第3話:クエスト ~ため池に潜む謎の魚を調査せよ~
冒険者の朝は早い。
釣り人の朝も早い。
転生前は普段から朝マヅメ狙いの4時起きなど日常茶飯事だった俺は、目覚ましが無くとも起きることができる。
昨晩しこたま食べたバフ食物のおかげで全身が軽いのなんの。
ベッドから飛び起き、軽いストレッチを行う。
庭で飼っているキングウズラがビービーとけたたましく鳴き、夜明けを告げた。
春になっているとはいえ、まだまだ朝は寒い。
予約タイマーで付いてくれる暖房器具などと言うものは存在しないので、布団から出ると極寒の空気に全身を突き刺されるようだ。
とりあえず毛糸の上着を羽織り、リビングへと向かい、暖炉に火をつけた。
「キャンプ道具召喚!」
テーブルの上に小型ガスバーナーと直火式エスプレッソメーカーを召喚し、炒って挽いたタンポポの根でコーヒーを淹れる。
パンを切り分け、チーズとグリーンハーブ、パープルハーブ、キングウズラの卵オムレツを挟み、それを網タイプのホットサンドメーカーを使って暖炉で焙ってやる。
香ばしいパンの香りと、とろけるチーズの芳醇な匂いが広がり、それはやがて彼女の鼻先にも届いた。
「うーあー。ほいしそうなにおいがするっス~……」
食いしん坊で寝坊助な天使がフラフラとリビングに現れる。
天界にいた頃は引きこもりがちだったこともあり、ミコトはどうにも朝が弱いようだ。
たんぽぽコーヒーを彼女のマグカップに注いでやる。
彼女は寝ぼけ眼を擦りながら、ホットサンドを齧り、コーヒーをチビチビと飲む。
「ふぁ~……。美味しいっす~」
初めは呂律の回っていなかった彼女だが、だんだんと口調がはっきりとしてくる。
グリーンハーブには体力回復効果が、パープルハーブには眠気覚まし効果があるので、意識が覚醒してきたのだろう。
よく見ると、彼女の眼の下には随分大きな隈が出来ていた。
「また夜更かししてたな? 今日は依頼こなしに行くんだから早寝しなきゃ駄目だろ」
「申し訳ないっス~。昨日のセグロハヤの件で調査報告書が進みに進んじゃって……」
「どうする? 今日の依頼俺一人で行ってこようか?」
「いえ、私も行くっス。二人で依頼受けるなんて久々じゃないっすか。楽しみにしてたんスよ私」
そう言ってほほ笑むミコト。
可愛い。全くもって可愛い。
と思っていると、彼女は突然すごい形相になり、ボウルに入れてあったグリーンハーブ、パープルハーブを一気に食い漁り始めた。
「寝不足なんかには負けないっすよ~!! フガフガ!!」等と叫んでいる。
うん……。こういうとこも可愛さの一つだと思う。多分。
ハーブってあんな一気に食って大丈夫なのかな……。
「よし、それじゃあサクッと準備しようか」
「ういっス!」
俺も残ったホットサンドを一口でねじ込み、コーヒーで流し込む。
ボウル一杯の回復アイテムを貪り食ったミコトは、先ほどとは打って変わってスッキリとした表情になっていた。
お互いに暖かで身軽な服装に着替える。
俺達は基本的に下着から上着、ベストまでフィッシングウェアを召喚して着ている。
なにせ軽くて暖かく、収納力も抜群。
また、温かいだけでなく湿気もバッチリ逃がしてくれる。
戦闘を考えないのなら、この世界の寒くて重いレザーベスト等よりは遥かに良いモノだ。
初めは奇異の目で見られないか不安だったが、案外何とも思われていないようである。
まあ、龍だの魔獣だのを狩って装備にしてしまう連中の格好に比べれば、特筆して目立つ格好でもないだろう。
「えへへ。お揃いっスね~」
ミコトに言わせると今時のフィッシングウェアは男女それぞれのサイズが用意されているので、2人で同じ格好になれるのも魅力らしい。
俺にはあまり分からない感覚だが、ミコトが嬉しそうなので良しとする。
携行ポーチと、ダガーナイフを腰に装着すれば、駆け出し冒険者スタイルの完成だ。
戦闘は極力避けるのが俺達のモットーだが、武器は持っていて損はない。
魚を締めたり、藪を薙いだり、木の実の採取にも使える。
それに稀ではあるが、水棲の魔物に出会った時、応戦ができる。
前に山賊に襲われた時にも少しではあるが役に立ってくれた。
あまり思い出したいことではないが……。
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家の施錠をし、ギルド本部のある街「交易都市デイス」の外門前へテレポートする。
強固な石壁と魔封結界で守られている街の中には直に入ることができないので、こうやって門の前に飛ぶのだ。
ミコトの料理のおかげか、転送後の疲れが全くと言っていいほど無い。
冒険者や旅行者用の通用口で手形を見せ、壁の向こうへ入れてもらうのだが、この通用口の番をしている人が俺はどうも苦手だ。
「おっ! ユーチくん久しぶりじゃないか! 元気にしてたかい?」
馬鹿でかい声をかけてくるひげ面の男。
通称門番のオッサン、本名ジールさん。
悪い人ではないし、むしろ親切で気の利くいい人なのだが……。
「君さてはまた釣りに入り浸ってたな? 奥さんばっかり働かせたら駄目じゃないか。昨日もミコトちゃん随分頑張ってミルク運びやってたんだぞ?」
結構、いや、かなりのおせっかい焼きである。
それも鬱陶しいレベルの。
俺も決して働いていない訳ではないのだが、男は働いて女を養ってなんぼの世界に生きている人であるジールさんからすれば、俺はヒモのような状態らしい。
「あははは……。まあ農作業とかはやってくれてますし、釣りも食材確保の一環っスから」
ミコトがフォローしてくれるが、門番おじさんは「ミコトちゃんは甘い!」と完全に説教モードに入ってしまっている。
こうなると長いんだよなぁ……。
長々と続く説教と身の上話に俺が滅入っていると、後ろに並んでいた金髪の女冒険者が「オイ! ジールのオッサン! いつまで待たせんだコラ!」と怒号を飛ばし、その場の説教は収まった。
結果的に俺達を助けてくれた女冒険者は、こちらへ凄い形相で舌打ちをして去って行った。
うわぁ、ガラ悪……。
昔に比べたら俄然良くなったらしいが、あのような冒険者は決して少なくない。
後で因縁吹っ掛けられなければいいが……。
そんな心配をしながらしばらく歩くと、見慣れたレンガ造りの建物が見えてきた。
この町の冒険者ギルド本部である。
建物の前にある噴水広場は今日も出店や冒険者達で賑わっている。
見知った顔の連中と軽く挨拶を交わし、俺たちは扉をくぐった。
「ため池の謎の魚調査ですね。参加人数はお二人、ユウイチさんとミコトさんでいいですか?」
「はい! よろしくお願いするっス!」
「今日は久々の二人クエストなんスよ~」等とハイテンションで受付のお姉さんに絡むミコトを少々荒っぽく押しのけながら、依頼場所の状況をよく聞いておく。
気になるのは道中や現場、及びその周辺地域における敵性生物、悪人との遭遇危険性だ。
依頼書には書かれていなくとも、魔物や盗賊団が潜んでいることもある。
俺自身は遭遇したことはないが、楽な依頼と思って木の実収集に向かった初心者パーティーが毒エリマキヘビのテリトリーに迷い込み、全滅の憂き目にあったという話を聞いたことがある。
二人ともテレポートと飛行スキル持ちという、逃げのエキスパートとも言える俺達パーティーだが、用心に越したことはないだろう。
「えーっと……。はい。ここ数日で魔物や賊の出現情報は出ていませんね。危険生物の生息情報も無い地域ですから、戦闘になる可能性はほぼゼロかと思われます」
「ありがとうございます。それじゃあこの依頼、受注で」
「はい、承りました。お二人の冒険者カードをお借りします」
受付のお姉さんが、俺とミコトの冒険者カードを依頼書本通の下に敷き、黒鉛で写しを取る。
これで依頼の受注が完了だ。
窓口で依頼受注を済ませると、目的地へのマップとクジラ便のチケットがもらえる。
次のクジラ便までは時間があるので、食堂で軽食を取りながら時間を潰すことにした。
芋のベリー煮込みを二人で突いていると、4人の男女パーティーが隣の席から詰めてくる。
「おいっす! 久しぶり! また森で隠居暮らししてたのか?」
馴れ馴れしく絡んでくる金髪の男。名をエドワーズと言う。
俺と同い年のパーティーリーダーで、同じ日にギルド登録した縁がある。
彼一人に女の子3人という、ハーレムじみたパーティーだ
そのハーレムメンバーはミコトと新作スイーツがどうのこうのと話し込んでいる。
「隠居はしてねぇよ。ずっと釣り三昧だ」
「それが隠居老人みてーだって言ってんだよ……。 冒険者たるもの冒険して、戦って、名を挙げてこそだろ。釣りなんかサブクエストみたいなもんじゃん。って何お前ら依頼も魚関係受注してんの!? それじゃあ何時までたっても冒険者ランク上がらねぇぞ……」
「悪かったなサブクエスト専門で。お前らも今日何か依頼受けてんのか?」
「ふっふっふ……。よくぞ聞いてくれました! 今日、オレたちはとうとう魔物童貞、魔物処女を卒業する!」
唐突に飛び出した下世話な例えに、周囲の視線がこちらへ集まってくるのを感じた。
居心地悪ぃ……。
同伴の女の子たちもギョッとした顔をしている。
魔物処女卒業ってまるで……いや、あまり考えるのはやめておこう。
「なんでも平原西方にゴブリンが出たらしくてな。小規模な群れだけど家畜を襲うってんで駆除依頼が出てたんだ」
「ゴブリンねぇ……。てかお前ら魔物と戦ったことなかったんだな。意外」
「オレはこう見えて慎重なんだ。低級とはいえ相手は魔物。武器、防具、回復アイテム全て完璧に揃えてから挑まないとな……」
「あれ? お前なんか震えてない?」
「ふ……震えてねーよ! いや……武者震いだ!」
そんな他愛もないやり取りをしていると、クジラ便到着の鐘が鳴った。
「死ぬなよ?」
「お前こそ……。いやお前は死なないか」
俺のような変わり者を除けば、冒険者は死と隣り合わせの危険な稼業だ。
一時の別れのつもりが、今生の別れとなることも珍しくはない。
だからこそ、出発する友を送り出すとき、必ず行う儀式がある。
パーティーメンバー同士の冒険者カードを重ねあい、向かい合ってこう叫ぶのだ。
「「「「「「また会おう!」」」」」」
エドワーズ達を乗せた大型飛行クジラは、西の空へとゆっくり飛び去って行った。
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さて、向上心あふれる彼らとは真逆の、緩いサブクエライフを送る俺達は、チビ飛行クジラに揺られて、街から1時間とかからない村のため池に降り立った。
ため池とは言うが、かなりの大きさであり、ダム湖のようである。
依頼主のため池管理人によると、今まで見たことのない大ぶりな魚が泳いでいるのを見て不気味に思い、ギルドに調査依頼を出したらしい。
このため池には3本の川の支流が流れ込んでいて、その水系に住む小型の淡水魚が生息しているのだが、その大型魚の出没と同時に、目に見えてその数を減らしているそうだ。
なんか日本でもよく聞く話だなこれ……。
「釣具召喚!!」
二人分のミディアムバスロッドと、ポッパーを召喚する。
小型魚の数が減っているということは、今回のターゲットが小魚を捕食するフィッシュイーターであることが容易に想像できる。
そういった魚を釣るのにはポッパーが楽しい。
ポッパーとは、大きく口を開けたような顔が特徴のルアーで、その口で水面を叩き、ポコポコと水音と水柱を生む。
その音と水流を小魚が発するそれと誤認したフィッシュイーターが水面を割って食いついてくるのだ。
大きな音を発するので、魚を選ぶのが特徴であり、元の世界では活性(捕食するやる気)の高い魚を釣る趣味要素が強い釣法だったが、ルアーを見たことのない、スレていない(警戒心が薄く好奇心が強い)この世界の魚には効果覿面である。
水面に目を凝らし、小魚が出す水の波紋を探す。
すると……いた!
倒木が突き出ている周辺に、ザワザワと揺れる凹凸が見える。
恐らく、オウゴンワカサギの群れだろう。
日の光を浴びてキラキラ輝く金の背が見える。
密集し、明らかに外敵を警戒している様子だ。
群れの向こう側にポッパーを投げ、竿をしゃくりながらリールを巻く。
それに呼応して、ポッパーはジグザグと蛇行しながら、ポコポコと小気味よい水音と水柱を立てながら泳ぐ。
オウゴンワカサギの群れをポッパーが横断すると、彼らは群れを解き、散り散りになって逃げた。
その瞬間、大きく竿をしゃくり、ポッパーにひときわ大きな水柱を上げさせた後、竿とリールを止め「ステイ」させる。
直後、「バフッ」っという音とともに水面が割れ、ポッパーが水中へ吸い込まれた。
「食った!」
竿に重みが乗ったのを確認し、大きく合わせを入れた。
水中で魚が首を振っているのが分かる。
この動きは……バス!
竿を立て、バスの動きをコントロールする。
引きも動きの特性もブラックバスそのものだ。
これなら釣り上げるのは容易……と、思っていたのだが……。
それまで水底めがけて走っていたバスが突然表層へ浮き上がってきた。
エラ洗い(水面での激しい首振り)でもする気か、と竿を寝かせ、それに備える。
しかし、バスは思いもよらない行動に出た。
尾びれで水面を激しく叩き、大きな胸鰭を広げて宙に浮かび上がったのだ。
「は!?」
呆気にとられている隙に、バスはこちらへ向かって勢いよく飛んできた。
猛烈に嫌な気分が俺を襲う。
まるであの飛行ザメのような……。
「うおおおお!!」
思わず、のけぞってその突進を回避した。
糸が大きく弛み、空中で首を振るバスの動きで口元のポッパーが振り回される。
やがて針の刺さりが甘くなり、ポロリと針が外れてしまった。
「ああっ!」
思わず叫び声をあげてしまう。
バスはそんな俺をあざ笑うかのように悠々と飛行し、水中へと消えていった。
「トビウオ……いえ、トビバスっスね……」
俺の後ろでその様子を見ていたミコトが呟いた。