第35話:メランコリックな宵の出来事
う……う……。
飲み過ぎた……。
気持ち悪い……。
ミコトの作ってくれたヨロイゴチ料理が美味しかったので、ついついお酒が進みまくってしまった。
やっぱり洗いには日本酒(っぽい現地の穀物酒)だよなぁ……。
う……!
喉に込み上げてくる異物感に耐えられず、俺はテントから這い出して、林の中にうずくまる。
…………うん! 何とか耐えた……!
襲い来る吐き気の波を躱し続けること2時間余り。
せっかくのミコトの料理を戻すわけにはいかないと、俺は意志を強く持つ。
ちなみに当の料理人本人は、既に海へ向かって思う存分リバースし、すっきりとした顔でイビキをかいている。
ミコト……君は強かな女性だ……。
ウォーターショットを自分の顔に当て、酔い覚ましを図る。
最初に比べてだいぶマシになったが、一緒に眠気も吹っ飛んでしまった。
ちょっと夜更かしでもしようと、夜の砂浜を歩くことにした。
この世界は温暖化進むもと居た世界と異なり、夜は真っ当に涼しい。
まあ、都会の喧騒とコンクリートジャングルの熱気も悪くなかったが、こういう静かで涼しい夜は好きだ。
元の世界が恋しくないかと問われたら嘘になるが……。
日本だったらこれくらいの海岸線がありゃ、国道が走って、河口を横断する大橋があって、常夜灯が煌々と光ってて……。
そんな釣り場に、姉さんと共用のコンパクトワゴンで良く釣りに行ったよなぁ。
シーバスとかクロダイとか釣りに。
はぁ……。
みんなどうしてっかなぁ……。
酔ったせいか、バーナクル以来のホームシックに罹ってしまったらしい。
明かりが何もないおかげで、月の光がやけに眩しく感じる。
暗い海に反射したそれは、白い道のようで……。
なんだったか思い出せないが、水に写る月に飛び込んで異世界を行き来するみたいなアニメを子供の頃見た気がする。
もしかするとあの道の先には……。
回らない頭が妙な妄想を掻き立て、俺の脚はゆっくりとその水面へ向かって行く。
真っ黒な波打ち際に足を入れると、ヒンヤリと冷たかった。
そのまま真っ直ぐ、月の道を歩いて行く。
いよいよ腰のあたりまで水に浸った時、突然眼前の海面が爆発した。
「うおぉ!?」
冷たい水を被り、ぼやけていた意識が鮮明になる。
自分がとんでもないことをしていたことに気付き、慌てて海から上がると、今度は足元が激しく波打ち始めた。
な……なんだ!?
高輝度LEDを多数備えたランタンを召喚し、辺りを照らす。
すると、足元の砂地にいくつもの小山が生まれ、筋を作りながら陸の方へと走っていくではないか。
ヨロイゴチだ!
何事かと思い、その筋を追跡していく。
それらが収束していった先には、引き潮で残された潮だまりが小さな泉を作っていた。
その中に次々と飛び込んでいくヨロイゴチ達。
視界を巡らせば、あちこちの潮だまりでバシャバシャと水しぶきが上がっていた。
これはひょっとして……!
砂に潜った大きな個体の周りに小柄な個体が集まり、一斉に白い液を放出した。
見る見るうちに潮だまりは白く濁っていく。
そして、潜った個体の周りがモリモリと盛り上がった。
産卵である。
ヨロイゴチは卵を大潮の満潮時にしか水に浸からない位置まで砂の中を遡上し、卵を産む種なのだ。
今度は背後が騒がしい。
波打ち際が白く光りながら、激しい水柱に包まれている。
ホロビラメか!
産卵に向かう個体、戻ってくる個体を狙って波打ち際に集結しているのである。
中には「座布団級」の大物も混じっていた。
俺が水中から見たのはまさにあのサイズだ。
今あそこにルアーを投げれば入れがかりだろうが、食味の落ちる今はちょっともったいない。
今日のところは見るだけにしておこう。
一方、陸側もさらに騒がしくなってきた。
海へ戻る体力を残した個体とは別に、傷つき、力尽きる個体が出始めている。
それを狙って、フクロウのような姿の猛禽類が急降下してきた。
さらに、砂の中からは巨大なカニが現れ、弱ったコチを貪り食っている。
壮絶な生命の姿である。
酔いとホームシックであわや入水自殺をしかけていた俺だが、もはやそんな考えは彼方へ吹っ飛んでいった。
ミコト……そうだ! ミコトを呼んでこなきゃ……!
元の世界の全てと引き換えに得た、誰よりも愛おしい人の元へ、俺は慌てて走った。
振り向くと、月は雲に隠れ、道は幻のように掻き消えていた。