3◆ 東京おのぼりさん旅行
普通ならそういう出来事は自然とやってくるのだろうが、私の場合は事情により5月3日が女の子卒業式と設定された。私と羽根田さん改め「圭吾」の東京への旅は、5月3日早朝に出発し4日夜に帰る日程だ。二日目は私の希望により遊園地で思い切り遊ぶ。
アリバイはクリスマスで貸しのあるあゆみに頼むことにした。チヨだと家が近すぎて危険だ。親を欺くのは心苦しかったが、私の中では旅への期待の方がはるかに勝っていた。私は長年がっちり貯めたお年玉を引き落とし、未知の世界へと旅立つ用意を着々と進めた。
「お前、旅行いくの」
コンビニ帰りの私に声をかけたのは光太郎だった。しゃがんでいたので一瞬わからなかったが、どうやら自宅前でバイクを磨いていたらしい。先日、16歳になってすぐに光太郎は原チャリの免許を取り、中古を購入して乗り回している。今日もひとっ走りしてきたのだろう、黒いヘルメットがシートの上に置かれていた。
「もしかしてあゆみから聞いた?」
誰にも言うなと念押ししたのに、と内心ムカついていると意外な答が返ってきた。
「いや、羽根田さんから」
なぜ圭吾が光太郎にそんな事を。ハテナマークを顔に張り付けている私に、光太郎がその理由を教えてくれた。
「あの人、千夏子のことじゃ今でも俺をマークしてるから、牽制したかったんじゃないの。俺たちラブラブなんだぞ、って」
そう言えば圭吾は光太郎が私を好きだった事を知っている。そしてその事で私が複雑な悩みを抱えていたことも。だから私たちが幼馴染に戻った今でも、拭いきれない心配があるのかもしれない。
私の前では格好つけて涼しい顔をしているくせに、可愛い奴め。妬かれるのも結構悪くない気分だと思った。
「これ、持ってけ」
目の前に何かが差し出され、私はニヤけた顔を慌てて引き締めた。光太郎の手には交通安全のお守りがぶら下がっている。バイクのキーホルダーから外したらしいそれは、裏を返すと「成田山」という文字が刺繍されていた。はっきり言ってダサい。思わず笑いが出た。
「気ィつけて行ってこい」
そのまま光太郎はバイク磨きに戻ってしまった。ちょっと照れくさかったのだろう。たぶんこうなったらこの男は二度と口をきかない。私は「ありがと」と言うと、お守りをぶらぶらさせながら家へと向かった。
当日、私が目を覚ましたのは早朝5時。アラームまで30分の余裕を持って目覚めるなんて、寝太郎な私にとっては奇跡に近い。それほど興奮していたのだ。それは圭吾も同じだったらしく、私たちは寝不足の目をこすりながらしっかり手を繋いで電車に乗り込んだ。
東京までは私鉄と新幹線を乗り継いで二時間半。私たちは連休で寿司詰めの車内をいいことに鬱陶しいほど寄り添い、人目を盗んでこっそり何度もキスをした。
「来ちゃったねー、とうとう」
「おう、日ごろの行いがいいから天気も最高!」
快晴の東京駅に下り立ち、私たちがまずした事は、ファーストフードのモーニングに時間ギリギリで飛び込むことだった。
デートするたび思うことだが、私と圭吾は食べ物の好みが非常に似ている。この日も二人ともマフィンが食べたくて仕方がなかった。飲み物まで同じミルクとくれば、もう笑うしかない。冗談で言われた「いっそ結婚しちゃう?」という言葉が、どんなに私を揺らしたか。嬉しそうにパンにかぶりつく目の前の男は、気付いてさえもいないだろう。
その後、私たちは新宿や渋谷や、色んなエリアを気が済むまで探索した。外国人でいっぱいの浅草にも行った。面白い所だったかと聞かれれば疑問だったが、取りあえず二人で一緒に行ったことに価値があると思いたい。
やがてそうしているうちに日が暮れ、さすがに若い私たちもクタクタに疲れていたので、遅くならないうちに夕飯を取ることにした。実は私たちの今夜の宿はまだ決まっていない。連休でどこも満室で、お高い宿しか空いていなかったため「出たとこ勝負」で当日飛び込みすることにした。
「泊まるとこ、どうしよっか」
パスタをフォークにからめながら、圭吾が切り出した。私としては「お任せします」と言いたいところだが、それでは彼だけに荷が重い。しかし私にとっては何もかもが初めてなので、実際何のリクエストも頭に浮かばないのだ。困り果てて黙っていたら、彼がいくつか選択肢をくれた。
「ビジネスホテルを飛び込みで回ってみるか、カプセルならたぶん空いてるけど別々になるしな。それかネカフェ……は最終手段として、ラブホはイヤだよね。ごめんね、高級ホテルって言ってあげられなくて」
「私は、正直どこでもいいよ」
「じゃあ、俺が決めていいかな」
「いいよ」
その後は二人とも急に無口になってしまい、黙々と食事を済ませて勘定を済ませた。朝から先刻までのハイテンションが嘘みたいだ。暑さのせいだけではない湿った掌を繋ぎ合わせ、荷物を担いだ私たちは無言で店を出て知らない道を歩いた。




