。そのせいだろうか、彼を信じる一方で過去の彼女たちの「二の舞」になるのを恐れている。
翌日、HRが終わって廊下に出たらすでに圭吾が待っていた。自分の授業を抜けて先回りしていたらしい。全く困った不良受験生だが、会ってしまったからには逃げるわけにも行かず、私は圭吾の後について例の公園へと足を向けた。
「まずは謝る、ごめんなさい」
「っていうことは、私に謝るような事したんだね」
落ち着いて話そうと思っていたのに、つい頭に血が上りそうになる。昔の事は不問にするとしても、私と付き合いだしてからの事に関しては一切許す気はない。ちゃんと明らかになるまでは、圭吾との関係は一旦お預けだ。返答次第では永遠にお預けになる可能性だってある。
「言っとくけど、あれは事故だから」
「したんだ、やっぱり」
カッと毛細血管が拡張するのを感じた。あっさり事実を認めた圭吾は、ショックで声も出ない私に淡々と事の成り行きを語った。彼の話によると、予備校を出る時に彼女に「遊びに行こう」と誘われ、言下に断ったそうなのだが、
「そしたら、いきなり」
抱きつかれてキスされたらしい。引き離そうとしても相手はしつこく、さりとて女を乱暴に引き剥がすのも憚られ、タイミングを見て「それぐらいで勘弁」と切り上げてもらったらしい。
「無理にでも引っ剥がしゃいいじゃない、被害者なんだから!」
「もし怪我でもさせたらヤバいだろ、それに女の子に恥かかせるとかわいそうだし」
「恥かかせりゃいいじゃん、そんなの!」
あんまり大きい声を出したので、近くで遊んでいた小学生がこっちを振り向いた。私は興奮しすぎた呼吸を整え、改めて圭吾に向き合った。彼が起こしたことでないのは理解したが、その原因を作った責任からは逃れられない。
例えどんなことがあっても守るべきラインがあることを彼が理解しない限りは、また同じことの繰り返しだ。まずそれには彼の女に対する脇の甘さを思い知らせる必要がある。




