18◆ 弱い男と弱い女
「お話って何でしょう」
長々と話すのは遠慮したかったので、私はさっさと話を切り出した。どっちにしても私にとって愉快な内容ではないだろう。できれば簡潔に済ませてもらいたい。
「たぶん圭吾はあなたに、私と別れたって言ったと思うけど」
不覚にも、彼のことを圭吾と呼ぶ、その響きに動揺してしまった。ほっそりとした高須さんの指先が、さらりと髪の毛を耳にかける。女から見てもきれいな人だ。
「それ嘘だから。今までも何度かこういう事があって、病気みたいなものなの」
彼女の言葉をまるまる信じるつもりはないが、前例があったのは事実なだけに信憑性が高い。今回もそうだとすれば、私は彼の気まぐれに引っ張りまわされた事になる。血液の温度が下がるような気がした。
「今回も元に戻るのは時間の問題だと思う。だから佐藤さんも、圭吾に惑わされないで欲しいの」
その時、私の中の何かが切れた。あの公園で羽根田さんにキレた時と同じテンションだ。こうなったら言うだけ言ってしまわないと収まらない。
「何でそれを私に言うんですか」
「えっ」
「それ、私じゃなくて羽根田先輩と話し合う事じゃないんですか」
「それは……」
「おかしいですよ、先輩もあなたも、何で私に言うんですか。付き合ってる同士なら、二人で話して解決したらいいでしょう。私が羽根田先輩を拒絶すれば、表面上は元通りでしょうけど、どうせまた同じ事を繰り返すんですよね」
私が言い返したことに驚いたのだろう。高須さんは言葉を失ってこちらを見つめたままだ。羽根田さんも弱いが彼女はもっと弱い。臆病な二人が現実から逃げ回っているだけでは、痛み止めで一時しのぎをしているようなものだ。私はさらに追い打ちをかけた。
「それが病気だっていうなら、ちゃんと治療するべきです」
言うだけ言って、さっさと絵の準備を始めてしまった私を見て、高須さんは無言で立ち上がり、教室を出て行った。
きっと「あの一年生は生意気だ」と噂が立つだろう。しかし、こんなアホらしい痴話喧嘩に巻き込まれて、さらにはうっかりときめいてしまったなんて、羽根田さんにも高須さんにも、そして自分にも腹が立って仕方がなかった。
その日の夜遅く、羽根田さんから電話がかかってきた。観察期間に入って以来、彼から直接のコンタクトはなくなったが、かわりにメッセージがよく来るようになった。数日に一度はこうして電話もある。
昨日までは私もそれに普通に応えていたのだが、今日はとても愛想なんか振り撒く気分ではなかった。
「高須さんとお話しました」
そう言った途端、陽気なハスキーボイスは黙り込んでしまった。
「彼女、別れてないって言ってました。先輩、私に嘘つきましたね?」
「嘘なんかついてないよ」
「じゃあ、高須さんが嘘をついてる事になりますね」
また沈黙が流れる。言い訳を考えているとしか思えないその数秒が、私にとってどんなに屈辱的か、彼はきっとわかってないだろう。沸々と怒りが込みあげる。
「俺はちゃんと別れるって言ったけど、向うがそれを受け入れないんだったら放っとくしかないだろ」
「卑怯者」
「ひでえな」
「卑怯ですよ、何で納得してもらうまで話し合わないんですか。じゃないと相手は僅かな期待がある限り諦められないじゃないですか」
はーっ、と大きな溜め息が聞こえる。弱虫め、と心の中で歯軋りをする。何がこれからの俺を見ていてくれだ。聞いて呆れる。彼女が納得していないのを知りながら見切り発車するなんて。
「とにかく、私との事はいったん白紙に戻してください。もちろん電話もメッセージもナシですよ、問題が解決するまでは」
「それは厳しくない?」
「当然でしょ、私が高須さんと話してどんな気持だったかわかります?」
「……ごめん」
それが2週間ほど前の話だ。それ以来、彼がどうなったのか連絡がないので知りようもないが、今までのパターンでいくと元の鞘に収まった可能性が高そうだ。しかし考えても始まらない。私は淡々と毎日を過ごし、大好きな絵を描き、気がついたら終業式とクリスマスを迎えていた。
『アリバイよろしく頼むね。よいクリスマスとお正月を』
あゆみから派手なトナカイのスタンプ付きでメッセージが来た。今夜は光太郎とお泊りデートらしい。カップルイベント好きなあゆみには、一年で最高に幸せな日に違いない。
暖冬のせいかイマイチ気分が出ない聖夜ではあるが、リビングのツリーに点灯し、弟のリクエストであるブッシュドノエルの製作に取り掛かった。
ローストチキンは昨夜すでに焼いておいたし、母もサラダとクラムチャウダーを作って出て行ったもようだ。私は無心にビターチョコレートを刻みながら、今年も数日で終わりである事にしみじみとした気分になっていた。本当に今年は色んな事があった。まるでジェットコースターに乗っていたような気がする。
その時、玄関のチャイムが鳴った。時間は午後6 時過ぎ。父や母が帰ってくるには早すぎるし、そもそも彼らはチャイムなど鳴らさない。私はイブの夜にいったい誰が我が家に用事かと玄関スコープから覗いて見た。すると驚いたことに、そこには羽根田さんが大きな紙袋を抱えて立っている。私は慌ててドアを開けた。
「メリークリスマス」
サンタクロースにしては若すぎるし痩せ過ぎているその男は、深々と頭を下げると持っていた紙袋を私に差し出した。
「今度こそ別れました。電話してもよろしいでしょうか」




