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おくぶたえ  作者: 水上栞
第二章
29/118

10◆ 雨の中の告白

 


 翌日は朝からぽつぽつと雨が降っていて、それが昼過ぎから本降りに変わり、気温も一気に冷え込んだ。


 昨夜の勝手な「待ち合わせ」は多少気にかかってはいたものの、私はお気に入りのサップグリーンの傘をさして真っ直ぐ家に帰り、すぐさま教科書を開いて勉強体制に入った。しかし文字が全く頭に入らない。


 仕方がないので、キッチンでインスタントのキャラメルマキアートを淹れて部屋に戻った。コーヒーで誤魔化せるとは思わなかったが、何かしていないと間が持たなかった。



 机に座って窓の外をちらりと見る。雨はますます強くなってきた。本気で彼を拒絶するつもりなら昨夜、ブロックを解除しなければ済んだことだ。なのに私は電話に出た。相手が自分勝手な事を知っていて一旦は受け入れ、再び突き放そうとしている。


 私がここまで意地を張っている理由は何なのだろう。単に身勝手に腹を立てているだけではない。私は何かに怯えている。正体不明な「微かな予兆」を、芽のうちに摘み取ってしまいたいのだ。その時、机の上に放り出していたスマホがメッセージの着信を知らせた。羽根田さんからだ。



『寒い』



 気がつけば私は雨の降る中、駅に向かっていた。手には学校指定のジャージを持って。「1年2組佐藤千夏子」のゼッケン付きである事はこの際どうでもいい。図書館前で寒さに震えながら、それでも余裕をぶっこいているはずの男の肩にかけてやれるサイズのものは、部屋にはこれしかなかった。


 たぶん、いや絶対に羽根田圭吾はまだ待ち合わせの場所にいるはずだ。私が来るまで彼は待ち続けるだろう。何でそんな確信があるのか私にも理由はわからないが、とにかく彼はそこにいる。



「お早いお着きで」



 雨の中、俺様の顔色は青白く見えた。しかし憎まれ口を叩くぐらいだから、死にはしない程度だろう。閉館時間を過ぎた図書館前はすでに真っ暗で、私たち以外の人影は見えない。羽根田さんの制服がびっしょり濡れているのに気付いた私は、つい口調がきつくなった。



「朝から雨だったのに、何で傘持ってないんですか」


「忘れた、学校に」


「それなら尚更です。学校出る時間は本降りだったでしょう」


「その緑色の傘に入れてもらいたくて、わざと忘れた」



 この人の発言には、たびたび絶句させられる。返す言葉もなく私は黙ってジャージを出すと、目線で着るように促した。羽根田さんがそれに素直に従う。私にはブカブカなジャージなのに、羽根田さんが着ると窮屈そうだ。鶏ガラみたいに痩せているくせに、いったいどうなっているのだ男の体は。


「あったかい」


「送っていきますから、帰ったらすぐにお風呂入ってくださいよ」


「いや、男が送ってくでしょ、普通」


「そんなびしょ濡れで歩き回ったら風邪ひきます」


「いやだ、俺が送ってく。帰りは千夏子ちゃんの傘貸して」



 梃子でも動かない様子だったので、仕方なく私は送ってもらうことにした。時刻は間もなく7時。試験前の貴重な午後を棒に振らせた事に、小さな罪悪感を抱えながら二人して無言で電車に乗り込む。


 こうして隣に並ぶのは初めてで、思ったより背が高い事に気付いて居たたまれない気分になった。それにしてもいつになく羽根田さんは無口だ。あんまり静かなので、もしや気分が悪いのではと心配していると、急に「あのさ」とやけに真顔で問いかけられた。


「迷惑?」


「何がですか」


「俺が何だかんだで、ちょっかい出すの、迷惑?」



 はい、と答えるのは簡単だったが、冗談めかした問いかけの裏に真剣なニュアンスが感じられ、こちらも幾分慎重に言葉を選ぶ事にした。



「迷惑と言えば迷惑ですね。でも、それより理由が知りたいです」


「自分でもよくわからない」



 やがて電車が小牧台駅に着いた。再び無言になった私たちは階段を下り改札を出て、小牧台方面へと緩い坂道を登っていく。


 傘は羽根田さんが持った。先ほどよりは雨足が弱まっているとはいえ、女物の傘に二人となると肩を寄せ合わなければならない。少し遠慮ぎみだった私の肩先が濡れているのを見て、羽根田さんが腕を回して私を自分の方へ引き寄せた。びっくりして体が強張る。



「あの」



 私は離してくださいという意味をこめて羽根田さんを見上げたが、彼は真っ直ぐ前を見たまま無言で歩いている。何だかそれ以上は言えない雰囲気だったので、私も諦めてそのまま歩いた。そのうち家に到着し、私は玄関ポーチの傘立てからビニ傘を羽根田さんに渡し、取りあえずのお礼を言った。



「送ってくれてありがとうございました。この傘、返さなくていいですから」



 しかし羽根田さんは黙ったままだ。どうしたのかと思って「あの」と顔を覗き込むと、いきなり喋り出したので驚いて一歩飛びのいてしまった。



「何だか、うまく頭がまとまらないんだけど」



 状況がわからないまま、先を促す意味で私はこくりと頷いた。やがて雨の音に混じって私の耳に、羽根田さんのちょっと掠れた声が届いた。



「俺、好きなのかもしれない、千夏子ちゃんのこと」



 それだけ言うと羽根田さんはくるりと背を向けて雨の中へ消えていった。私が言われた事をようやく理解できたのは、私のジャージを着て、うちのお古のビニ傘をさした彼の後姿が見えなくなった頃だった。



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