12◆ 光太郎の交換条件
「条件って?」
だるそうな声が出て、ここまでの話で自分がすでに消耗している事を知った。
友人の代理告白だけでも勘弁してくれという感じなのに、そのうえ何だよ条件って。もはやシナリオとは大きくかけ離れた展開に頭がついていけない。早く家に帰りたい、帰って平和な午後を貪りたい。
「お前がひとつ条件のむなら、そいつと付き合ってもいい」
「はぁ、なにそれ!」
私は思わず大声を出した。光太郎があゆみと付き合うのに、なんで私が条件を呑まなきゃならんのだ。それは筋が通らない。私は断固として抗議に出た。
「私、関係ないでしょ。光太郎とあゆみの問題じゃん」
「じゃあ言い方変えるわ、約束守って。これならどう?」
「約束?」
「小学校の頃、俺がお前より背が高くなったら、って約束しただろ」
「ああ、あの約束か」と、記憶の中から幼い私たちの姿が浮かび上がる。たしか小学3年生だったか4年生だったかの夏休み。近所の子供同士で遊んでいた時、光太郎が女の子数名に背丈をからかわれて泣いた事があった。それを私は例のごとく、姉貴面して慰めたのだ。
「大丈夫だよ、光太郎もそのうち絶対大きくなるから」
「ほんとに?」
「なるよ!そうだ、じゃあ約束しようよ」
「どんな約束?」
「もし光太郎が私より大きくなったら、何でもひとつ言うこときいてあげる」
「ほんとに?」
その約束は小さい頃こそ何かにつけ話の端にあがっていたが、ここ数年では思い出しさえもしなかった。というより、そんなものは子供同士の無邪気なお約束ごっこで、高校生になってまで有効であるなど誰が思うだろうか。
「お前、入学の健康診断で何センチだった?」
「え、160ジャストだけど」
姑息にも私は5ミリだけサバをよんだ。本当は159.5センチだったが、ここで光太郎に負けるのは絶対にまずいと本能が危険信号を発していた。たしか光太郎は中3で156センチだったので、たぶんまだ追いつかれてはいないはず。しかしそんな私の言葉に光太郎はニヤリと笑みを見せ、おもむろに立ち上がると私のほうへ歩み寄ってきた。
「勝った」
「なっ」
「俺、160.5センチ」
「まじっ!」
あからさまに驚く私の二の腕を光太郎がつかみ、椅子から立ち上がらせた。正面に立つと目の位置が殆ど同じか僅かに高い。どうやら1センチの差は本当のようだ。
近ごろ至近距離で並ぶことなど滅多になかったせいか、いつの間にか光太郎の背が伸びた事に私は気づかないでいた。とても複雑な気分だ。悲しいとも悔しいとも違う、もっとチクチクした変てこな痛みが胸の奥から湧いてくる。
「約束守れよな」
光太郎の目は笑っていない。もしや今まで純粋に子供時代の約束を信じていたのだろうか。もしそうなら勝手に反故にしようとして申し訳なかったと思う。それでも約束はあくまでも約束で、条件と相殺されるべきものではない。
「約束は守るよ、でも今そんな話してたんじゃないよね」
「でも、どっちにしても約束は守ってもらわないといけないんだし」
「そりゃあそうだけど。ちょっと、腕はなしてよ、痛い」
光太郎の手の力がさっきより強くなったような気がして、振りほどこうと腕を揺するが、かえってがっちりつかまれてしまった。ブラウスの袖が皺になってしまいそうで嫌だ。
それに何だか妙な違和感を感じる。小さい頃はよくプロレスをして本気で技をかけあったりもしたけれど、ここ数年はお互いに触れることなどなかった。ましてやこんな間近で顔を見合わせるなど。
「何でも言うこと聞くんだったよな」
光太郎がまた一歩こちらへ近づく。何故こいつは今日に限ってこんなに接近するのだろう。あんまり位置が近いのでじりじりと後退してみたが、それに合わせて光太郎はますます距離を詰めてくる。私たちの間は約50センチ、そして私の背後には壁がある。あと二歩ほど詰められたら間違いなく接触してしまう。
「ちょい待ち、あんたちょっと離れて」
「約束、覚えてないとか言わねえよな」
「いや、とりあえず覚えてるけど私は――」
言い終わる前に目の前が黒いもので塞がれて、次の瞬間、唇にくにゅっと生暖かい何かが触れた。その黒いものが光太郎の前髪で、生暖かいものが唇である事くらい、いくら未開発な私でも瞬時にわかる。さっきから、まさかこいつそういうつもりではと、頭の片隅にチラついていた危険な予感が現実となり、気が動転して目の前に七色の火花が飛ぶ。
「うう、うぅ」
渾身の力を込めて胸を押し返そうとするが、両腕をがっちりホールドされ、背中と腰を壁に押し付けられている格好ではいかんともしがたい。せめて唇だけでも離そうと顔を思い切りそむけると、今度は片腕で上半身を抱え込まれ、もう一方の手で頭を押さえ込まれてしまった。
ぐいと顔が光太郎の方に向けられ、再び超マクロで敵の唇が接近する。その口元に薄い髭の剃り跡が見えて、その時はじめて私は光太郎が怖いと感じた。