15◆ チヨ姉様のカウンセリング(2)
心地よい、チヨのアルトの声が静かに響く。
「……千夏子だけだよ、射手矢の気持ちに気がついてなかったの」
「私だけ?」
「うん。中学の仲間うちでは有名だったもん、射手矢が千夏子を好きなの。たぶんあいつの姉さんたちも千夏子の家族も気がついてたんじゃない」
中学の友人はともかく、光太郎の姉たちや私の家族までが知っていたことに少なからず戸惑いを感じた。まるで仲間はずれになったような気持だ。私は人並み外れて鈍感なのだろうか。それとも当事者だからこそ気付かないでいたのだろうか。
「でも、一度だってそういう素振りとかなかったのに」
「しょうがないじゃん、千夏子ずっと秋山のこと好きだったしさ。それに素振りって言うなら、明らかに他の女とは扱い違ったと思うけど」
「そうかな」
「あの愛想なしの射手矢が、あんたにだけはお喋りだったでしょ」
「それは小さい頃から一緒に遊んでたから」
「だったら教えてあげるけど、あいつ雨の日に置き傘があるからって嘘ついて、千夏子に傘貸して、自分は濡れて帰ったことがあるんだよ」
知らなかった。汚れ物を平気で持たせる無神経な男が、実は私の知らないところでそんな気遣いをしていたなんて。
そう言えば盗まれた自転車を探してきてくれたり、自分の誕生日のケーキを必ず一切れ残しておいてくれたり、昔からさりげなく有難い存在だったのだ、私にとって射手矢光太郎という人間は。
「ほかにも数え上げたらキリがないよ。千夏子が秋山を好きなの知ってて、ずっと影で見てたんだよ射手矢は」
「知ってたんなら、何で教えてくんなかったのよ」
「他人の口から言うことじゃないでしょうが」
さっきまでは光太郎に対して心底腹が立っていたが、今は何だか私のほうが悪者であるような気分になってきた。奴がこんな私相手に、何年間も不毛な片思いを続けていたなんて。黙って俯いているとチヨがぼそっと言った。
「もう望みがないと思ったんだろうね」
光太郎はそのうち、私に何らかのアプローチをするつもりだったのだろうか。今となっては知る由もないが、今日の代理告白でこっちに完璧その気がないと知り、衝動的に乱暴な手段に訴えてしまったのかもしれない。そうでもしなければ奴は一生私に触れることはできなかっただろう。胸が再び痛みを訴え始めた。
「何だか新学期、顔合わせるの気まずいかも」
「普通にしとくしかないよ、別に千夏子が悪いんじゃないし」
「あゆみにも会いづらいな」
あゆみの名前が出たところで、チヨが急に険しい顔になった。そして何か考えをまとめるように眉間に指を当てうーんと唸っていたが、やがて顔を上げてこちらに向き直った。
「そのあゆみって、ずっと千夏子に探りを入れてた子だよね。射手矢は千夏子のこと好きなんじゃないかって」
「うん」
「だったら話がおかしいとは思わない?」
「なんで」
「自分が付き合いたい相手に、そいつの好きな女を使って告るか、普通?それって相手の男にとっちゃ、すんごい精神的ダメージくらうでしょ」
確かにチヨの言う通りだと思う。今日、蒸し暑い教室で見たアンドロイドのような光太郎の表情は、全ての感情を失った絶望そのものだった。
「もしかして、それ彼女の狙いだったりして」
「え、え、狙いって」
「作戦だよ、射手矢に千夏子を諦めさせるための」
しばらくその意味を頭の中で熟成させているうち、突然パズルのピースがぴったりはまった。
学校帰りのカフェで光太郎が好きだと打ち明けたあゆみ。あの時は告白するのが恥ずかしいという理由を鵜呑みにしてしまったが、よく考えたら私と違って交友関係の華やかなあゆみなら、他にも適任者はいたわけだ。それなのに頑なに彼女は私に橋渡しを頼んできた。それこそ涙まで流すくらい執拗に。
「利用……されたってこと?」
「そう言っちゃうと、ものすごく悪意があるみたいだけどさ。意図的ではないにしろ、深層心理で計算が働いた可能性は大だね」
そう言われてみると、すべてが仕組まれていた事のように思えてくる。あゆみが光太郎のことで何度もカマをかけたのは、私をメッセンジャーに仕立てるための根回しで、計画的に私に光太郎を振らせようとしたのなら、それはあまりに狡猾だ。
私は間抜けな道具になり下がり、光太郎と自分自身を傷つけた事になる。それが単なる推測の域を出ない事はわかっていても、醜い妄想が膨らむのを私は抑えきれなかった。
「どっちにしても、千夏子は普通にしとくべきだよ。とりあえず、頼まれた役目は果たしたんだしさ」
「そうだね」
俯きながら無意識に足のペディキュアをいじる。小指から順に剥げていくのは何故だろうなんて思いながら、この件については時間が忘れさせてくれるのを待つしかなさそうだ。
光太郎がヤケクソで告白を受けた事は、あゆみにとってラッキーな計算外だったのだろうか。彼女の真意を確かめる勇気は私にはない。ただひとつだけはっきりとしていることは、私はもう昨日までの気持ちではいられないという事だ。あゆみに対しても、光太郎に対しても。
夜、チヨが先にシャワーを使って、私がその後にバスルームに入った。湯上りに洗面所の鏡を見ると、私の白すぎる腕にくっきりと赤く光太郎の指の跡が浮かび上がっていて、私は本日終了したはずの涙をもう一度流す羽目になった。
いつか初めての恋人ができてファーストキスの仕切り直しをした時、私はちゃんと初々しいときめきを感じられるだろうか。もし今日の事が思い起こされて悲しい気持ちになったら、私はいったい光太郎とあゆみ、どっちを恨めばいいのだろう。
私のベッド下に敷いた布団で寝ているチヨにそう言うと「相手が見つかってから考えろ」と即答されてしまった。そういえば彼女はもう誰かとキスした事があるんだろうか。女子高に通っていても人目を引くルックスのチヨの事だ。きっと通学時などチェックを入れてる男は多いだろうな。
そんな事をぼんやり考えながら、私は爆睡モードに堕ちていった。絶対眠れないと思ったにもかかわらず、意外と私の神経は図々しく出来ているのかもしれない。