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おくぶたえ  作者: 水上栞
第三章
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6◆ 暑苦しいカップル

 


 圭吾はなおもしつこく首筋に吸い付いてくる。押しのけようとしたら、指を甘噛みされた。



「いい加減にしてよ、それしか頭にないわけ」


「うん、取りあえず今は」


「ふざけんなっ」



 あの東京での夜以来、彼は会うと必ず何らかの性的な接触を求めてくるようになった。それは恋人同士にとって不可欠な愛情確認行為だという事はわかっているが、二人でいる間中ずっとサカりっぱなしというのはいかがなものか。


 体を繋ぐことによる安心感と、体だけの関係になってしまわないかという不安がないまぜになった、複雑な感情に私は決着をつけられないでいる。他のカップルはどうなのだろうと、先日それとなくあゆみに聞いてみたところ、意外にもアッサリはぐらかされてしまった。



「さあ、人によってそれぞれなんじゃない」



 そう言えば最近、あゆみは光太郎の話をしなくなった。前は暇さえあれば惚気まくってウザいほどだったのに、やはり一年近く付き合えば熱も冷めてくるのだろうか。そんな事を思い巡らせていた私のスカートを、圭吾が力任せに脱がせようとした。腰のボタンがちぎれて床を転がっていく。


 もう我慢がならない。私は下着に手をかけようとしていた圭吾のお腹を、力いっぱいこれでもかと蹴り飛ばした。



「ぐふっ」



 きれいに鳩尾に決まった蹴りに、圭吾は体を折りたたむようにして崩れた。苦しそうな呼吸を聞いて罪悪感がムクムクとわいてきたが、今さらどうにもしようがない。じっと成り行きを見守っていると、圭吾がやっと喘ぐ呼吸の中から言葉を吐き出した。



「……ひどくね?」


「だって圭吾がやめてくれないから」


「もしかしてお前イヤなの、俺に触られんの」


「そんなんじゃないよ」


「だったらどうして」


「なんか、やるだけの女みたいじゃん」



 何秒間か圭吾は私を見つめて沈黙していたが、やがて大きなため息を吐き出した。



「俺って千夏子に、そんな風に思われてるわけか」



 嫌な空気が流れる。ここで取りあえず謝ってしまえば事態は収束するかもしれないが、ちょっと私も意地になってしまった。やめてと言ったのに聞いてくれなかったのは圭吾だ。



「冗談じゃねえって」


「圭吾、私は別に」


「冗談じゃねえぞ!やるだけの女って何だよ!いつ俺が千夏子をそんな風に扱ったか、言ってみろよ!」



 圭吾はいつも陽気で優しい。滅多なことでは腹を立てないし、ましてや私に大声を出すなんて初めてのことだ。すっかり竦んでしまった私は声さえも出せない。恥ずかしいくらいぼろぼろと涙がこぼれた。やばい、大泣きする前にここを出なければ。


 私はバッグを掴むと転がるように圭吾の部屋を飛び出し、玄関を出て夢中で走った。転がっていったボタンの行方が気になったが、それでも夢中で走り続けた。階段を下りるとき、上から麻美ちゃんの声がしたような気がする。言い争いを聞いて驚いたのだろう。心配させて悪かったと思うが、私はもう一瞬でもあの場所にいられなかった。




 泣き顔で電車に乗るわけにも行かず、私は人気のない公園のベンチで呼吸を整えた。首筋が汗でべとべとしている。そろそろ梅雨入りを迎える湿った空気が、圭吾を初めて見た雨の体育館を思い起こさせた。あれから一年経つのかと思うと、圭吾の顔を思い出してまた涙が溢れてくる。


 私は後悔の真っ只中にいた。彼が私をどんなに大切にしてくれているか、いちばん私がわかっているはずなのに。彼が私を欲しがるのなら、素直に与えてあげれば良かったのだ。そう考えて落ち込んでいたら、公園の入り口から聞き覚えのある声が私を呼んだ。



「千夏子!」



 シャワーを浴びたような汗にまみれて、圭吾がこちらに駆けてくる。私を探してくれていたのだと気づき、申し訳ない気持でいっぱいになった。圭吾は私に駆け寄ると膝に頭を押し付けるようにして屈みこみ、喘ぎながら必死に謝罪の言葉を繰り返した。



「ごめん、千夏子、ごめん」


「圭吾」


「俺が悪い、ごめん、千夏子、全部俺が悪い、ごめん」



 私を見上げた圭吾の瞳が潤んでいる。少し吊り上ったその目尻から一筋涙が零れるのを見て、私は思わず圭吾のびしょびしょの頭を抱きしめた。



「俺、嬉しすぎて、もう自分でもわけわかんないくらいテンション上がりっぱなしで、ごめんな、自分の気持を押し付ける気はなかったんだけど」


「圭吾、謝んないで、私だって悪い」



 私がそう言うと、圭吾は情けない表情で眉尻を下げた。まるで母親に叱られた子供のようだ。その顔が愛しくて、胸の奥に絞られるような痛みが走る。



「俺のこと、嫌いにならない?」


「なるわけないよ、私、圭吾大好きだもん」



 汗ばんだ胸の中に猛烈な勢いで抱え込まれ、何度も何度も顔中にキスの雨を降らされた。住宅地の真昼間の公園で泣きながら抱き合う私たちは、傍から見ればとんでもなく迷惑で暑苦しいカップルだろう。それでも今、この瞬間に確かめ合う必要があるのだ。



 永遠の愛など信じていない私だが、もしも恋が熱病であるのなら、一秒でも長く患ったままでいたいと願う。私も圭吾も、弱虫で馬鹿で自分勝手な未熟者だが、今はもう何も考えずに抱き合っていたい。何十回目かわからないキスをしながら本気でそう思った。





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