02◆ 知らされた真実
チヨとさんざんお喋りをして夜更かしをし、朝寝坊をした私の携帯に、夜中のうちに光太郎からメッセージが入っていた。文面にはやっぱり短いひとこと。
――内定した。
これで半年後、私と幼馴染はまた一線上に立って、同時にスタートを切る春を迎える。小中高のように同じ制服で同じ方向を向いてとはいかないものの、新しいフィールドに出て行くことには変わりはない。未知数だけに怖くもあり、そしてその何倍も楽しみである。
――おめでとう!私も新しい道を見つけた。
未熟な羽根をいっぱいに開いて、飛び立ちたいと心から願う。私も頑張る、あんたも頑張れ。光太郎ならきっとキャッチしてくれる。負けじと返信した、私にしては短い文面の中から、本当に私が伝えたいメッセージを。
東京から帰ってすぐに美術館の採用に応募した私は、やけに晴々とした毎日を送っていた。会社への辞表を年明けと同時に出すつもりだと母に伝えた時は、反対されるかと思いきや、意外にも「若いうちに頑張りなさい」と背中を押された。
さらには、山本先生や石見さんも全面的に私のチャレンジを支持してくれている。夢があって、応援してくれる人がいて。私は本当に幸せ者だ。お陰で心身ともに気力が漲るそんなある日、私は思いがけない人物に思いがけない場所でバッタリ出会ってしまった。
10月下旬に入ったある夕方、私は少し家から遠いスーパーで買物をしていた。ここは山本先生のアトリエからの帰り道にあたり、輸入食材が豊富なので度々利用している。
この日はローレルとディジョンマスタードを買いに来た。「今週末はポトフ」と張り切って、数日前から豚肉を塩漬けにしたり、生の腸詰まで用意していたのに、さっき急にマスタードが足りないのを思い出したのだ。あっさりした塩スープで煮込んだ熱々の蕪やにんじんに、たっぷりとマスタードをつけて…と想像してにやけていた私の背後から、遠慮がちな女性の声が私の名を呼んだ。
「千夏子……ちゃん?」
そこにはよく知っている人物が立っていたのだが、それが誰だか脳に納得させるまでに数秒の時間がかかった。2年という月日のラグは大きい。圭吾のお母さんはびっくりしたような表情で、マッシュルームの缶詰を持ったまま売り場の通路に突っ立っていたが、やがてその顔をくしゃくしゃに顰めた。
「千夏子ちゃん、ああ……ごめんなさいね、ごめんなさい、圭吾が、あんな……本当に……」
「あっ、あぶない!」
彼女がこちらに歩み寄ろうとした拍子に、肘にかけていたバスケットが平積みの缶詰に当たり、ガラガラと崩れてフロアに転がる。私たちは慌ててそれを拾い集め、取りあえず会計を済ませてスーパーの外に出た。
自動販売機コーナーで温かい缶コーヒーを買い、プラスチックの固いベンチに腰を下ろすと、彼女は「ごめんなさいね」と手に持っていたタオルハンカチを握りしめた。
「あなたには……謝らなくちゃって、思ってたんだけど」
圭吾の家族は、私たちが別れた事をずいぶん経ってから知らされたのだそうだ。それは圭吾が私との復縁を望んでいたからであり、別れた理由を言いにくかったこともあるからだろう。
ようやく今年の正月にそれを聞いた家族はまず驚愕し、次に怒って圭吾を責めたてた。妹の麻美ちゃんは泣いて部屋に閉じこもり、父親に至っては生まれて初めて息子に鉄拳で制裁を加えたという。
母親である彼女は何とか私に謝って許してもらえと説得したが、翌朝圭吾は部屋から姿を消して、それ以来実家には帰っていないそうだ。驚いた、とっくの昔に酒屋を継いでいると思っていたのに。
「みんな、あなたが圭吾のお嫁さんになってくれるって信じてたから、本当に申し訳なくて……ごめんなさい」
「私は大丈夫ですよ、……圭吾は、今どこにいるんですか」
今さら彼を呼び捨てにしていいのか、一瞬迷ったが他に呼び方を知らない。しかし圭吾のお母さんはそんな事には気付かない様子で、息子は東京のアパートにはもういないのだ、と肩を落とした。
「4年生になって、殆ど学校に行ってなかったみたいで、留年したのと同時にお父さんが仕送りを止めたのよ」
それでも母親からの電話には出るようだが、今は夜のアルバイトをしながら友人宅に居候の身だという。女の家だな、と直感で思った。
夜の商売、不特定多数の女たち、留年中の大学。私が彼を見限った事で、自棄になってしまったのだろうか。しかし私たちの別れに関しては、彼の不始末が招いた結果であり私には何の責めもないはずだ。
それなのにどうだろう、この気持の重さは。触ると痛む程度だった古傷が、今は新しい血を流し始めたように熱を持っている。しきりに謝り続ける圭吾のお母さんを宥め、家路についた後も気持は晴れなかった。
引き出しの一番下の段の、一番奥。その箱を開けるのは実に一年ぶり位のように思える。
圭吾と別れて、彼との思い出の品を次々と処分した。写真、制服、アクセサリー、そしてアパートの鍵。なんとまあ、雑多なものを私たちはお互いの生活に組み込ませていたものかと、そのたびに葬式をする思いで整理をしていったのだが、それでもどうしても捨てられないものが、いくつかあった。
ひとつは、19歳の記念に贈られたペリドットの裸石だ。とうとう加工しないままに、それは今も絹のクッションの上で静かに眠っている。
そしてもうひとつが、初めての旅行で撮った、二人の写真。私が16歳で圭吾が17歳、遊園地のエントランスを背景に、幼い私たちが無邪気に笑っている。この瞬間には、二人の間にやがて起こることなど想像もしていなかった。
じっとその写真を見ているうちに、何かが私の中で形を作っていく感覚に襲われた。それが何なのかはその時は判断できなかったが、それからしばらくして、私は自分でも信じられない行動に出た。なんと圭吾に会うために、東京に出かけてしまったのだ。




