7◆ あゆみの憂鬱
「えろーい、千夏子!」
油断していた。胸元だけかと思っていたら、背中にまでつけられていたなんて。羽根田圭吾の馬鹿野郎、帰ったら覚えていやがれと思いながら、私は体を洗うのもそこそこに大浴場から逃げるようにして部屋に帰った。
私たち2年生は今、課外学習として2泊3日の研修旅行に来ている。来年は受験を控えて忙しくなるため、この夏の学年旅行は事実上高校生活最大のイベントと言っても過言ではない。山の中のロッジに泊まってキャンプファイヤーをしたりカレーライスを作ったり、ベタなお楽しみが盛りだくさんで、この期間中に誕生するカップルが多いことでも知られている。
「お前、浮気すんなよ」
出発前、本気で心配している圭吾をアホかと笑い飛ばしてやったが、なぜ奴がそんなに不安なのかは知っている。自分自身が去年、この研修旅行の最中に2度目の浮気をしたからだ。
そこを突っ込んだらぐうの音も出ず、かわりに押し倒されて体中あちこちにキスマークをつけられてしまった。それを大浴場で友人に見られて「えろい」と言われたのだから、パンチの1発2発は覚悟しておいてもらわねばなるまい。お土産に彼の嫌いな山菜の漬物を買って帰るのも一興だ。
「愛されちゃってるんだね、千夏子サン」
「取り憑かれちゃってる、っていうほうが近いよ」
昨年に引き続き同じクラスで、しかも同じ班になったあゆみが、プレッツェルを齧りながら目を細める。彼女の校内情報によると、私と圭吾は今や我が校で十指に入るほどの有名カップルなのだそうだ。目立つのが嫌いな私にとっては非常に迷惑な話だが、引っ付き虫の彼氏を飼っている以上、人目を避けられないのは致し方ない。
そしてその一方で圭吾の元カノ、高須さんの問題が再浮上してきたのも私の悩みの種である。彼女は果敢にも先週、圭吾に最アタックして見事に玉砕した。
「ありえない。俺、彼女だけだし」
圭吾はそう言ってバッサリ断ったらしいが、何といっても同じクラスというのが気にかかる。おそらく高須さんはまだ諦め切れてはいないだろう。私が言うのも変なのだが、圭吾は特にイケメンでもなく勉強ができるわけでもない。確かに身長は178センチと高めではあるが、人懐こくて足が速いこと以外は至って平凡な男子高校生だ。
なのに、妙に女にもてるのだ。実際、私と付き合いだして半年足らずの間に、高須さんの再アタックを含め3人からの告白を受けている。これは考え方を変えると、私という存在が彼女たちに「取るに足らない相手」だと思われているからではないだろうか。きっと私が男なら、迷わずお茶系美人の高須さんを彼女に選ぶ。そう言うとあゆみは、目をまん丸にして私の意見を全否定した。
「それ違うでしょ、千夏子、自分のこと卑下し過ぎだって。色が白くて可愛いって、男子の間ではけっこう人気あるのに」
「嘘だよ、そんなの」
「嘘じゃないよ、特に羽根田先輩と付き合いだしてから可愛くなったよ」
「気のせいだって」
「千夏子、もっと自分に自信持たなきゃだめだよ。射手矢くんだって、ずっと千夏子のこと好きだったじゃない」
思わず言葉に詰まる。こういう例えにどう切り返していいのか。それでなくてもこっちは、彼らの様子がおかしい事に気を揉んでいるのに。昨朝の出発以来、あゆみと光太郎は話もしないし一緒に行動もしていない。いつもならあゆみがしつこいくらいに絡んで光太郎にウザがられるのに、いったい彼らに何があったのか。
この研修旅行ではクラスや班単位での行動が多いので、春のクラス替えで別々になった光太郎たちは、自由行動時間が貴重なラブラブタイムになるはずなのだ。それなのにあゆみは私の横で呑気にスナックを齧っている。余計なお節介とは知りつつも、私は聞かずにはいられなかった。
「あゆみ、光太郎んとこ行かなくていいの」
「いいの、いいの」
「呼んで来てあげようか」
「いいってば」
そう言われては、もう放っておくしかない。私は重くなりかけた気分を紛らわせようと、明日のオリエンテーションの地図を開いてポイントをチェックした。
近ごろ私の周りの友人たちは、軒並み気難しいモードに入っているようで困ってしまう。先日もチヨの家に遊びに行って、何だかわけのわからない事で不機嫌になられてしまった。いつも快活な姉御肌のチヨにどんよりされると、私も一緒に落ち込んでしまう。メッセージの返事も来ないことが多いし、最近のチヨはおかしい。もしも悩みがあるのなら、私に真っ先に相談して欲しいのに。
あゆみにしろ、チヨにしろ、何かを私に隠しているような気がしてひどく寂しくなった。




