完結記念番外編「トウキョウライフ」
ついさっきまで部屋中を占領していたダンボールがなくなると、嘘のように空間が広く感じられた。高3の秋に父が亡くなってから、母と私と弟と、3人で暮らしてきた2LDKのマンション。母娘で共有だった8畳間は、今日から母ひとりのテリトリーとなる。私は名残を惜しむように、娘時代の何年間かを過ごした家を眺め渡し、一礼をして鞄を持った。
独身者、しかも実家から出て行く人間の荷物なので、笑えるほど小さなトラックだ。これが数時間後には新しい私の拠点、東京郊外のワンルームマンションに到着し、からっぽの部屋を見慣れた色彩で満たすのだ。
この機会に家財を新調する事もできないではなかったが、私はわざとベッドや机などオンボロ家具を持って行く事にした。それは、子供の頃から私と一緒に頑張ってきた大切な仲間であるから、なんて言えば聞こえはいいが、ずっと親元で甘えてきた自分が、急激な環境の変化に馴染む自信がなかった、というのが本音だったりする。
「気をつけてね」
駅までついてきた母と弟に、ふたりもね、と返す。恐らく、あの家で再び私が生活する事は二度とないだろう。なんだか去りがたい雰囲気になりそうだったので、私は「もう行かなきゃ」と改札へ向かった。
その気になれば、明日にだって帰って来られる距離なのに。いや、距離の問題なんかじゃない。行く先が北極だろうが隣町だろうが、私がここの住人でなくなる、その事実が家族にとっては、まるで目の前に見えない線が一本引かれたような、何とも言えない喪失感を感じさせるのだ。
「ひとり暮らしは、初めて?」
「あ、はい」
現地に到着し、荷物がほぼ運び込まれたころ、業者のおじさんに尋ねられた。微かな東北訛りが、秋田出身の母を思わせる。この人も、若い頃に故郷を離れて見知らぬ町へ来たのだろうか。おじさんは、優しげな顔にくしゃっと皺を寄せて笑った。
「最初はねえ、寂しいよねえ」
「そう、ですね」
「戸締りに気をつけて、頑張ってねえ」
無言で頷いた。何だか、そう言われて急にじんわりとこみ上げてきた。本当は寂しかったのは、母と弟ではなく私の方だったらしい。
それがもう、半年も前のことだなんて嘘のようだ。私は先日、めでたく23歳の誕生日を迎えた。とは言え、職場まで往き帰りの自転車で少し陽に焼けた以外は、実家にいた頃と殆ど何も変わらない。
ひとり暮らしをすれば少しは大人びるかと期待していたが、それほどいい女への道は甘くないようで、職場では最年少ゆえに子ども扱い。かえって自分の幼さを意識させられる毎日が続いている。
月曜が休館、ただし搬入と点検を行うため、実質は年中無休の職場であり、休日は変則的に月6日シフト。その日はいつも決まって、小さな冷蔵庫に詰め込めるだけの食料品を買出しに行く。
自転車で風を切って走り、安くて新鮮な八百屋さんを探したり、調理の相談に乗ってくれる魚屋さんでおまけしてもらったり。街を探検するかのごとく、ペダルを漕ぐのが目下の私の楽しみだ。最後はちょっと足を伸ばしたところにある、品揃えのいいスーパーへ。ささやかな贅沢としてレジ横の切り花を買い、自作の花瓶に生ける。職住近接、郊外だからこそできる、心豊かな東京シングルライフここにありだ。
「色気もへったくれもないったら!」
私が職場と家の往復に安住している事を、泊りがけで遊びに来たチヨがしきりに嘆く。
「言っておくけど、その私の買出しのお陰で食べられるんだからね、それ」
色気がないのはチヨの方だ。まだ9月になったばかりだというのに「秋の味覚を食わせろ」とうるさいので、冷蔵庫に買い込んでいた秋鮭と舞茸でパスタを作ってやったら、猿のように頬を膨らませて2皿も平らげた。
痩せの大食いは相変わらずだが、最近は色々とプライベートで変化が起こっているようで、なんとなく可愛げが出て来たというか、雰囲気にまろやかさが加わったというか。たった半年、されど半年。若い私たちが薄皮を脱ぐには、十分な時間だと言えるのかもしれない。
かくいう私も、新しい環境の影響が日増しに濃くなるのを感じていた。美術館の面々は想像していた以上の個性派ぞろいで、無表情かつ無口な館長がそれを中和する役割を果たしている。
竹薮を擁した斜面に建つ館は、渡り廊下で繋がれた3つのパビリオンに分かれていて、敷地だけは広いが館員はわずか7人。しかも事務員さんを入れてだ。そのためみんな、実に精力的に働く。来館者が快適に過ごせるよう館内外の清掃を徹底し、より作品を理解してもらうため、展示物に関する勉強に寸暇を惜しまない。
中には個性という範疇を飛び出して、付き合い方に困るユニークな先輩もいるが、一様に言えることは、全員が自分の仕事にプライドを持っていて迷いがないという事だ。前に勤めていた会社の人々とは、職業に対するスタンスが全く違うと思い知らされた。
そんな先輩方に少しでも近づこうと、私は定時より毎朝30分早く出勤して、エントランスを念入りに清掃する事にした。経験も知識もない新人に出来ることは、それくらいしかないからだ。
早起きは正直、辛い。しかし、四季折々の自然を愛でつつ掃除に勤しむ朝のひと時は、私に今日も頑張ろうという気合をチャージしてくれる。そして閉館後は、展示室に併設された陶芸教室用の工房で、思うままに自分の作品作りに没頭する。あまりに夢中になりすぎて、気がついたら朝になっていた事も何度かあった。
「みんなが洗面道具、ロッカーに置いとく理由わかった?」
「はい、ようやく」
徹夜の翌朝、洗面所で顔を洗っていると洋画部門の先輩に「とうとう佐藤さんも」と笑われた。その先輩もここへ来て数ヶ月目に、デッサン教室のアトリエで朝を迎えて愕然としたという。確かにアーティストの卵にとって、こんな環境の整った制作場は他に類を見ないだろう。
そういう毎日を繰り返しながら、私は館を知り仲間を知り、同時に私を知ってもらう努力をした。もちろん仕事だから、しんどい事がないとは言わない。しかし今の私には足元の茨より、山の頂上にあるまだ見ぬ何かの方が気になって仕方がないのだ。学生時代、ぼやけた進路に悩んだのが嘘のように、私は目標に向かって真っ直ぐに邁進していった。
そんなある朝、私はいつも使っていたコーヒーカップを割ってしまった。それは私が初めて山本先生のアトリエで焼いた記念の品で、気に入って使っていたのだが、いかんせん初心者の作である。持ち手が根元から外れて本体が落下し、コーヒーを床中にぶちまけるという、実に華々しい最期を遂げた。
まあ、残念ではあるが、形あるものは全て壊れるのが運命だ。私は粉々になった処女作を弔うと、慌しく出勤の用意をして家を出た。それが昨日の朝の話だ。
「あ、そっか」
翌朝、コーヒーを飲もうとして水切りバスケットを覗いた私は、カップが割れた事を思い出した。しまった、昨日買って帰るのを忘れていた。コーヒーカップはあれひとつしかなかったのだ。
しかしせっかく淹れたコーヒーを無駄にするのも勿体ない。そこで、何か代わりになるものがないかと、小さな食器棚を開けて適当な器を探した私の指先に、どっしりとした陶器の質感が触れた。
「あ……」
それはいつか、圭吾の大学卒業祝いにと焼いたマグカップだった。折を見て贈ろうと思っていたその矢先、突然の結婚宣言から今生の別れに至ったため、とうとう本人には渡せずにいた。そしてその後すぐに私も引越しになり、取りあえず持ってきて棚の奥に仕舞い込んでいたのだ。
指の長い圭吾の手に合わせて、ちょっと大きめに作ったシンプルなカップ。彼の好きなブルーの釉薬を、口のところだけ二度がけしてある素朴なデザインだ。私はカップを持ったまま、さてどうしたものかとしばらく悩んだが、思い切ってシンクでごしごし洗った。今日から、これをマイカップにしよう。せっかく作った作品だし、器は使ってやらねば意味がない。
布巾で拭いてコーヒーを注ぐと、深い琥珀色がブルーに映えてすごく綺麗だった。その時、ふとあることを思い出し私は冷蔵庫を開けた。ドアポケットの片隅に、このあいだ苺に使った練乳のチューブがあったはず。どうせなら思い出しついでだ。久しぶりに圭吾スペシャルにしてやろうと、私はコーヒーにたっぷりと練乳を絞り込んだ。
「なんか、子供みたい」
「うまいんだって、ベトナム風」
「せっかくレギュラーコーヒー淹れたのに」
「千夏子もやってみ、絶対ハマる、マジで」
圭吾スペシャルとは、甘党の元彼氏さんの好きなコーヒーの飲み方で、たっぷりの練乳とシナモンを入れる、味も香りも甘ったるい乙女コーヒーだ。
私はコーヒーはブラックか、せいぜい砂糖を入れないカフェラテあたりで勘弁して欲しいのだが、圭吾の部屋に行くといつも俺様特製のスペシャルコーヒーを飲まされた。その時は甘すぎて好みでないと思っていたその味が、なんだか今となっては懐かしい。
シナモンを振り入れると、この頃は記憶の片隅から消えかかっている、圭吾の部屋の風景が蘇ってきた。
「甘いっ!」
何年かぶりに飲んだそのコーヒーは、やはり私には甘すぎた。そしてその甘さが、後から感じるコーヒーの苦さを倍増させるような気がした。このコーヒーが好きだった人物は、今ごろ頑張って新米パパをやっているだろうか。きっと相変わらず毎日この甘ったるいコーヒーを飲んでいるに違いない。
私は甘さに辟易しながらカップを洗うと、バッグを肩にかけ自転車のキーをつかんだ。また今日も朝のエントランス掃除から、私の一日が始まる。
東京の片隅の小さな部屋に暮らし、彼氏も作らず粘土にまみれて走り回る私は、小牧台小学校で作文に書いた「しょうらいのゆめ」とは、たぶん大きく違っている。でも、そんな自分に失望しているかと言えば全く逆で、むしろ年を重ねるたび、自分を認める気持が強くなってくる。
細い目も、平べったい顔も、太い足も。少女時代、大きなコンプレックスだったそれらの要素さえ、佐藤千夏子という人格を構成するのだと思うと、愛すべきオプションであるように感じられるのだ。
失敗も然り。今までやらかしてきた数え切れないほどの失敗が、今の私を鍛えて磨いてくれた。もちろん、まだまだ鍛錬の余地は無限大であるからして、この先も多くの失敗を重ねることは間違いない。
「おはようございます!」
館に着くと私よりさらに早起きの館長が、従業員通用口の横の花壇で花の手入れの最中だった。私が挨拶をすると、古びた麦藁帽子の下で無表情な口元が「おはよう」と動く。エントランスの花瓶には、こうして館長の丹精した四季の花々が毎日少しずつ加えられては、彩りを季節とともに移ろわせていく。
ちなみにその花瓶は館長の亡きご主人が焼かれたもので、水替えや洗浄を行う館長の表情が、その時だけは優しげな色を帯びていると感じているのは、きっと私だけではないはずだ。
私は自転車を駐めると、用具入れから庭ぼうきを取り出し、門から続く煉瓦の通路をせっせと掃き出した。9月も半ばを過ぎ、間もなく夏の名残が枯れ葉となって、ほうきの先っぽをにぎやかな色で染め始める時期だ。
空気がぴんと張り詰める頃には、第二パビリオンの横にある大銀杏の木が黄金の塔のように美しい姿を見せるという。私はきっとその光景にうっとりしながら、古ぼけたほうきで嬉々として葉をかき集め、新しい季節の到来を知るのだ。
うんと先の未来はまだぼやけているが、少し先の未来は幸せな期待に満ちている、その事が私には宝物のように思えてならない。
褐色のコーヒーに溶け込む甘いミルクのように、時には昔を思い出したり、はたまた明日に夢を膨らませたり。私のトウキョウライフは過去と未来を混ぜ合わせながら、馴染むほどに円みをおびた色合いを呈してゆく。
佐藤千夏子、23歳。彼氏いない歴3年半、貧乏ヒマなし生活も、けっこう悪くないと思える今日この頃、である。