15◆ 屋上の迷惑男
文化祭当日は願ったとおりに快晴で、私の心は起きたときから軽い興奮状態だった。模擬店や舞台を見るのも楽しみだったが、校門のオブジェや案内ポスターなど、自分たち美術部が頑張って作った数々の作品が、生徒や来訪者にどう評価されるのか気になって仕方がない。
母から記念撮影用の一眼レフを借りて鞄にしまうと、私はいつもより30分も早く家を飛び出した。
「千夏子、すごいね!あのオブジェ」
教室に入ってくるなり口々にクラスメートがオブジェを絶賛してくれた。校門に建てた高さ5メートルの巨大オブジェは、全て廃品のアルミ缶で作られていて、それを美術部総出でひとつずつ色味の異なるシルバーに塗装し、ボルトで止めて組上げたものだ。まるでSFの乗り物にも見えるその作品は、今まで私が手がけた物の中でも最高傑作と自負していたので、褒められると素直に嬉しかった。
「それに引きかえ、何あのプールの絵」
光太郎画伯による「海の絵」は、やはり思った通りの出来栄えで、どう見ても水色のアメーバがのたうち回っている。それでも客が入ってしまえばそんな事はおかまいなしで、模擬店はヨーヨーの補充が追いつかないほどの大盛況だ。
私とあゆみも受持ち時間はてんてこ舞いの忙しさだった。そしてやっと今、役目から解放され中庭でド-ナツやたこ焼きなど模擬店ランチにありついてる。時刻は午後2時、空腹を通り越してもはや胃の感覚がない。
「おーい」
はるか頭上から降ってきたその声に、私の全身が凍りつく。ちょっと掠れたその声を聞いたのは、私がぶちキレた夜の公園が最後だった。それ以来、彼のメモリーはスマホから削除してしまったし、何度かかってきた、恐らく彼からと思われる知らない番号からの着信も、ずっと無視して過ごしていた。
「千夏子ちゃーん」
名前を呼ばれて思わずそちらを向いてしまうのは犬型人間の悲しい性だ。声は驚いた事に屋上からで、思ったとおりの人物が、私が反応したのを見て嬉しそうにぶんぶん腕を振り回している。
「千夏子、誰か呼んでる!あれ、誰?」
「いいよ、放っといて」
「呼ばれてるじゃん」
「どっか他のところで食べよう」
言うやいなや私はたこ焼きパックを持って立ち上がり、校舎に向かって歩き出した。ところがその時、屋上の馬鹿がとんでもない雄叫びを上げた。
「飛び降りるーーーーーーっ!」
「げっ!」
その声に周囲がざわめきだす。当たり前だ。文化祭の真っ最中、中庭で飛び降り宣言が行われたのだ。イベントのひとつです、なんて言い訳が通用するはずもなく、どうしていいかわからず私がオロオロしていると、何と羽根田さんはスパイダーマンみたいにフェンスを登り始めてしまった。
「1年2組11番、佐藤千夏子ちゃーん!」
「やめてやめてやめてやめて」
何で出席番号まで知っているのか謎だが、この際そんな事はどうでもいい。とにかく早く降りてくれと祈りながら、私は必死に叫び続けた。
「今すぐここに来てーーー、でないとーーー」
「わかった、わかったからやめて!」
羽根田さんはもうフェンスの一番上まで登りつめている。このままでは本当に落ちてしまうかもしれない。私は唖然としているあゆみの手にたこ焼きを押し付けると、屋上に向かう階段を全速力で駆け上がった。
「ごめんなさい」
重い金属のドアを開けて屋上に出ると、開口一番ぺこりと羽根田さんが頭を下げる。私は破れそうな心臓を何とか宥めながら、怒りを放出した。
「あああ謝るくらいなら、そんな事、し、しないでよ!」
一生懸命走りすぎて、うまく声が出てこない。まどろっこしいので一言で集約できる言葉をお見舞いしてやった。
「ばかーーーー!!!!!」
「ごめん」
そのまま私たちは数メートルの間を置いて無言で対峙した。やがて私の肩の呼吸がおさまった頃に、羽根田さんがもう一度頭を下げた。
「どうしても話がしたくて無茶しました、ごめんなさい」
「無茶にも程があるでしょっ!」
私の怒鳴り声を聞いた羽根田さんが一瞬笑った。それを見て怒りがぶり返した。
「何笑ってんですか、人が真剣に怒ってる時に!」
「……嬉しい」
「は?」
「まじ嬉しい、来てくれて」
だめだ、この男の思考回路がわからない。こっちは飛び降りると脅されて、心臓バクバクさせながら駆けつけて来たのに、何故そんなゆるいコメントが吐けるのだ。
やはり飛び下りてもらった方が良かったかもしれない。いっそ今からでも遅くないと思っていたら、突然真顔になった。この人のコレは危険な兆候だ。




