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おくぶたえ  作者: 水上栞
第一章
19/118

19◆ 11番さん、ビンゴです



 長い沈黙の後、あゆみが諦めたように、溜息で言葉を吐き出した。



「前にも一回、言われたことあったんだ」



 光太郎め、前にも何かやらかしてるのか。あゆみの中で、たまりたまって噴火したマグマが、いま私の頭上に降り注いでいるわけか。全く迷惑な話だ。



「付き合い始めた時、私も光太郎って呼んでいいか聞いたのね。そしたら、その呼び方は身内だけだから勘弁してって」


 なんとなく言いたいことが分かってきたけど、無言で先を促す。


「でも、千夏子だってそう呼ぶじゃないって聞いたら、千夏子は特別だからって」



 コメントのしようがない。あの日光太郎に聞かされた「お前、マジで気がついてなかったわけ」のフレーズがぐるぐる回る。


 ずっと私の側で仏頂面をしていた幼馴染は、私が思っているより何倍も真剣な気持で私を好きだったらしい。そしてその一方通行のベクトルは彼だけでなく、彼を必要とする第三者をも知らずに傷つけている。



「だから、千夏子から離れてくれないとダメなの。射手矢くんが諦めがつくくらい、離れてくれないとダメ」



 今回のもろもろの発端は、あゆみが計画的に仕掛けた事なのかも知れないし、あるいはそうでないかも知れない。しかしそんな事はもう私にとってどうでも良い事になっていた。


 私たちは収まりのつかない輪の中で立ち往生していて、その輪を断ち切るのは私の役目なのだろう。目の前のあゆみの表情は、いつも学校で見せる陽気なそれではなく、恋敵に縋ってまで好きな男を手に入れようとする、ドロドロした女の情念に満ちている。それが見ていて何とも痛い。



「こんなの初めてだよ、誰かを必死に追いかけるなんて。今までの彼氏はややこしくなったら簡単に諦められたのに、射手矢くんは無理なの」


 好かれた事はあっても好きになった事がなかったあゆみ。初めて体験する本気の恋に、彼女は翻弄されている。恋愛は惚れた方が負けだとよく言うが、あゆみと光太郎の場合はまさにその公式が当てはまると思った。



「わかった、なるべく光太郎と距離置いてみるから」


「ごめんね」


「謝らなくていいよ」


「でも、ごめん。さんざん言いたいこと言っといて何だけど、私が逆の立場だったら、かなり迷惑な話だと思うから」


「迷惑だよ、でも遅かれ早かれ問題は起こってた気がする」


「そう言ってくれると助かるけど、でもほんとごめん」


「うん」



 あゆみと別れて、さてどうしたものかと途方にくれた。光太郎と距離を置くのは比較的簡単だ。射手矢家との付き合いも失礼がない程度に立ち回れるだろう。厄介なのは私の気持だ。


 別に何がどうしたわけでもないのに、さっきから泣きそうになっている。これは自分でも計算外だった。今まで当たり前のように手に入れていた存在を失ってしまう予感がして怖かった。


 しかし彼らの恋愛サークルの渦中に身を置く気がない以上、私は逃走するしかない。たぶん幼くて弱虫なのだ。そして本気で誰かを好きになった事がない。そんな私にとってあゆみの感情の重さは、一種の脅威に感じられてならなかった。



 ふらふらと駅ビルに入り、洋服屋や靴屋を当てもなく見て歩くうちに、誕生日の記念にピアスを買うつもりだったことを思い出した。エスカレーターで3階の雑貨フロアに上がり、お目当てのアクセサリーショップを覗いてみた。


 前に来た時は夏の新作が並べられていたが、今はすっかり秋のディスプレイに変わっている。グリーンのピアスはあるかなとショーケースを眺めていると、半透明の翡翠みたいな石を涙型にシェイプしたピアスが目に留まった。



「こんちわ」



 頭の斜め上から降ってきた男の声に、思わず私は身を固くした。これはもしや、例のナンパとかいうやつだろうか。最近では私みたいな色気のないがきんちょでも、声をかけられる事が稀にある。


 女性用の売り場だからと気を抜いていたが、夏休みともなればあちこちに暇人がうろついているらしい。私はこういう場合は無視する事に決めているので、そのまま顔を背けて立ち去ろうとした。



「もしや、ナンパと思われてる?」



 なんと男は図々しくも私の背後からついてくる。これがナンパでなくて何だというのだ。顔を見ていないので声で判断するしかないが、たぶん若い男だ。私と同じくらいかも知れない。私はだんだんと早足になった。しかしあともう少しでエレベーターというところで、杢グレイのTシャツが目の前を塞ぐ。男は私の前にあっけなく回り込んでしまったらしい。



「ナンパじゃないって、俺ら同じ学校だってば」


「えっ?」



 私はその一言で恐る恐る顔を上げた。同じ学校と言われてクラスの男子の面々を思い浮かべたが、目の前の男には全く見覚えがない。やっぱりナンパなんじゃなかろうかと思いかけた時、彼の口から記憶につながるヒントが与えられた。



「バスケの試合、見に来てたでしょ。緑の傘さして」



 それを聞いてしばらく頭の中で情報を検索した結果、目の前の人物におぼろげな記憶の一部が符合し、私は「もしかしたらですけど」と前置きを置いた上で、彼が誰であるかを確認してみた。



「えっ…と、11番さん?」



 あゆみに引きずられて行った、あの雨の日。バスケの対抗試合で見たもっさり頭の11番さんは「ビンゴ」と言いながら片八重歯の笑顔を全開にした。



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