01◆ 新しい風が吹くとき
その頃から、徐々に私の会社に対するスタンスは変化していった。社会全体に対する、といった方が正しいだろう。卒業してがむしゃらに走り続けてきたスピードが、ようやく落ち着いて周囲にも目が向けられる余裕が出てきたのかもしれない。
もちろん、担当する仕事はきちんとするし、意欲もそれなりにあるのだけれど、以前のように仕事にどっぷり依存する事はできなくなった。その反面、ますます陶芸に情熱が注がれるようになり、それが新しい運命を呼び込んだのかもしれない。きっかけは、山本先生のアトリエでお茶を飲んでいる最中、私の他にもう一人いる先輩助手、石見さんが見せてくれた一枚のパンフレットだった。
「今度、ここで先生の個展をやるのよ」
そう言って石見さんが手渡してくれたのは、東京の郊外にある小さな私設美術館の案内で、作品展示の件で先日から石見さんが打ち合わせに通っていたのは知っていた。規模は小さいがちゃんと部門別に展示スペースが設けられていて、休日には初心者向けに手作り教室なども行われている。とても素敵な美術館だと思って熱心に案内書を読んでいたら、中から畳まれた紙が滑り落ちた。
「あれ、何だろ」
石見さんが「ああ、それ」と柔らかな頬にえくぼを浮かべながら、お茶のお代わりを私のカップに注いでくれた。不思議な香りのラプサン・スーチョン。個性的なのに心癒される、石見さんのような中国紅茶だ。
ティーコーディネーターでもある彼女は40代半ば。顔も体も真ん丸く、いつもニコニコしながら美味しいお茶をご馳走してくれる。山本先生のアトリエには、こういう円やか系の人々が集まってくるようだ。私が陶芸にここまで入り込むようになったのも、この人たちの持つ独特の温かさに安らぎを覚えた事が大きいのではないかと思う。
「来年から、陶芸部門を強化して新たに教室を開くらしいの。それで、陶芸経験のあるスタッフを募集してるそうなんだけど」
目の前にピカッと光がフラッシュしたような感覚に襲われた。その紙を開いてみると、東京の郊外にある美術館の写真、そして職員募集という文字が目に飛び込んできた。採用の条件は、陶芸に関する基礎知識を備えている事、そして初心者向け教室で講師の助手ができる程度の陶芸経験があること、と書かれている。
この時点でもう、給与や就業時間などは頭から消えていた。ただ、私に出来るだろうか、やってみたいという、衝き動かされるような興奮が体をかけめぐったのだ。粘土を触って僅か1年のひよっこなのは重々承知だが、私は自分を抑える事ができなかった。
「これ、頂いていいですかっ!」
「あらまあ、ほっぺが真っ赤よ、佐藤さん」
こうして私は約1週間の間、穴が開くほどその募集広告を眺めて過ごし、すっかりボロボロになった頃、意を決して東京へ向かった。すでに気持ちは思い切り傾いていたが、実際に美術館を見て、最終決断をしようと思ったのだ。
もちろん採用される可能性は極めて薄いが、履歴書を送る勇気を奮い起こすだけでも私にとっては大仕事だ。学校で学び、専門職に就いて2年。それなりに今の会社ではうまくやっているとは思う。
しかし、数年後の私を想像した時、胸躍る気持になるかといえばNOである。無謀かもしれない、世の中を甘く見ているのかもしれない、それでも冒険できるうちにしてみたい。臆病な私をそこまで動かす何かを、確かめたい気持は日増しに膨らむばかりだった。
東京駅に着いた私は在来線に乗り換え、一路美術館を目指した。途中までは圭吾の部屋に通っていたのと同じ路線で、あの頃と同じ銀色の車体がホームに滑り込んでくるのを見て、私は時間が歪むような感覚に襲われた。
――東京へはもう何度も行きましたね
脳内に流れるBIGINの「東京」とともに、混雑した車内に荷物ごと体をねじ込まれた。歌とは違って、何度訪れても東京は決して美しい都ではない。それなのに私を含め、どうして人々はこの街へ集おうとするのだろう。
ぼんやり見ていた中吊りポスターのイベントの日付から、間もなく圭吾の23回目の誕生日だという事を思い出した。彼はこの春大学を卒業し、既にこの街にはいないけれど、久しぶりに東京へ来たせいか、最近は殆ど思い出さない笑い顔が浮かんできた。片方だけの八重歯と、垂れ下がった傷眉毛。私の青春の記念碑のような笑顔だ。
今ごろは酒屋の若大将として、あちこち配達で大忙しの日々に違いない。彼にとってこの東京は、どんな街であったのか。そして私との思い出は、彼の中でどんな色彩を保っているのか。考えるだけで切ないのは、そこに癒えきらない古傷が残っている証拠なのかもしれない。
その日、私を迎えた美術館は思っていたより何倍も素晴らしく、温かく、私から選択肢という言い訳をあっけなく奪っていった。採用人員はたった一名。もしもこの空間が私を受け入れてくれるとしたら、春からはここで毎日を過ごすことになる。
想像しただけで涙が溢れ出して、トイレに駆け込み洟をかんだ。それをその晩泊まりにいったチヨの家で言うと「幸せだね」と、喜んでくれた。何かに夢中になれたり、痛みを感じたり、そういう感受性が豊かな人間は、私の親友いわく心が上等に出来ているのだそうだ。
「玉砕覚悟でいきなよ」
「そうするよ」
採用試験は年明け早々になる。もし採用されなくても、今の会社には辞表を出してしまおうと決心した。もはやあの職場で再び情熱を持って働く事は難しいと思う。やはり、自分の可能性を模索し続ける方が私らしい。
遠回りをしたが、ようやく心が正しい場所に収まったような気がする。社会的に不安定になる代価を払っても、今回は自分の我侭を押し通すつもりだ。そこまで覚悟してやる事なら、どう転んでもそれだけの値打ちがある。私はもう何の迷いもなかった。




