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おくぶたえ  作者: 水上栞
第三章
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13◆ 酔っぱらいの戯言

  


 光太郎が2日間家に帰って来ていないと聞いたのは、ディスカウントストア偵察の約1週間後。奴は「友達の家にいる」とだけ姉にメッセージを残して、スマホの電源を落としてしまった。


 こうなると可哀想なのはおばちゃんだ。つい先日までバスケ好きな普通の男の子だった息子が、いきなりこんな化け方をするなんて。射手矢家のキッチンで、いつもは陽気なおばちゃんが泣きそうな顔でキャベツを刻んでいるのを見て、私もつられて泣きそうになった。


 外野が何かをして解決するとは思わないが、いかに自分の行いが大切な人たちを傷つけているのかだけでも、あの馬鹿にわからせたい。私は小牧台駅方面に向かって自転車のペダルをこいだ。とりあえず奴が出没しそうな界隈を回って探してみるつもりだ。






「なんだおめー」


「なんだはアンタでしょ、てゆーか酔ってんの、もしかして」



 いても立ってもいられず出てきてしまったものの、たぶん見つかるはずがないと思っていた光太郎は、探し始めて約1時間、意外にもアッサリと発見された。



 捕獲場所は小牧台から北へ2駅私鉄をさかのぼった、例のバイト先がある乗換駅の裏通り。光太郎は雑居ビルの非常階段にだらしなく座り込んでいた。ようやく日が暮れたかなという時間だというのに吐く息が酒臭い。目が据わっているのを見て、私は「これはヤバい」と直感した。



「あんた飲めないくせに何やってんのよ」


「飲めるから飲んだんだろぉ、何いってんのはそっちだバ~カ」



 完璧に酩酊しているらしい。こうなったら私一人では手に負えないので、援軍を呼ぶべくスマホを取り出した。光太郎は酒が強くない。もちろん高校生なので飲めなくて当たり前なのだが、いつだったかバスケの連中とカラオケボックスで緑茶ハイを2杯飲んで、誰かに背負われて帰ってきた事がある。


 さらには今年の正月にも友達の家で調子に乗ってビールを飲み、道で転んで頭を怪我した。それだけ何度も酒で痛い目に遭ってきて、なぜ学習しないのだろう。



「あ、もしもし由佳里ちゃん?」


「おまえー、姉貴に電話なんかすんなって」



 光太郎が横から手を出すので話がしづらい。ふざけんなよと精一杯怖い顔で睨んでやった。幸い由佳里ちゃんは家にいるようで、車で迎えにきてもらえる。私は一気に用件をまくしたてた。



「光太郎見つかった、うん、今一緒にいるから。場所はバイト先の近くの一階にピザ屋があるビル。そう、そこ。迎えに来て欲しいのよ、こいつ酔ってて――」


「姉ちゃんなんか呼ぶなよっ!」



 光太郎にスマホを取り上げられ、電源を切られてしまった。まったく酒癖の悪い奴だ。無愛想はそのまま口数だけやたら多くなるから始末に負えない。これなら超下戸の圭吾の方が数倍マシだ。酒屋の息子のくせにワイン一口で「頭痛い、死ぬ」と喚かれるのは勘弁だが、まず自分からは飲まないので失敗するリスクがない。


 私はスマホを握ったまま座り込んでしまった光太郎の前にしゃがみ込み、「返して」と手を伸ばした。ところが奴ときたらとんでもない事に、その指先をぺロッと舐めやがったのだ。



「なっ、なにすんのよ!」



 私は慌てて手を引っ込めた。恥ずかしいのもあったが、警戒心が先に立った。例の無理矢理キス事件の後、和解してからの私たちは意識的にとはいえ、以前にも増して色気抜きの間柄だったはずだ。


 光太郎の生身の部分を知っていて見ないふりをしている私としては、あの日の事がフラッシュバックするとシャレにならない。私たち二人は普通以上に慎重にならないといけない、微妙な間柄なのだ。



「舐められたくらいでガタガタぬかすなっつーの。羽根田さんと、もっとやらしーことしてるくせに」


「なっ!」


「お前じゃない女ともしてるぞ、あの人」


「何言ってんの、あんた」



 最初は圭吾の過去の女関係の事を言われたのだと思った。確かに圭吾はエロいし、高校生としては経験人数が多いのも確かだ。しかし今は私とまじめに付き合っているのだから、過去について光太郎に口出しされる覚えはない。いくら酔ってるからといって失礼な奴だと思っていたら、実はそれは爆弾発言の前兆だった。



「予備校の女とえろーい事してるぞ、いいのかよ」


「はあ?」


「うちの店の前に予備校あんだろ、あの予備校の女」



 心臓がドキッと反応した。光太郎には圭吾の予備校がどこかなんて教えていない。だとすれば圭吾を本当に目撃したのだろう。それが「女とえろーい事」だと言うのなら、聞き捨てならない事なのだが、聞いていいものか戸惑ってしまう。しかし結局酔っ払いの口の方が早かった。



「茶髪の女とちゅーしてたぞ、学校の裏門のとこで」


「うそ」



 認めたくなくてつい否定する言葉が出てしまったが、光太郎がそんな嘘をついたところで何のメリットもない。冷静にならなければと思うのだが、体中をアドレナリンが支配したらしく、全身に血が駆け巡る。私は何度も空しく否定を繰り返した。



「うそ、そんなの、うそだ」


「嘘じゃねえ、羽根田さんレイカーズのTシャツ着てて、女は短いスカートはいてて」


「やめて、もう」



 レイカーズのシャツは私も知っている。先週、親戚のLA土産でもらったと大喜びしていた。間違いない、それは圭吾だ。そして目撃されたのは必然的に先週以降、つい最近の出来事となる。しかし、どうして圭吾が「短いスカートの女」とそんな事を。


 光太郎の見間違いで、目にゴミが入ったとかではなかったのか。自分を救済するあらゆる逃げ道を探したが、余計に想像が膨らむばかりだ。昨日の放課後キスした彼の唇が他の誰かに触れただなんて、考えるだけでも耐えられない。掌に冷たい汗がじっとり滲む。


 私は光太郎の隣にぺたりと座り込むと、それっきり言葉をなくしてしまった。




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