第6話:緊急クエスト ~猛獣から村を防衛せよ~ 前編
「雄一さんおかえりなさいっス。ん? どうしたんスか怖い顔して」
家に戻ると、ミコトがガンクツマスを捌いていた。
ガンクツマスは、捨てる場所が殆ど無いと言われ……。
いやそんなことを考えている場合ではない。
「緊急事態だ。猛獣が村の近隣に出た。村を襲うかもしれないから、今日は寝ずの番になるぞ」
「ええ――――――!! 折角いいお酒買い込んできたんスよ~?」
ガッカリと肩を落とすミコト。
「ううー……」と、ふくれっ面でこちらを見つめてくる。
あ、ちょっと怒ったかな……?
などと一瞬心配したが、彼女は手早く台所を片付け、捌いたマスの身を保冷庫に入れるとエプロンを解いた。
「致し方ないっスねぇ。雄一さんそういうの放っておけないタイプっスもんね」
手を広げ「よろしくお願いするっス」というミコト。
そこへ釣具召喚でウォームウェアを2枚重ねで召喚してやる。
上にシャツを着て、皮の鎧、武器ホルダー、アイテムポーチを装着していく。
「あはは……。半年くらい着てなかったせいで固くなってるっス」と、笑うミコト。
俺はとっさに、彼女を抱きしめていた。
「もう~どうしたんスか雄一さん。まだ夕方っスよ~」
等と笑いながら、彼女もまた俺の背に手を回してきた。
「いつもワガママにつき合ってくれてありがとう」
「なんスかいきなり! ていうか雄一さんめっちゃ震えてません!?」
「当たり前だろ! あんなん相手に一晩村守るってクソ怖いわ! ていうか結構死を覚悟してるわ!」
「ええっ! そんなにヤバい相手なんスか! 私も怖いっス!」
「「うわああああああん!!」」
とまあ……ひとしきり二人で怖がり倒した後、俺たちは更新していない駆け出し冒険者スタイルを着込み、ありったけのバフ食材を食い漁り、バッカン一杯の回復アイテムを詰め込んで村へと出発した。
既に夕闇が地平線の向こうから迫っていた。
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村は既に臨戦態勢となっていた。
補強された木柵、外へ向かって張り出した木槍、家々の屋根には弓の覚えがある者が陣取っている
かつて戦火を経験した村長が指揮を執り、防衛陣を敷いていたのだ。
「おお! 来てくれたか!」
白髭の老人が俺達を見て声を上げた。
彼こそがこの村の村長、ロッツ爺さんである。
普段はのんびりと日向ぼっこをしている好好爺であるが、村の危機に対する反応たるや未だ衰えてはいない。
「君たちはあの見張りやぐらを使ってくだされ。この村で一番高い建物じゃ」
指さす先には、集会所の屋根から伸びる木のやぐら。
なるほど、あそこからなら村の周囲を見渡せるし、飛行スキル持ちの俺たちならそこからすぐに敵へ向かって行ける。
「ユウイチくんよく知らせてくれた。少し前から放牧した家畜が2頭行方不明になってたんだ。恐らく奴の仕業だろう。君がいなければ俺たちは村の危機にも気づけずにいたよ」
村長の息子、ブアートさんが鍋を頭に被って現れた。
家畜2頭も消えたら流石に不審に思えよ……と思わずにはいられなかったが、おっとりした人ばかりのこの村の事、家畜がフッといなくなり、突然戻ってくる程度のことはよくあるのだろう。
「獣は火を恐れると聞くから、出来るだけ多くの松明を焚いたんだが……。こんなもんで獣除けになるだろうか?」
なるほど、確かに辺り一面に松明のかがり火が置かれ、村を煌々と照らしている。
また、村の柵の向こう側にもいくつかのかがり火が焚かれており、草原を点で照らしていた。
「無意味っスね……」
ミコトが暗いトーンで口を開いた。
「大型獣は火を全く恐れないっス。特に熊なんかはかえって寄ってくることすらあるっスよ」
彼女の発言で、皆が凍り付く。
「で……では急いで消して回ろう!」
「それも駄目っス!」
慌てふためくブアートさんを慌てて制止するミコト。
「熊は夜目がめっちゃ効くっス。明かりを消したら相手の独壇場っスよ。明かりを焚いた以上、もう村の傍で迎撃するしか手はないっス」
ミコトって魚だけじゃなくて動物にも詳しかったのか……。
俺も熊って火に弱いもんかと思ってた。
ミコトの助言でかがり火を移動させ、守るべき拠点、すなわち集会所の周辺にはかがり火を付けず、村の柵の周りにそれを増設した。
他にも
・熊は背丈の高い草原を音もたてずに忍び寄る。
・熊は大きな音にも怯まない。
・熊は夜闇の中では黒い塊にしか見えなくなる。
・熊は冷水を嫌う。
・熊は鼻が利くので、刺激臭が苦手。
等、ミコトは熊の特性を色々と教えてくれた。
まあ、これらの性質があの化け物にも適用されるのかは分からないが、全くの無知無策で挑むよりはよほどマシだろう。
彼女が教えてくれた特性からブアートさんと作戦会議を行い、防衛戦術を構築する。
例えば、
・黒い物体を見たら、「熊か、人か」と大声をかけ、存在を確認する。
・俺とミコトが空中からアイスショット、ウォーターショットで氷水を撃ち込む。
・接近してくる場合は弓手の矢に布を巻き、肥溜めの肥やしを付着させて放つ。
・尚も撃退できない場合、ありったけの火矢を放ち、攻撃する。
「それでも撃退できない場合は……。最後の手段になるんスが……」
と、前置きしたうえで、ミコトは一つの戦法を提示した。
・熊をギリギリまで引き付けて大声をあげながら槍で攻撃し、熊が威嚇のために立ち上がった瞬間、木槍を束ねた槍衾を立てて、覆いかぶさって来る敵自身の体重で敵を串刺しにする。
以上が、この村にいる現戦力で行える最大の作戦行動であった。
「ギルドから冒険者が来るまでの辛抱だ。何とかこの夜を越すぞ!」
「「「「「「おおーー」」」」」」
ブアートさんの掛け声に、おっとり者の多い村らしい優しげなウォークライが上がった。
これ大丈夫なのか……?
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夜の闇が辺りを包んで数時間。
未だ熊は現れない。
見張りやぐらは風が吹き晒しなので、寒いったらない。
フィッシングジャケットを羽織ってもなお寒い。
ベンチは作られているが、ただの板なので尻が痛い。
釣具召喚でクーラーボックスの上に敷くマットを敷いてみたが、やはり2時間もすると尻が痛くなってくる。
しかも今夜は風が強く、木造のやぐらはガタガタと揺れ、気分が悪い。
熊が出る前にストレスでやられてしまいそうだ。
「風がこう強くては、熊の存在を察知するのは難しいっスね……」
「探知スキルには今のところ感が無いが……。結構近くに来ないと教えてくれないからなぁ……」
スキルは使用者の成長に伴って出力、使い勝手、燃費が上昇していくが、使用頻度も低く、戦闘経験が少ない俺のそれはほぼ初級のままだ。
あの窓口で“能力カンスト”を選んでおくと、初めから最大出力で使えたらしい。
惜しいことをしたなぁと思いながらも、かがり火の照らす闇をじっと見つめる。
「ユーチ兄ちゃん……」
突然背後から聞こえてきたか細い声に驚いて振り返ると、ユーリくんがやぐらの梯子から顔を出していた。
「怖いよぉ……」
彼はべそをかきながら俺に抱き着いてくる。
耳をすませば、風の音に混じってすすり泣く声や、嗚咽が下から聞こえてくる。
かがり火を消され、完全な闇の中でじっと朝を待つ女性や子供たちの不安は尋常ではないだろう。
「しまった……。避難してる人たちのこと考えてなかったっス……」と、ミコトは自分の判断を後悔していた。
ユーリくんを俺たちの間に座らせてやり、頭を撫でてやる。
すると彼は少し落ち着いたようで、しゃくりあげる声が収まってきた。
「兄ちゃん……ボクたち大丈夫かなぁ……」
とても大丈夫とは言えないこの状況。
どう声をかけて良いか迷っていると。
「大丈夫っスよ! お兄ちゃんとお姉ちゃんはすっごく強い冒険者っスから! 絶対この村を守ってあげるっス!」
と、ミコトが声をあげた。
「なんたってフィッシャーマスターっすよフィッシャーマスター!」と、随分陽気な様子である。
そんなミコトの様子に勇気づけられたのか、ユーリくんは涙をぬぐい、「うん! そうだよね! お兄ちゃんすっごく強かったもん」と、笑顔を見せてくれた。
「だからお母さんの元に戻ってあげるっス。ユーリくんがみんなを勇気づけてあげるっスよ!」
「分かった! 兄ちゃん、お姉ちゃん!頑張ってね!」
ミコトに諭されるがまま、彼は素直にやぐらを降りて行った。
「おいおい、あんな気軽に大丈夫とか言って良いのか?」
「今あの子に何より必要だったのは希望っス。私たちが不安そうな素振り見せたら駄目だと思うんスよ」
そう言って屈託のない笑顔を向けてくるミコト。
なにこの天使……天使かよ。
天使だった。
「後は何も起こらないまま朝が来てくれたら良いんスけどねぇ……」
「どうやらそうはいかないみたいだ……」
徐に立ち上がる俺達。
ピキ……ピキ……という薄氷を踏み砕く様な音が俺達の脳内に響き始めていた。
半鐘を鳴らし、敵の接近を村の全体に知らせる。
同時にやぐらから身を乗り出し、熊がどの方向に潜んでいるのかを探知する。
しかし、あまりにも反応が微弱過ぎて捉えきることができない。
ピキ……ピキ……
遥か遠方でその反応が出たかと思えば消え、再びその反応が出る。
そしてそれは微かに近づいてきているように思えた。
「敵意を消して近寄ってきてるっス……。熊の習性の一つっスね……」
熊は関心の無さそうなふりをして相手に迫り、間合いを測り、相手が油断した瞬間に急襲を仕掛けて来る。
元の世界の熊にも見られる習性らしい。
となると、彼女がレクチャーした熊対策が有効な可能性が俄然強まった。
だが厄介なことに、その習性は探知スキルに対しても有効らしく、現れては途切れる反応に、こちらは敵の所在を図りかねてしまう。
それでも俺たちは何とかその「敵意」を探知すべく、神経を研ぎ澄ませる。
ピキッ!!
「あっちだ!」
「あっちっス!」
瞬間的に強く出た反応を捕らえ、俺たちがそれぞれ刺した指が交差する。
交差したその先、かがり火の光が僅かに届く境界で黒い塊がのそりと動いた。
「熊か、人か」等と尋ねる必要すらない。
紛れもなく西血みどろヒグマだ。
村からまだ1kmは離れているだろうが、そのあまりの巨体が距離感を狂わせる。
最前にいた弓手が恐怖に駆られて火矢を放ったが、それは熊の眼前にすら届くことなく、遥か手前でポトリと落ちた。
その火が草原に火をつけたが、瑞々しい春の草は煙を上げただけですぐに鎮火した。
「グオオオオオオ……」
風の音に混じって轟いたその咆哮に、村の誰もが恐怖し、俺とミコトも腰から下がカチカチに固まってしまった。
今から俺たちはアレと戦うのだ。
咄嗟にテレポートしようとしていたミコトの腕を引っ掴み、俺は宙に舞い上がった。
村の上空で静止し、熊の動きを注視する。
最早敵意を隠す気が無くなったのか、熊はのそり、のそりと村へ迫っていた。
「なんスかアレ……なんなんスか……!」
ミコトが声を震わせて呟く。
それはそうだろう。
ヒグマくらいの大きさを想定していたら、ちょっとした怪獣のようなサイズの物が出てきてしまったのだから、面食らったのも無理はない。
「あんなんどうやって倒せばいいんスか!?」
「一時でも撃退できればそれでいい 行くぞ!」
自分より緊張している人を見ると、なぜか緊張が解ける現象というやつがある。
あれと同じなのか、俺よりも怖がっているミコトを見ていると、不思議と恐怖が和らいでいくような気がした。
空中で腰を抜かしているミコトの手を引き、雄たけびを上げる熊の方へ俺は勢いよく降下を始めた。