19◆ クリスマスローズ
電気のなかった時代ならいざ知らず。現代のお正月など日曜日とそう変わりはしない。我が佐藤家も元旦にお雑煮と簡単なお節を頂いたくらいで、特に取り立ててビッグなイベントはない。なので私は新年二日、早々に部屋に引きこもっている。
結露で曇った窓際にはクリスマスローズの鉢植え。クリスマスイブに羽根田さんが抱えてきた紙袋の中身はこれだった。その清楚な白い花は「ホワイトシフォン」と呼ばれる品種らしい。白い花が好きだなんて、教えた事などなかったのに。何だかその花を見ているだけで、心揺れてしまう自分を私は持て余していた。
「なんかこの花、千夏子ちゃんに似てたから」
あの夜、羽根田さんは玄関先で私に花を渡し「あとで電話する」と言って帰っていった。お陰で私は家族とのクリスマスも心ここにあらず状態で過ごし、やっと電話があったのが0時前。
本人いわく「カウントダウンがしたくて」遅い時間にかけたのだそうだが、その間こっちがどんな精神状態だったかなんて考えもしなかったのだろう。あの人間ジェットコースターめ。
「ほんっとに、今度はきっぱり別れてきたから、信じて」
「信じる根拠があるんですか」
「ない」
「だったら―」
「俺を見てたら本当だってわかるから」
私だって、別れた証拠なんて提示しようがないのはわかっている。しかし羽根田さんに関しては、今までの経緯から一抹の疑いが拭いきれない。そして私はそんな自分自身に戸惑っていた。信じられる何かを求めるという事は、イコール私が彼との事を前向きに検討している事に他ならない。
何とも思っていない相手なら、彼女とどうなろうが知ったことではないはずだ。私はクリスマスローズの花びらを指先でなぞった。この花のどんな所が私に似ていると羽根田さんは思ったのだろう。
「もちろん今すぐ返事くれなんて言わない。とりあえず、初詣行かない?」
羽根田さんが指定してきたのが、今日の夕方。正月は毎年、小牧台近辺の友人宅で夜遅くまで遊んでいるので、出かけると言っても親は何も言わないだろうが、私の心の準備が整わない。
まず、着ていく服がない。年齢で言えば羽根田さんは私より一歳しか上ではないが、ずいぶんと大人びているし遊びなれてもいる。ましてや前の彼女さんがお茶系美人となると、何だか自分が一緒にいて不釣合いな存在に思えてくるのだ。私は箪笥を開けて自分のワードローブの貧相なことに溜め息をついた。
「明けましておめでとう」
「おめでとうございます、遅れてごめんなさい」
結局、待ち合わせ場所である小牧台の駅前についたのは、約束から10分遅れ。ああでもないこうでもないと手持ちの服を組み合わせた結果、結局はカーゴスカートとブーツ、ショート丈のダウンという定番のお出かけスタイルになってしまった。
対する羽根田さんは、思ったとおり地味だけれどお洒落なスタイルで、黒いナイロンの軍隊っぽいハーフコートに、カーキのワークパンツを合わせている。耳当て付きの黒いニットキャップが、いかにも彼らしいファンキーなアクセントだ。
「ここからだとバスで行くけど、いい?」
目指す神社は駅こそ小牧台から2駅向こうだが、駅から歩く距離が半端でない。その点バスなら停留所の数は7つあるが、神社前で下りる事ができる。私たちは初詣客でぎゅうぎゅうのバスに乗り込んだ。
バスの中で、羽根田さんは長い腕で周りから庇うようにして私のスペースを作ってくれた。その指には例の彼女からもらったゴツいリングはもうない。バスが揺れるたびに「大丈夫?」とこちらを確認してくる声に、今まで感じたことのない何らかの感情が呼び起こされるのがいたたまれなくて、思わず下を向いてしまった。
もしかしたら私はもう走り出しているのかもしれない。出会ってから約5ヶ月。迷惑で仕方がないと思い続けてきた存在が、気がつけば居心地のいい場所に変わっていた。その気持の正体が何なのか、気付いているくせに結論を先延ばしにしている私は、きっとずるい人間なのだろう。
「先にお参り済ませちゃおうか」
「そうですね、ひやかしてたらキリがないし」
神社の参道には露店が所狭しと並んでいたが、私たちはさっさと本殿を目指した。そう言えば昨年の受験前にもここに来て、神様に合格を祈願した。その時は光太郎と一緒だったが、今年はお互い相手が違う。
たった一年で自分を取り巻く環境が激変した事に改めて驚き、これからの一年はぜひ穏やかで心休まる年になりますようにと、私は賽銭を投げ入れ手を合わせた。
「せっかくの記念すべき初デートだしさ、何か千夏子ちゃんの好きなもの買ってあげるよ」
参拝が終わって露店を見て回るうち、羽根田さんが私に言った。
「これってデートなんですか」
「デートだよ、本当は図書館が初デートのはずだったのに、誰かさん来なかったから、今日はそのリベンジ」
「あれはノーカウントですよ、だって先輩が勝手に」
「いいから、いいから。ほら、行こ」
そう言うと羽根田さんは私の手を取って歩き出す。その仕草があまりにも手馴れていたのにムカつき、私は手を振り解こうとした。
「誰かに見られたら誤解されます」
「誤解じゃないよ、俺マジだもん。むしろ見られたいくらい」
「私が困るんですってば」
その一言で羽根田さんの指の力が弱まる。私はその隙にするりと繋いだ手から抜け出し、ちょっとバツの悪い思いで彼の目を見上げた。
「いや、別に先輩が嫌いだとかそういうんじゃなくって」
「いいよ」
「え」
「ごめん、俺が焦った。二人で出かけられるのが嬉しくて。俺、こういうの加減わかんないから、やだったら言って」
羽根田さんいわく「こういうの」とは、おそらくプラトニックな付き合いの事だろう。お子様モードの私が相手だと、さぞまどろっこしくてイライラするのではと思っていたら、さっきまでの笑顔が突然例の真顔にスイッチされた。
「ほんと、イヤだったら言ってね。千夏子ちゃんには、ちゃんと俺のこと見てほしいんで」
その目があんまり真剣だったせいか、耳たぶがじわっと熱くなった。何でいきなりそんな純情な事をぬかしやがるのだ。私はただ、無言で頷くしかなかった。