9◆ 自己中な男
体育祭から早くも2週間。足の小指も何とか完治し、これでやっと自由に遊べると喜んだのも束の間、今度は中間考査が近づいてきた。
入学前、夢に描いていたハイスクールライフでは、春に出逢い夏に恋をして、秋には素敵な彼氏と図書館でお勉強する予定だったのに。現在時刻は始業4分前。校門へと続く本来ならロマンチックなはずの桜並木を、私は落ち葉を撒き散らし猛ダッシュしている。骨が繋がっている事にこれほど感謝したことはない。
その時、背後から何やら黒い影が私を追い抜き、思い切り両腕を広げて前に立ちふさがった。昔から嫌な予感はたいてい命中する。黒い影は荒い息の中からニヤリと片八重歯を覗かせ、竦む私の方へ一歩にじり寄った。
「千夏子ちゃん、俺のことブロックしてるでしょ」
久方ぶりに見る危険人物はまた髪型が変わっていた。いや、単純に前の髪型が伸びただけなのかもしれないが、とにかく今はそんな事を気にしている余裕はない。私は喘ぐ肺に必死で息を吸い込み、目の前の障害物を駆逐すべく声を張り上げた。
「そこどいて下さい!遅刻しちゃいます」
「お返事するなら通してあげる」
「脅迫ですか」
「人聞きの悪い、お願い事だよ」
「とにかくそこを」
その時、3分前の予鈴が鳴った。私の鈍足ではもうギリギリの猶予だ。この鬼畜め覚えてやがれと思いつつ、私は「わかったからどいて」と羽根田さんを押しのけて前に進もうとした。しかし押しのけたつもりの手は空を切り、代わりに何故か手首をがっつりつかまれている。
「急ぐぞっ、おりゃ!」
羽根田さんは何と私の手首を引っ張って走り出した。校内随一の韋駄天に引っ張られりゃあ、自分で走るよりスピードは出る。しかし、こんな状態を誰かに見られるとヤバい。噂になるのは間違いないし、こんなアンバランスな組み合わせでは「お似合いね」など好意的なコメントが頂けるはずもない。私は腕を振り解こうと必死にもがいた。
「離して、離して!」
「うぃす、じゃあ今晩連絡するね~」
羽根田さんは私を校門まで引っ張ると、意外なくらいあっさり手を離して昇降口に消えていった。そのお陰とは思いたくないが、私も何とかSHRの数秒前に教室に滑り込んだ。
汗まみれでひいひい言いながら席に着く私を、光太郎が珍獣を見るような目で眺めている。お前のクレイジーな先輩のせいだよと中指を立てたい気分だったが、一限目の先生が入ってきたので仕方なく息を整えて黒板に向かった。
その夜、律儀にもブロックを解除した私のスマホが鳴ったのは、間もなく日付が変わろうかという頃。「お風呂に入ってて出られませんでした♪」という言い訳を正当化するため本当に頑張って長風呂していた、その湯上りを狙ったようにかかってきた電話に、私は観念して通話ボタンを押した。
「約束を守る男ってポイント高くない?」
もう十数分で明日ですよという言葉を飲み込み、いかにもウザそうな声を作る。早く電話を切って一分でも長く寝たいし、厄介事の卸問屋のような人物とこれ以上関わるつもりもない。という訳で社交辞令や愛想のサービスは割愛させていただく。
「別に約束した覚えはありませんけど」
「うっわ、冷てえ」
「親切にしないといけない理由もありません」
けんもほろろという言葉を現国の時間に辞書で見つけ、これはイケると心に刻みつけておいた。今がまさにその状態だろう。しかし相手は一向にヘコむ気配もないようで、機嫌よく話題を切り替えてきた。
「ねえねえ何でブロックだったの」
「心当たりありませんか」
「ん~……、ないこともない」
「だったらきっとそれです」
くくっ、と籠った笑い声が漏れるという事は、やはり確信犯なのだろう。偶然泣いているところを見られたばかりに、こんな悪魔に取り憑かれるなんて。一瞬でも「いい人」だと思った私の甘さが敗因だ。経験不足は恐ろしい。
「試験休が退屈なんで、遊んで」
「彼女に言ってください、てゆーか試験休みなら勉強してください」
「勉強しようか、一緒に」
「はい?」
「試験範囲バッチリ教えられるよ。去年の答案用紙まだ持ってるから」
去年の試験範囲、そして現物の答案用紙。恐ろしく魅惑的なコンビネーションだ。脳内電卓が損得勘定を必死にはじき出そうとしていた、その数秒の沈黙を俺様男の一言が断ち切った。
「という事で、明日市民図書館前に4時集合」
「あ、ちょっと」
慌てて電話に呼びかけたがすでに切れている。強引というか自己中というか。断られるという可能性を考えないのだろうか。してやられた腹立ちで頭がクラクラする。こうなったら損得勘定なんて関係ない。試験範囲が何だ。答案用紙が何だ。絶対行ってなどやるもんか。女がみんな自分の術中にはまると思ったら大間違いだという事を思い知らせてやる。




