6◆ 余計なお世話
「それにさ」
まだあるのかと耳を塞ぎたくなった。年の近い男の生の声であるだけに、やたらグイグイくる。嫌味のない語り口なのでトーンはまろやかだが、羽根田さんの言葉は余計な装飾がない分、聞く方としてはけっこう痛い部分にピンポインツ攻撃なのである。
「そんな射手矢の行動に悩まされてるってことは、千夏子ちゃんもある意味、射手矢が好きだったってことじゃないのかな」
「それはありえないです!」
そこは断固として否定したい。キスされた時も嬉しくなかったし、光太郎にときめいた記憶など一切ないのだ。そんなの、好きであるはずがない。
「射手矢と同じ種類の好きじゃなかった、って事もあるよね」
「種類?」
「女の子って、あの人は“いい人”って、よく言うでしょ。側にいてくれるだけで安心するって。でも、好きなのか聞いたら、違う、恋じゃないって」
羽根田さんが持参したペットボトルの水を一口飲んだ。上下するのどぼとけを見て、不覚にもどきっとしてしまった。
「ただ、それを失って辛いんなら、誰かと分け合えないなら、それって好きの一種だと思う」
失って辛かった私としては、複雑な気分だ。それが恋だったかどうかは分析する気もないが、今までの光太郎との関係が私にとって居心地が良かったのは事実だ。そういう意味ではある意味、好きだったのだと思う。
「とか、偉そうなこと言ってるけど、俺はそんな風に悩めるほど誰かを好きって思った事がない」
私が考え込んでしまったのを見て、羽根田さんが冗談めかして「へへっ」と笑った。
「そうなんですか」
「うん、俺って恋愛に関しては温度低いみたい。女の子は可愛いし、遊ぶの楽しいし、大好きだけど、誰かに取られても気にしないというか」
「やきもち焼いたりしないんですか」
「好きにすればって思う。だから人の恋愛はかえって冷静に見れたりすんのかもしれないね」
それで彼女さんとはうまくいくんだろうかと思ったが、さすがにそこまで聞けなかった。羽根田さんが「また学校で」と去った後、なんだか開かずの扉が開いた先に、もう一枚扉が現れたような気分になった。
私が幼すぎるのか、社会が複雑すぎるのか。疲れたので横になったらそのまま眠ってしまった。会話の内容はともかく、羽根田さんは私の睡眠導入剤としては、大いに役に立つようだ。
翌日は午前中に母が迎えに来て退院手続きを済ませ、スーパーであれこれ買い込んで家に帰った。たった2泊3日だというのに、我が家が懐かしく感じられたので母にそう言うと、「やだ、お父さんみたい」と笑われた。父も出張のたびにそれを言うらしい。やはり親子は感覚が似るんだろうか。
今日は学校の友達は始業式だというのに、私はベッドにいる。何だか贅沢な時間を過ごしているような気がして機嫌よく部屋で本を読んでいたら、夕方頃になって不機嫌の代表選手がやって来た。
「何で昨日、羽根田先輩がいたの」
単刀直入だね、と笑い飛ばしたが相手は答えるまで引き下がる気はないらしい。私は足をかばいながら体を起こし、光太郎がここへ入ってきたのは何年ぶりだろうと思った。
私が光太郎の部屋に入らなくなったのと同様、光太郎もここ数年は私の部屋に入らなくなった。高校に上がる前に大幅な模様替えをした私の部屋は、光太郎が知っている昔の雰囲気とは一変している。そのせいか光太郎はキョロキョロと辺りを見渡し、落ち着かない表情だ。やがて私が答えないので業を煮やした光太郎が、ぶすっとした口調で本題を吐き出した。
「お前、言っとくけどあの人、手当たり次第らしいぞ」
つまりは羽根田さんの女性関係が華やかだという事を言いたいらしい。その対象に私が含まれているとでも思ったのだろうか。色んな意味で不愉快だった。私が軽い女だと思われた事も、そして羽根田さんがいない所で陰口を言う光太郎にも。
「何か勘違いしてない?私、先輩とはそういうんじゃないし。第一、会ったのってあれで2回目なんだけど」
「会って2回目で見舞いに行くっておかしくね?」
「親切なんだよ、誰かと違って」
「お前、バカすぎ。親切にしといて、信用した頃に喰われるぞ」
私はいよいよ気分が悪くなった。こいつの頭の中で最低一回は、私が羽根田さんに喰われる図が描かれたという事だ。どんな妄想エロ魔人だ、お前は。足が動くなら飛び蹴りしてやるところだ。
「バカはそっちじゃん、あの人彼女いるんだよ」
「彼女いるのに、あっちこっち手え出すから問題なんだよ」
「あんたにそんな事、言う権利はないよ」
言った後で、それが二通りの意味に取れる事に気付いた。他人の付き合いに口出しするなという意味と、自分もあちこち手を出しているだろうという意味と。
光太郎がどっちの意味に取ったのかはわからないが、その言葉を聞いて憮然と立ち上がり部屋を出て行った。階段を下りる足音で判断するに、非常に立腹しているらしい。自業自得だ、ざまあみろ。
説明のつかない苛立ちで、さっきまでの穏やかな午後は吹っ飛んでしまった。しばらく誰も私に関わらないで欲しい。光太郎も、あゆみも、羽根田さんも。せめてこの足の骨が繋がるくらいの間は、私にやすらぎの時間というものを与えて欲しい。