第21話:インフィート大湿原のイズミコバン釣り
さて、一夜明け、ホワイトハーブを咀嚼しながら寝ているミコトの頭を撫で、頬にキスをし、俺はまた釣りに出かける。
冷たい夫と言わないでほしい。
もうミコトの容態は安定し、後はハーブを食べつつ食用スライムで栄養を取って寝ていればいいだけだ。
それに例のごとく腹は下っているので、あまり宿の部屋にいないでほしいと言っているのは彼女の方である。
シャウト先輩も療養中だが、昨晩にはもうすっかり回復しており、インフィートのギルド支部でホッツ先輩やギルドナイトの方々と共に会議中だ。
なんでも今回の事態の経緯と、今後の邪神教対策について話し合っているらしい。
俺も手伝おうと思ったのだが、「オメーは釣りでもしてろ!」と追い払われてしまった……。
まあ、お言葉に甘えさせてもらうとしようか。
早朝のインフィートの街(木側)は静かだ。
観光客向けの店が多いためだろう。
朝市で賑わうデイスやバーナクルとは対照的だ。
カトラスの温泉街はこんな感じだったかな。
うとうとしている街の門番さんにギルドカードを見せ、一時外出札をもらう。
今日はこの街の下に広がる泉で釣りをしようと思っているのだ。
街の入口は一番低いところでもビルの5階くらいの位置にある。
強固な城壁を備えないこの街ならではの防御策だ。
おれはそこから飛び降り、飛行スキルを使ってゆっくりと降下していく。
朝の配達ハーピィさんらに挨拶をしながら大地に降り立つと、そこは猛烈にぬかるんでいた。
「うおぉ!? 危ねっ!」
危うく転倒しかけつつ、飛行スキルを上手く使って固い岩の上に移動する。
朝一からビショビショドロドロになるのは回避した。
「湿原になってるのか……」
空からは気が付かなかったが、辺りは湧き水でこれでもかという程湿っている。
背の高い葦や蒲のような草が生えているが、それらは全て水中に根を下ろしているのだ。
その根が絡まり合い、土や枯草を巻き込んで、一見大地のような地表を形成していた。
そして、そこに点在する深い窪みが泉となって清らかな水面を湛えているようだ。
こんな大湿原に囲まれていたとは……。
この街が交易で発展できなかった理由がよく分かる。
「これは……根がかり天国だな……」
試しに、泉目がけてトラウト用ルアーをキャストしてみたが、瞬く間に草に絡まってしまった。
泉にルアーを投入するのは問題ないが、そこから手元まで回収するのが困難過ぎる。
草をかき分けて泉の淵まで行くことができればいいのだが……。
「アレ……使えるかな?」
そういった環境で生きそうな釣具を俺は知っている。
使ったことはないのだが……。
この際試してみよう。
「釣具召喚! フローター!」
俺の目の前に、U字型の浮き輪のようなボートが出現した。
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「わっせ……わっせ……結構いい感じだ」
冷たい湧き水に足を浸し、絡みまくった根を踏み、葦をかき分けながら泉に向かって前進する。
フローターとは、浮き輪とボートを融合したような釣具である。
浮き輪の真ん中に椅子があり、座って足を下に出し、それをオール代わりに移動するものと思っていただきたい。
やがて、泉の中までたどり着いた。
おお……思ったより深い……。
幅はおよそ50m程度。
学校のプールが円形になったような広さだ。
召喚したトラウトミノーを、泉を囲うように生えている葦のすぐ傍にキャストする。
所々に浮いている大きな丸太の傍をトレースさせ、時折ロッドアクションを入れ、この泉に生息しているであろう魚にアプローチする。
投げては巻き、投げては巻きを繰り返す。
……釣れない……。
なんでだろう?
イトウとかナマズとか鯉とか釣れそうな雰囲気ムンムンなんだけど。
しかし、ここ妙に丸太が多いな……。
さっきから増えてるような気もするし……。
このままだと釣りにくいと思い、フローターで移動しようとする。
しかしふと、ある違和感を覚えた。
何で流れも殆ど無いこの泉で丸太が突然俺の周りに吹き寄せられてくるんだ……?
そういえばこの丸太……なんかさっきからコプコプ泡出てるような……。
直後、全身の血の気がサッと引くのを感じた。
同時に「キン!!」という感知スキルの反応が出る。
俺は咄嗟にテレポートした。
グワッ!! バシャ! バシャ!!
もと居た岩の上に下りた俺の目に入ってきたのは、一瞬前まで自分が浮かんでいた水面が激しく波打ち、丸太のような巨体が狂喜乱舞する様であった。
うおおおおおお!?
ワニだ! クソデケえ!!
それもものすごい数である。
奴らは俺が消えたことにも気が付かず、手近な個体同士で噛みつき合っている。
ワニは咄嗟に食いついたモノを確実に食うという習性があり、エサ間違えた同族の体の一部を食いちぎってしまうことは日常茶飯事なのだ。
あんなのがいたら、そりゃ大型魚も姿を消す。
怪獣大乱闘を恐怖半分、好奇心半分で眺めていると、今度は俺の足元が「ブフォ!!」という音とともにグラリと揺らいだ。
何だ!?
今度は飛行スキルで飛び上がる。
乗っていた岩が左右に揺れたかと思うと、その下から大きな頭が顔をのぞかせた。
「さ……サイ!?」
岩だと思って乗っていたのは、サイ型生物の頭部にあるコブだったのだ。
えらく頭でっかちなその生物は、のっしのっしと湿原を歩き去って行く。
その後には、大きな窪みが残され、やがてそこに水が流れ込んでいき、新たな泉が生まれた。
すげえ……。
大自然の驚異……。
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正直もはや魚釣らなくてもお腹いっぱいになるくらい感動したのだが、せっかくなら何かモノにしたい……。
何となく、小型のジグをシーバスロッドに装着し、泉に投入して上下にアクションさせてみる。
やっぱり反応がない……。
ここ魚いないのかなぁ?
それともエサの問題かな?
ものは試しだと思い、メタルジグをブッコミ仕掛けに変え、葦に捕まっていたデカい芋虫を餌にして投げ入れてみた。
底から徐々に棚を上げ、探り飛んでみる。
しかし、どこも反応がないので、ダメモトで先ほどのサイがいた泉にも仕掛けを投入してみた。
すると、中層で「ガツガツ」という反応が出る。
「おお! 何だ!?」
アワセを入れ、巻き上げる。
パワーは余り無いが、伸びの良い引きだ。
一度のダッシュで結構な距離を走る。
葦の隙間に潜り込もうとしているようだが、そうはさせん!
ロッドのパワーで引きを制し、強引に寄せる。
すると、まだ少し濁っている水面から、細長い魚体が姿を現した。
「何だ? スギ? いや、違う!」
それはスギという魚に似ている気もしたが、ある一部分が決定的に異なっている。
俺が元の世界で一度も釣ったことのないあの魚にそっくりであった。
「コバンザメだ!!」
水面でバシャバシャと暴れるそれを、ワニの攻撃に怯えつつ取り込めば、特徴的な「小判」を頭に備えた50センチほどの個体である。
元の世界のこれは吸盤であり、サメやマンタなどに吸着して、おこぼれを食らうために用いられるものだ。
試しに腕を当ててみれば、結構な力で吸い付いてきた。
湿原の泉に住むコバンザメ……。
イズミコバンとも呼ぼうか。
なんでこんな魚がここに……?
ワニにくっ付いてるのかな?
それとも、あのサイにくっ付いていたのか……。
謎が尽きない。
だが、確かにこの湿原では有効な生存戦略かもしれない。
ワニに着いていれば、定期的にエサが手に入るし、サイに付けば生息範囲を広げられる。
細長い体は葦の根をくぐり、泳ぎ回ることが出来るだろう。
めぼしい水系と繋がっていないこの名もなき湿原と泉に辿り着けた、たった一種の魚はこのような面白い作戦で生き延びていたのだ。
俺達が邪神教の野望を阻止できず、この神木が瘴気をまき散らす魔木と化していたら、この魚は絶滅していたのだろうか……。
案外、俺達の行動ってその地の魚守ってるのかな?
正直二度と関わりたくないと思っていたあの連中だが、自然とそこに住む魚を守るためとあらば、背を向けるわけにもいかないな。
等と柄にもない使命感を抱きつつ、俺は第2、第3のイズミコバンを得るべくロッドを振るった。