[ シナモン / スカート / 笑う ]
彼の住んでいるという小屋に着いた。
彼は、濃く淹れたミルクティにコショウとシナモンを浮かべた飲み物を作って、僕にくれた。
夕暮れ時になり、少し肌寒い今、この温かい飲み物はなんとも嬉しい。
「君のお母上の幼い頃を、私は知っている。長いスカートの似合う、可愛らしい少女だった。そうだな、君は彼女によく似ているね」
微笑み、彼は僕を見た。
その顔はあくまで優しくて、魔女だとは思えない。
いや、そもそも、男性だから、魔女ではないのか。
そんなことはどうでもいい話だが。
「お母上は愛らしく、聡明な方だった。貴族のお父上が見初めるのも無理はない。私は身分不相応だからね、身を引いたんだ」
それでも彼女は、私の救いだった。女神だったと言ってもいい。
彼は懐かしむようにそう言った。
「私は君のお父上に、病を流行らせたという嫌疑に掛けられた。魔女裁判に掛けてほしくなければ、妻の病を治せと交渉されてね」
「流行らせたのはお前ではないのか」
僕の問いに、彼は肩をすくめた。
「私は、永遠に近い命を持っているが、そんなことはできないし、できたってするもんか。第一、お母上のことは私だって好きだったんだ。彼女にかかる可能性のある病なら流行らせはしないし、治せるものなら治してる」
そう言ったけど、お父上は聞いてはくれなかったよ。
彼は悲しそうにいい、カップの飲み物を飲んだ。
「結局、お母上は亡くなった。お父上はそりゃあお怒りだったさ。私も死なないわけではないからね。魔女裁判に掛けられるのはごめんだと思って、そんなわけで、東の果てに逃げ出したわけさ」
「『魔女の地図』はなんの目的で作ったんだ」
僕の問いに、彼はこともなげに言い放つ。
「彼女が面白い見世物が見たいって言うから、手遊びに作ったんだ。タブレットに、世界地図の描かれた羊皮紙風のカバーを掛けて、ついでに空間VRと双方向カメラも搭載してみた」
「タブ……? いや、僕はだまされない。ガーネットだって光った」
「ガーネット? ああ、赤い発光ダイオードを埋め込んだ、あのおもちゃのブローチね。第一、君たちはアレを『魔術』だと言うが、あれは『科学』だ。魔術なんかあるわけないだろ」
「ハッコダイ……? なんだか分からないけれど、なにをデタラメな。あんな科学があるものか」
「遙か昔、大昔はあったんだよ。私はそれの生き残りなだけ」
「第一、さっきだってローリエを」
「この辺の空気は汚いからね。食べ物に使うローリエだったら、綺麗なもの選びたいでしょう」
彼はそう言って、かまどの方を指した。
かまどからは、いい匂いがしている。食べ物の匂いの湯気。湯気の匂いには、確かにローリエのそれも混ざっていた。
青年の言うことに、嘘はなさそうだ。
しかし。
「……呪文」
僕はポツリ、と言う。
「呪文はなんだ? 白魔術か、黒魔術か? どんな意味なんだ。それだけは答えて貰いたい」
「『すばしっこい茶色の狐はのろまな犬を飛び越える』」
彼の答えに、僕は変な顔をしたんだと思う。
青年はそれを見て、ぷっ、と吹き出した。
「大昔、世界共通だった言語の文字を、大体一文字ずつ使った文章だよ。文字のサンプルの表示に使ったやつなんだ、意味は特にない」
「意味ないならどうして」
「知ってたら、その時代から生きてた仲間だろ。ああ、でも、伝承で語り継がれちゃったのか。もう仲間との合図には使えないな」
彼はそう言って、寂しそうに笑う。
「長いこと探したけど、結局、生き残りに会えた試しはないし、いい加減にあの『呪文』も捨てるべきなのかもな」
僕はなんだか、彼に同情を覚えていた。
独りで長いこと生きていたのが本当なら、彼の孤独はいかほどのものだったのだろう。
彼が言うように、母様が、彼の救いだったのなら。
「……てやる」
ん?
彼はそう聞き、僕に確かめた。
「そばにいてやる、と言っているんだ。聞こえなかったのか」
母様はきっと、この青年を気に入っていたのだ。
魔法使いのような、この科学者の青年を。
父様も、彼を嫌いではなかった。
だから、母様を救えなかった自分も彼も、憎んだのだろう。
それがいつしか歪み、母様のアトリエが仕置き部屋になった。
きっと、壊したかったのだ。
母を救えなかったすべてを。
そして、忘れたかった。
母のことも、全部。
でも、忘れられなかった。
僕という、そっくりな忘れ形見が残っていたから。
それが父を歪ませた。
だから、僕は帰れない。
それに、母を好きでいてくれた、この青年が孤独ならば、たとえ彼にとっては刹那でも、その孤独と寄り添いたい。
それが、僕の覚悟。
僕の出した、結論。