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おくぶたえ  作者: 水上栞
第二章
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5◆ 羽根田氏の謎理論



 しばらく三人とも黙ったままだったが、やがて光太郎が「うちのオカンから」と、パン袋を置いて帰っていってしまった。その袋は小牧台駅前のパン屋のもので、中には私がいちばん好きな林檎とクリームチーズのデニッシュ、そして光太郎がいつも買う粗挽きジャンボウィンナードッグが入っていた。


 まるで趣の異なる二つのパンの意味するところは、鈍い私でもおよそわかる。光太郎は見舞いがてら私と一緒に食べようと少ない小遣いをはたいてパンを買ってきたのだ。母親からのわけがない。おばちゃんは私がこのパンを好きなことを知らないのだから。



「名探偵の推理では」



 羽根田さんがパンを見てニヤリと笑う。私と同じ事を思ったのだろう。



「これは愛の告白としか思えないんですがね」


「パンで愛を告白されてもですねぇ」


「俺、いない方が良かった?」



 正直、いてくれて良かったと思う。光太郎が何を考えてここへ来たのか知らないが、今二人で向かい合ったら話がこじれるに決まっている。せっかく奴と距離を置こうと努めているのに、この状況では私には逃げ場がない。



「いや、いてくれて助かりました。奴の彼女がやきもち焼きなんで」


「二人で会ってたらまずい感じ?」


「せっかくうまくいってますからね。昨日もお見舞いに来てくれたばっかりなんですよ、仲良く二人で」


「そんなの他人にはわかんないよ」


「え」


「うまくいってるかどうかなんて、外から見ただけじゃわかんないよ」



 羽根田さんがにやっと口の端を引き上げる。彼は光太郎とあゆみの仲に疑念を抱いているのだろうか。ただの勘か、証拠があるのか。


 どっちにしても何故しつこくこの問題に触れてくるのだろう。私たちは確かに奇妙な三角関係と言えるかもしれないが、他人の興味の対象にされるのは真っ平ごめんだ。私は話を終わらせてしまおうと、ぶっきらぼうに言い切った。



「ご心配なく、彼らは間違いなくラブラブですから」


「そうかな、射手矢は千夏子ちゃんの事好きだね、間違いなく」


「でも、彼女と仲良くやってるじゃないですか」


「そんな連中いっぱいいるよ、世の中には」


「でも、もしそうでも先輩が気にすることないじゃないですか」


「気にするよ、千夏子ちゃん泣いてたの、原因それでしょ」



 見抜かれている、と思った。詳細はともかく、この人は私の悩みのアウトラインを掴んでいる。ちょっと見ファンキーな風体のその一方で、意外と侮りがたい人物なのかもしれない。



「昨日だって、明るくふるまってる感じしたしさ。偶然とはいえ泣いてる女の子を見てしまったら気になるでしょう、男子として」



 敏感な人は怖い。私みたいな未熟者は、本音を見透かされると駆け引きの材料を奪われる事になる。



「別に白状しろとか、そんな事は言ってないよ。でも、関係ない他人にぶっちゃけて楽になる事、けっこうあるから」



 羽根田さんはにっこり笑って「お節介っちゃぁお節介だけど」と頭をかく。その仕草が何だか誠実っぽく見えたので、私はお力を借りてみる気になった。



「じゃあ聞きますけど」


「うん」


「男の人って好きじゃない女の子にキスとかできます?」


「余裕だね」



 速攻で答えが返ってきた。内容はけしからぬが口調は爽やか極まりない。さらには質問が本筋とかけ離れている事にツッコミがないのも有り難い。しかしその後に続くコメントがお子様の私には強烈だった。



「キス以上の事だってできるよ、よっぽど相手がひどくなきゃ。考えてみ、風俗とかソープとか、どんだけ世の中にあるわけ。それが商売成り立ってるって事は、男が相手選ばない証拠でしょ」


「それ、先輩もそうだって言ってるようなもんですよ」


「否定しない、俺エロいもん」



 恥ずかしいのと腹立たしいので真っ赤になっている私に向かって、羽根田さんはサラリと言ってにっこり笑う。むっつりスケベの反対の言葉があるとしたら、まさにそれだ。この人に相談したのが間違いだったと思い始めた時、さっきとは打って変わった真面目な口調で羽根田さんが語り出した。



「ただ、誤解しないで欲しいのは、それは心変わりとは違う。他の女とどうかなっても、本命の彼女とは別問題」


「言い訳にしか聞こえません」


「んー、だろうね。いまだかつてこの理論を理解した女いねえからな」


「この先もいませんて、そんな屁理屈」



 あまりに身勝手な男の理論とやらにムカムカしていたので、次の言葉を聞き逃す所だった。彼は実に昨晩から私を悩ませていた問題の核心をつまんで簡潔にまとめ、ひょいと目の前に放り投げてくれたのだ。



「射手矢だって男だし。今の彼女に手を出したとしても、いまだに千夏子ちゃん狙いである可能性は普通にあるんじゃないの」



 絶句する私におかまいなしで、羽根田さんは話を続けた。


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