16◆ 体育会系アネキ、由佳里ちゃん
あの一件以来、私は殆どの時間を絵を描くことに費やして夏を過ごした。
当初計画していた若者らしい計画のあれこれも、何だかやる気がイマイチ出ないまま立ち消えになってしまい、かろうじてチヨを含む中学の友達グループ数人で市民プールに泳ぎに行った程度だ。
バーゲンで張り切って買ったキャミソールもサンダルも、何回日の目を見ただろうか。当然ながら私の異様に白い肌にはメラニン色素の増殖など微塵も見られず、今年こそ小麦色まで頑張ってみようと思っていた、あの夏休み前の昂揚感が嘘のようだ。
それでも8月20日、16歳の誕生日だけは気合を入れてケーキを焼いた。普通なら親なり友達なり彼氏なり、そういう近しき人間から祝ってもらうのが誕生日の筋なのだろうが、我が家ではここ数年は私が自分の好きな料理を作り、それを家族+光太郎で囲むのが通例となっている。
それは今年も同じように行われ、唯一の例外は射手矢家から光太郎ではなく由佳里ちゃんが参加したことだ。
射手矢家の次女である由佳里ちゃんは、私より2つ年上で小さい頃からよく遊んでもらった。いわば姉と友達の中間のような存在だ。性格的には、さっぱりきっぱり。見た目の優美さからは想像できない、骨の髄から体育会系のマッチョ姉貴なのだ。ちなみにテコンドーの有段者である。
それだけに、今回の彼女の参加は私にプレッシャーを与えた。私と光太郎の間に何かあった事をもし彼女が気付いているなら、真っ向から切り込んでくるだろう。それにどう答えていいのか、私にはまだ準備ができていなかった。
「うちのバカ弟に彼女ができたらしいね」
いきなりの突っ込みが入ったのは、誕生会ゴハンの後。車で30分ほどの距離に住む母方の祖父母を両親が送っていき、食器の片付けを私と由佳里ちゃんで済ませている時だった。
栗色のショートヘアに縁取られた、完璧な卵形の輪郭に見とれている場合ではない。瞬きで象を倒せそうな由佳里ちゃんの巨大なアーモンドアイが、私を容赦なくピンポイント攻撃しているのだ。やっぱり来たかとビビりつつ、私はなるべく無難な受け流しに終始する構えを取った。
「うん、そうみたい。光太郎が言ってた?」
声が震えませんようにと祈りながら、私は何気ない風を装って皿を水切りかごに移す。彼女ができた経緯を由佳里ちゃんに知られたら、光太郎はただでは済まないだろう。私ももうこれ以上のトラブルは御免だ。取りあえずさっさとこの話は終わりたい。そう思っていたら、由佳里ちゃんの口から意外な答えが返ってきた。
「いんや、相手が家に来た」
「え、あゆみが?」
光太郎の携帯番号を送信して以来、あゆみから来たメッセージはお礼の一通のみ。電源を切っていたのがアホらしいくらい、あの後の私たちは没交渉だった。
そのあゆみが光太郎の家、すなわち私の家から徒歩1分のエリアに出没していたとは。もちろん、彼氏の家の近所なのだから彼女がウロついても不思議ではないのだが、そこに私の存在がないのが何だか複雑な気分だ。
「光太郎は留守だったんだけど、挨拶されてびっくりしたよ。射手矢くんとお付合いさせてもらってます、だって」
「アポなしで来たんだ」
「光太郎が帰ってから聞いたら、彼女だって言うからびっくりしたよ。でもね、あいつちっとも嬉しそうじゃないのよ」
何と答えていいのか言葉に詰まる。彼女とは名ばかりで、数日前まで名前と顔も一致しなかった相手だ。これからどう発展するかはわからないが、現段階では恋愛感情の芽生えはなくて当たり前だろうし、当然、嬉しそうであるはずがない。私はその事実から遠ざかるべく、当り障りのない方向に話を戻そうとした。
「まあ、光太郎はいっつも機嫌悪そうな顔だしねえ」
「そんな事ないよ、チカといる時は嬉しそうだよ」
いかん、戻そうとした話がもっと悪い方向に飛んでいく。洗っていたお玉が手から滑って、シンクの底にカランコロンと派手な音を立てて転げた。
「光太郎、チカにベタ惚れだと思ってたんだけどなあ」
「いや、それは勘違いというもので」
「ねえ、もしかして光太郎、チカに振られた?」
さすが姉貴というべきか。何も知らないはずの由佳里ちゃんは、たったひとつのピースからパズルの絵柄を見抜いてしまったらしい。私がしどろもどろしているのをイエスと取ったのか彼女は、濡れた手をタオルでぞんざいに拭くと、美しい弓形の眉毛を悲しげに下げて、筋肉質な腕で私を力いっぱい抱き締めた。
「チカが妹になると思ってたのになぁ」