9◆ ガールズトーク
友達の心配で頭がいっぱいになっているうちに、期末試験が終わり夏休みに突入した。去年は別の意味で友達の厄介ごとに巻き込まれていたが、今年の方がはるかにシビアだ。私が考えても仕方がないことだとは言え、それでも友達が苦しんでいるのを見るのは辛い。
チヨの引越しまであと10日あまり。私たちは残り少ないご近所ライフを惜しむかのように、毎日どちらかの家に泊まっては延々とお喋りに時間を費やした。放ったらかしにされた圭吾が苦情を述べ立てたが、今は彼氏より友情を優先したい。という訳で、今日も私はチヨの家に泊まっている。
「ダンボールだらけになっちゃったね」
「でしょ、意外と荷物が多くてびっくりしちゃうよ」
「チヨ、小牧台には何年住んでたんだっけ」
「小学校からだから、10年くらい?」
「長いね」
「おかげで千夏子とも友達になれたよね」
そんな事を言うから泣けてしまうじゃないか。私は初めて会った時のチヨを思い出した。
小牧台小学校入学の春。胸ワクワクの新一年生のクラスで友達になった、しっかり者でひょろっとした女の子。以来、彼女とは様々な遊びや冒険、時には喧嘩を通じてガチガチの親友になった。チヨの小牧台での10年は、そのまま私たちの歴史の長さでもある。
何だかしんみりしてしまった私に、チヨが片付けていた荷物の中から小学校の卒業アルバムを出して開いて見せてくれた。
「見てよ、懐かしくない」
「うっわー、久しぶり見た!笑える、私のツインテール」
「月に代わっておしおきしてた頃だよ、あ、射手矢」
「顔だけは全く変わってないね、多少背丈は伸びたけど」
背の順並びでいつも一番前の光太郎は、卒業アルバムでも先生の隣でVサインをかましている。彼の無邪気な笑顔も最近では全く見られなくなった。その理由の一端を、つい先日私は知らされた。夏休みに入って間もなく私は駅前のカフェに呼び出され、あゆみから全てを打ち明けられたのだ。
「黙っててごめん」
あゆみが神妙に頭を下げた。
「謝んなくていいけど、いつからなの」
「けっこう前からだよ、新学期にはもう終わってた感じ」
「新学期って……、何で教えてくんなかったの」
「言いにくかったんだよ、千夏子には」
光太郎とあゆみの交際は、すでに途絶えて久しいという。実際には決定的な別れの言葉などはないものの、今年に入って殆ど会うこともなくなり、新学期にはメッセージも電話も皆無になっていたらしい。
どうしてそんな風になったかというと、あゆみの気力が尽きたせいだ。彼女の気持ちの熱さに対し、光太郎の反応が薄すぎた。イニシアチブを取るのはいつもあゆみで、光太郎はそれに乗っかっていただけに過ぎない。辛かった、とあゆみは零した。
「例えば、露骨な話で悪いんだけど」
「この際だから言っちゃいな」
「まあ、例えばエッチする時にも私が誘わない限りしないとかさ」
私は黙り込んでしまった。露骨というより痛々しさを感じてしまう。私だったらその気のない相手を押し倒すくらいなら、欲求不満で悶える方を選ぶ。
「だから千夏子が羨ましかったよ、羽根田さんにあれだけ愛されて」
結局、バレンタインデーのチョコを渡したのが二人の最終デートになってしまったそうだ。一応ホワイトデーのお返しはもらったものの、下がりきったテンションは再び盛り上がることはなく、そのうち新学期が来てクラスが離れ、ほとんど会話する事さえもなくなってしまったらしい。いわゆる自然消滅だ。そして今後も白黒ハッキリさせるつもりはない、とあゆみは言った。
「疲れた、マジ疲れた」
「いいわけ、それで」
「いいも悪いも、お互いもう向かい合う気力はないよ。ハッキリ別れ話したところで、何かメリットあるわけじゃないし」
「相談してくれたら、私から光太郎に言ってあげたのに」
「やだよそんなの、惨めすぎる」
余計な事を言ってしまったと反省した。彼と彼女がそう決めたことなら、私が出張る幕などないのだ。ただ、ひとつだけ心残りがあるとすれば、自分の恋愛に夢中になるあまり友人の悩みに気付けなかったという事だろう。
この半年、あゆみが鬱々とした日々を過ごしていた間、私は浮かれて周りが見えていなかった。あゆみの事だけではない、チヨの事にしたって様子がおかしいのに気付いていながら、手を差し伸べることをしなかった。
「ねえ、チヨ」
アルバムをパタンと閉じて、私は目の前の長い髪に問いかけた。またちょっと痩せてしまったようだ。指が小枝のように細い。チヨはダンボールに本を詰め込みながら、声だけで「なあに」と私に答えた。
「彼氏さんとはうまくいってるの」
そう聞くとチヨは少しだけ手を止めて、何か考え込むような表情をした。
「うまくいってるよ」
「だったら何で、私に話してくれないかな」
「まあそのうちね」
「……結婚してる人とかじゃないよね」
チヨが驚いた顔でこちらを振り向いた。もしかすると私の質問は踏み込みすぎているのかもしれない。でも私にとって、チヨを悲しませる全てのものが敵である。恋愛は対等とは言うけれど、明らかに女に分が悪い恋があるのも事実だ。思いつめた表情で返事を待っていると、チヨの顔がふっと緩んで「バカだね」と私のほっぺたをつねった。
「そんなんじゃないよ、ちょっと年は離れてるけど」
それが彼女の精一杯である事は、その表情と声でわかる。私はそれ以上質問することはしなかった。私が憎む「彼女を悲しませる全て」の中に、私自身が含まれるのは何より避けたいことだから。




