14◆ チヨ姉様のカウンセリング(1)
帰り道、知り合いに会わなくて助かった。小牧台の駅に着いてトイレの鏡で確認すると、目の周りと鼻が赤くて泣いた事がバレバレだったので、コンビニでパウチ入りゼリー飲料を買って冷やす作戦に出た。
今日は家に非番の母がいるから腫れぼったい目で帰るわけには行かない。うちの母親はさっぱりした気性なのでしつこく詮索はしないだろうが、それでも娘の身に何が起こったか心配させてしまう。私はゼリーが温くなるまでせっせと目の周りを冷やし続けた。
「おかえり、チカちゃん」
「おかえり~」
中年女声二重奏に出迎えられて思わず体がこわばった。こんな日に限ってキッチンには光太郎のお母さんが来ていて、奴とそっくりの顔で私にスマイルを飛ばしてくる。我が息子がさっき何をしでかしたか知ったなら、きっとその笑顔はムンクの叫びに取って代わるだろう。
私が原因ではないにせよ、この人たちに一生言えない秘密を持ってしまった。それが後ろめたくて私は昼食のサンドイッチを盆に乗せると、そそくさと二階の自室に引き篭もった。
ベッドに倒れるように寝転ぶと、いつもの見慣れた光景に少し気持が落ち着いてきた。同時に嵐のような空腹感が襲ってきて、お盆のサンドイッチをがっつく。レタスとペッパーポ-クのサンドイッチは私の大好物だ。全粒粉のパンだとさらに美味しい。
お腹が満たされるにつれ、ほぼ平常心を取り戻した事を私は実感した。大きなショックを受けた事は確かだが、取りあえず私の生命維持機能は正常に作動しているらしい。こうなれば頭脳も正常に動き始めるわけで、私は再びベッドに横になるとチヨに救援のメッセージを入れた。
『大事件発生。かなり精神的にキてる。助けてチヨ姉様!』
今度の事は、考え方ひとつで悲観的にも楽観的にも転ぶ気がする。出来れば楽観的に済ませたい私としては、混乱した感情の整理を早いうちにつけたくて仕方ない。そのためには公平な第三者のジャッジが必要だ。チヨならそれができる。たぶんまた痛い事も言われるだろうが、今の私にはきっと良薬に違いない。
『今から行こうか?泊まった方がいいならそうするけど』
簡潔かつ的確なレスを送ってよこす友に感謝しながら、私は「お願いします」と返信した。
チヨの家は小牧台の外れにある中層マンションの3階で、うちまでは自転車で5分、何だかんだの準備を入れても30分ほどで到着するはずだ。時計は2時過ぎを指している。
光太郎にキスされてから1時間以上が過ぎた。好きな人と同意のもとに交わす予定だったファーストキスなら、今頃ドキドキでウルウルで悶絶していなければならない時間帯だというのに、どうだろう私を取り巻くこのどんよりとした空気は。しょんぼりしながら汗で湿った制服を脱ぐと、私は部屋用Tシャツとカーゴパンツに着替えを済ませた。
「もしや射手矢に襲われたとか?」
開口一番チヨは大きな口を三日月みたいな形にして笑った。私がビックリして言葉を失っていると、「ビンゴかよ」と言いながらミニテーブルの上にコンビニで買ってきたらしいお菓子やペットボトルを並べ始めた。サワークリームアンドオニオンのチップスは彼女のお気に入りだ。これに必ず無糖のアイスティーがセットになる。
「何でそう思うのよ」
やっとこさ気を取り直してチヨに訊ねた。もしや私の外見に痕跡が残っているのだろうか。だとしたら階下の母親たちも気づいた可能性がある。私はまさかと思いながらも、自分の体をチラチラと確認せずにはいられなかった。
「そんな挙動不審じゃ、はいそうですって言ってるみたいなもんだよ」
「別にそういう訳では」
「で、どうなの。例の代理告白だか何だかで射手矢がブチ切れたか、俺は千夏子が好きだったんだよーっとか言われて襲われたか」
見ていたのかと思えるほどチヨの推理は真実を衝いていて、私の脳裏にさっきの光景がフラッシュバックする。途端に鼻の奥から引っ込めたはずの涙がこみ上がり、その勢いで私は今日あったことを包み隠さずチヨにぶちまけた。
チヨはその間一切の言葉を挟まずに話を聞いていたが、話し終わった後に大きなため息をついて、私のとなりにやってきた。