1◆ 初めての彼の部屋
めでたく恋人同士となった翌日から、羽根田さんは恐るべきマメ男に変身して私と周囲を驚かせた。放課後はわざわざ部活の後に小牧台の駅まで送ってくれるし、お昼ご飯も必ず私の教室まで誘いに来る。
もしこちらが先に学食に行っていようものなら大変だ。大勢でごった返す食堂の中を「チカコぉ~!」と叫びながら私を探す。まさか羽根田さんがこんなキャラだとは知らなかった。
そう言ったら、本人も「実は俺も知らなかった」のだそうで、それでも大型犬のように嬉しそうな顔で迎えに来る彼の姿を見ていると、なんだかほっこり癒されてしまう。
「ねえ、千夏子」
「なんでしょう、先輩」
「いや、だからその先輩っていうのやめない、そろそろ」
もともと切り替えが早い性格のせいか、羽根田さんは付き合い始めるやいなや私を「千夏子」と呼び出した。一方私は頑固なので、なかなか一度定着した呼び名を変える事は難しい。彼としては「圭吾」とか「圭ちゃん」と言って欲しいらしいが、まだそれには多少の時間がかかるだろう。
そんな毎日の中、私たちは短い春休みも時間の許す限りデートを重ねた。しかし羽根田さんは受験を控えた年でもある。サボりがちだった予備校にも顔を出さないわけには行かず、なかなか付き合い始めの勢いを満足させるまでには至らない。そしてそんな私たちに嬉しくない出来事が起こった。新学期のクラス替えで、羽根田さんと元カノの高須さんが一緒になってしまったのだ。
「話しかけなきゃいいんだし、大丈夫だって」
「向うが話しかけてきたら?」
「そりゃ返事くらいはするけど」
「でしょ、それに日直が一緒になったら?席が隣になったら?まだ二人が付き合ってると思ってる人だっていっぱいいるんだし」
「ねえ、もしかしてやきもち妬いてくれてんの」
そう言われて顔に血が上るのを感じた。私は色が白いため、赤くなるというより顔全体がピンクになってしまう。羽根田氏はそのピンクがお気に召したらしく、何かにつけ私をからかっては頬を染めさせる。今も大喜びで私を観察しているはずだ。くやしいので私は側にあったクッションで顔を隠した。
「めっちゃ嬉しい、俺、愛されてると思っていいよね、ちょっとこら顔見せろって」
「ばか」
ちなみに私たちが現在いるのは羽根田さんの部屋で、私は今日はじめて彼の自宅にお邪魔してご両親と妹さんにご挨拶を済ませたところだ。
羽根田さんの家は酒屋さんで、店の裏手が住居になっている。雑然とした6畳間はいかにも男子高校生の部屋といった趣で、壁に取り付けられたバスケットのゴールが彼らしいポイントだ。
意外だったのは、彼が自宅に女の子を連れてきたのは「史上初」という事で、ご家族はいきなりやってきた私に大変興味を持ったらしく、入れ代わり立ち代りお茶やお菓子を持って現れては、羽根田さんに追い払われていた。
「千夏子みっけ」
とうとうクッションが取り上げられてしまい、かわりに唇が押し付けられた。彼とはもう何度もキスをしたが未だに慣れない。決してその行為自体は嫌いではないし好きな人と触れ合えるのは嬉しいのだが、体に回された腕や髪を弄ぶ指先を意識した途端に萎縮してしまう。
それに最近では、決して無理強いはしないものの、最初の頃の触れるようなキスとは違う濃厚な接触を彼が求めるようになり、その中にあからさまな欲望を感じてついつい腰がひけてしまう。
「あっ」
そのうち手が胸をさまよい始めた事に気付き、私は思わず彼を押しのけた。羽根田さんはしばらく呆然としていたが、「ごめん、ちょっと」と言って部屋を出て行ってしまった。その後姿を見て私は自分のした事を後悔した。
彼だって健康な17歳の男だ。彼女と自分の部屋でキスをすれば次のステップに移りたくなるのは当然の欲求で、拒絶するにしても彼を傷つけない方法はあったはずなのだ。恋愛初心者とはいえ、へたくそすぎる自分がいやになる。
「お待たせ」
しかしそんな落ち込みは、戻ってきた彼の格好を見てどこかに飛んでいってしまった。何と羽根田さんは頭をびしょびしょにして、肩からタオルをかけている。まるで風呂上りのようなその姿を私が目を丸くして眺めていると、片八重歯をチラリと覗かせて照れくさそうに頭をかいた。
「水かぶってきた。ごめんな、怖がらせるつもりはなかったんだけど、ついがっついて」
彼にとっては面倒くさい相手だろうに、健気に我慢してくれたのが嬉しかった。私は大切にされていると思う。
過去における優柔不断な彼と現在の誠実な彼と、どちらが羽根田圭吾の本質かと問われれば、私は間違いなく誠実な方に一票を投じる。そう思うと彼が好きだと思う気持ちが、自然と言葉になって溢れ出てきた。
「ありがとう、圭吾」