第20話:インフィート地下ダンジョンの釣り
薄明りに包まれた水面。
何層にも折り重なった岩盤を通り抜けて湧き出た水が幻想的に揺らめく。
その透き通る泉には白い魚の背が見える。
ふむ……。
第三階層までは瘴気の影響無しか。
とりあえずここらで一発……。
「釣具召喚!!」
管釣り用のトラウトロッド、1000番のスピニングリール+ナイロンライン3lbを召喚する。
鍾乳石と岩盤によって形作られた棚田状の泉は、いわば天然の管理釣り場だ。
辺りを這っているコオロギや、小カエルをイミテートしたブラウンのスプーン(1g)を装着し、キャストする。
落水した虫やカエルが水面付近でユラユラと泳ぐ様子をイメージしつつ、水面付近をスローリトリーブしていると、「パシャ!」という快音とともに、ロッドにググっと重量が乗ってきた。
ビンビンと気持ちよくしなる竿。
トラウトの魅力は、この引きのスピード感と、激しいバイブレーションだ。
引きを楽しみつつ、泉の淵のギザギザとした岩や鍾乳石にラインを取られないようにファイトし、ランディングネットに誘導する。
上がってきたのは、白銀の魚体に淡い空色のパーマークを持ったヤマメ型の魚だった。
洞窟のヤマメ……クツメとでも呼ぼうか……。
俺はクツメを肩掛けクーラーボックスに入れ、第4階層へと続く横穴を目指した。
斥候のはずが、まさかの強襲になってしまった今回のクエスト。
結果だけを見れば、邪神教の企みを早い段階で阻止し、さらに大魔封結界岩の完全な破壊を妨げ、「司祭」なる存在を暴くことができ、十分すぎる成果と言える。
しかしその対価として、俺達は散々な目に遭った。
俺とシャウト先輩は半魚人にボコボコにされ、あわや餌食になりかけた。
ミコトはテレポートするも、魔力切れを起こして第4階層で墜落し、瘴気を含んだ泉に落ち、軽い瘴気当たりを起こしてまた寝込んでしまった。
サステナが無傷だったことがせめてもの救いだろう。
ダンジョンから無事帰った彼女は市長代理として、街の中枢に巣食い、財政を荒らし、区画運営を滅茶苦茶にした邪神教の後始末に追われているそうだ。
なんでも、運営委員会において、偽市長の無茶苦茶な運営を支持していた連中が忽然と姿を消しており、とても機能しない状況になっていたらしい。
結構な規模でこの街狙ってたんだなアイツら……。
もしサステナの身に何かあれば、この街の今後は大層暗いものとなっていたに違いない。
ところで、やたら早く俺達の救援に来てくれたギルドナイトや魔導士爺さん達だが、ホッツ先輩によると、国からの緊急出動が下っていたらしい。
それもかなりの上層部からの特命で、俺達のギルドバードがデイスのギルド本部に着くよりもずっと早くからデイスで待機していたそうだ。
そして、増援要請の手紙が届くや否や、この国が誇る最速の飛行クジラ「ミガルー」でかっ飛んできたというわけだ。
国が何の根拠を持って緊急出動をかけたのか分からないが、おかげで俺達は助かった。
しかも、怪我人と病人が出たおかげで、俺はあと1週間この街に滞在できることとなったのだ。
不謹慎だが、二人が療養している間、この街で楽しいフィッシングライフを送るとしよう。
第4階層の瘴気はすっかり引いていた。
だが、やはり異臭は残っている。
うーん……。
やっぱりここの生態系は絶望的か……。
3階層から流れてくる魚が定着するまで、しばらくは寂しい水面になることだろう。
ふと、白い砂が積もった泉の一角に、人型の窪みがあるのに気が付いた。
ああ、ミコトが落ちてたのここなのね……。
しかし、今回あいつ大活躍だったな……。
魔力は俺と大差ないし、身体能力は夏前に鍛えた俺の方がだいぶ高いけど、ジョブスキルと装備のおかげで対魔物能力が俺よりもずっと高い。
女の子は男が守るべき、みたいな価値観で生きる俺ではないものの、若干の不甲斐なさを感じている。
体を鍛えるだけじゃなく、ちゃんとした戦闘技能を先輩に習おうかな……。
そんなことを考えつつ第5階層へと降りると、大魔封結界岩が穏やかな光を湛えていた。
その光に照らされた広大な地底湖が、鏡のような水面をキラキラと反射させている。
ただ、やはりと言うべきか、そこに魚影はない。
まあ、あんな瘴気に当てられたら、そこに住む魚はひとたまりもあるまい。
やるせなさを覚えつつ、水辺を歩いていると、薄闇の先に、黒い人影が見えた。
「敵か!?」と、思わず双剣を身構えた。
感知スキルに敵対反応は無い……。
邪神教の残党か、それとも生き残った眷属魔物か……。
「ほっほっほ……。なかなかに良い反応じゃのう。」
突然話しかけられ、面食らう。
このお爺さんは……。
「久しぶりじゃのう。バーナクル以来か」
「あの時のウィスキー飲んでた人!」
「……印象そっちなのか」
以前、バーナクルでテイオウホタルイカの情報を教えてくれたお爺さんだった。
この人のおかげで、俺はあの異変の原因が陸に上ったイカということに気付くことができたのだ。
「しかし、この湖で大変なことがあったようじゃのう」
「ええ、アレが割られましてね。4階層以下の魚が全滅しちゃいまして……。間近にいながら守れなかった……。俺のせいです」
「ほっほっほ! 若いのに随分責任感があるのう。悪いのは大魔封結界岩の破壊を決行したものじゃろうて」
そう言って笑い、お爺さんは水面に釣り糸を垂らした。
これまた随分と原始的な両軸ロッド&リールだ……。
しかし……ここで釣りしても何も釣れまい……。
「ワシは魚を釣ることが好きなんじゃが、釣りそのものも好きなんじゃ」
何やら哲学的なこと言いだしたぞこの人。
「君は釣りで魚の命を奪うが、一方で魚を守ろうともしておるのう」
「え? ええ、まあ。釣れなくなったら困りますからね」
「ワシは釣りのそういう所が好きなんじゃ。人間の面白さというかな」
「はぁ……」
「身勝手に自然を弄ぶが、身勝手に自然を守ったりする。そしてそれを承知の上で楽しむ」
何だろう……。
これは褒められてるのか貶されてるのか……。
俺も何となくお爺さんの隣で釣り糸を垂らしてみる。
魚信はない。
「人間は元来我儘なものじゃ。しかし時としてそれを認めず、必要以上に高潔であろうとする者がおる。一見素晴らしいことじゃが、大概ろくな結末にならん……。かつてのワシや、あやつもまた……」
「何かあったんですか……?」
「おお……スマンスマン。思わず話に夢中になってしもうた」
そう言うとお爺さんはカラカラとリールを巻き始めた。
見ると、その竿は大きく曲がっている。
え!? 何かかかってる!
暗い湖底から姿を現したのは、白銀の魚体をもつ大型魚だった。
その姿形は、日本のハマダイに酷似していた。
ただ、その体色は白銀で、目は透き通るように青い。
何だこいつ!?
「ここの湖底は水中洞窟で海と繋がっておってのう。海から魚が入って来るんじゃ。どうやら入り組んだ水中洞窟内でまた独特の進化を遂げた種がおるようでのう」
そうか! あの潜水艦はそこを通って出て行ったんだな……。
となるともう追跡は不可能か……。
地下水流のどこかに潜んでると思ったんだが……。
「ちなみにじゃが、その洞窟が抜けた先はコンガーイール大山脈の南端岬の深部じゃ」
「ええ! そうなんですか!?」
そうか……コンガーイール南端岬の瘴気はここから来てたのか……。
半年前から深海に瘴気がチョロチョロ流れ出てて、それが滞留してあんなことに……。
「あの岬での釣りはまだまだ楽しめそうじゃて。流石じゃ、転生者くんよ」
「あ……あなたは一体……?」
「それは秘密じゃ。今宵はこれの刺身でキューっといこうかのう。ほっほっほ」
そう言うと、お爺さんはゆっくりと階層を上がっていった。
いよいよもって何者なんだあの人……。
用語解説のコーナー
・管釣り
「管理釣り場」及び「管理釣り場での釣り」の略。
池や渓流の段等を用いた「管理された釣り場」である。
釣り堀の一種だが、ルアーやフライなど、スポーツフィッシングで利用されるそれをこう呼称する。
スポーツフィッシング用らしく、オシャレなロッジやベンチを備えていたり、スタッフのジャンパーがオシャレだったり、社用車がオシャレに改造された軽オフローダーだったりする。
そんな気軽にオシャレでスポーティーな釣りが楽しめる施設なので、釣りデートなどにはもってこいと言えよう。
・イミテート
日本語訳そのまま「模す」こと。
「小魚をイミテートしたルアー」
「虫をイミテートした動き」
のように使う。
なぜわざわざ言い換えるかと言うと、ルアーフィッシングが舶来で、その用語をそのまま輸入したという経緯があるようだが、実態は「何となくカッコいいから」である。
ルアーフィッシング界隈はそういったイカしたイングリッシュでオーバーフローしている。
・リトリーブ
「リールを巻いてルアーを引く」こと。
上記の物と同じく、何となくカッコいいので用いられるシリーズである。
速度に合わせて「スローリトリーブ」「ミディアムリトリーブ」「ファストリトリーブ」と変化していく。
人によって「遅巻き」「普通巻き」「早巻き」などとも言われる。
要は自分が一番好きな呼び方で言えばいい。
ルアーフィッシングとはそういう世界である。
・ランディングネット
たも網のことだが、トラウト(鱒)フィッシングに用いるそれは、海のものとは少々異なる。
ナイロン製の海用に対し、柔らかいゴムや、布のような幅の広い繊維を網部分に使うことで、魚体へのダメージを軽減し、リリース後もその魚が生きながらえるように配慮されている。
木目を利用したデザイン性に優れたものも多く、魚を入れて沢に浸せば非常に「映える」
トラウト用アイテムメーカーの大体がそんな画像を採用しているので、時間がある方は是非見てほしい。