第8話:禁じられた魚
ジョリ……ジョリ……。
家の中に包丁を研ぐ音が響く。
それに重なって聞こえるのは、ミコトの苦しそうなうめき声だ。
ミコト……許してくれ……。
コレが最良の手段なんだ……
「う……うう……雄一さん……」
「大丈夫だ。すぐ楽にしてやるからな」
研ぎ終えた包丁は鏡のように光り、肉も、骨も容易に切り裂き、断ち切れそうだ。
俺はその包丁を軽く水で流し、鉄粉を落としてやる。
「私……怖いっス……」
振り向くと、ミコトは不安と苦痛の入り混じった顔でこっちを見つめていた。
「正直俺も怖い。こんなことするの初めてだからさ……」
そりゃそうだ。
日本にいた頃は、絶対にしてはいけないことだったんだから……。
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遡ること2時間余り。
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コンガーイール南端岬の幽霊船調査を一時中断し、デイスのギルド本部に戻ってきた俺は、まず真っ先にミコトを医務室に担ぎ込んだ。
一晩を明かしても、彼女の容態は回復しなかったのである。
それどころか、帰りの飛行クジラの中で「体の中を何かが食い破ってる感じっス」という言葉を最後に、彼女は気を失ってしまった。
ギルド医務員のマーズ先生は、ミコトの容態を見るや、彼女を急いでベッドに寝かせ、見たこともない白いハーブを一枚手に取ると、火にくべ、その煙をミコトに浴びせ始めた。
部屋に少しピリリとしたハーブの香りが広がる。
すると、ミコトの顔色が少し良くなり、意識も徐々に戻ってきたのだ。
「これは……瘴気あたりですね」
先生がミコトの腹に手を置きながら言う。
「瘴気あたり? ちょっと待てよ。アタシらあてられるほどの瘴気なんざ浴びてねぇぞ」
シャウト先輩が怪訝そうな表情で言い返した。
確かに、瘴気でできた眷属型の魔物と戦い、彼らの体から出るそれを僅かに浴びはしたが、その程度で人体に悪影響が出ることはまずあり得ない。
特にミコトはその時テントの中にいたので、俺達よりも浴びた量はずっと少ないはずだ。
「しかし、この症状は間違いなく瘴気に体内を侵食されている方のそれです。浴びる以外にも、瘴気に汚染されたものを食べたとか……。あとは体質……でしょうか?」
体質……体質ねぇ……。
ミコトは一般とはいえ、天使である。
神話に出てくるような戦天使や装翼天使などに比べると大幅に劣るものの、体の頑丈さは俺よりもずっと優れているはずだ。
……ん?
もしかして……?
「例えば、例えばですけど、天使とか神を先祖に持つ人とかだと、瘴気の影響ってデカくなったりするんですか?」
魔王ということは、ミコト達のような聖なる存在の対極のようなもの。
聖属性が眷属型魔物に対して特効であるのと同じように、彼らの属性もまた、聖なるもの達に対して特効なのではないだろうか、と思ったのだ。
「そうですね……。 極稀にいる神や天使の末裔の人なんかは、瘴気の影響強く受けるらしいです。ひょっとしてミコトさんもそうなんですか?」
「だいぶ遠いらしいですけど、一応」
流石に「はい天使そのものです」とは言えまい。
ヤゴメ騒動パート2が始まってしまう。
シャウト先輩は「おお、マジか」と少し驚いていたが、それ以上のことは言わなかった。
よし、無用な騒動は回避したようだ。
しかし、やはりミコトは瘴気に弱いらしい。
あの魔物たちの瘴気か、それともあの海域で食った魚の体内に蓄積された瘴気か……。
ミコトの体内でそれが悪さをしているのである。
治療方法を聞いてみると、マーズ先生は
・瘴気下し下剤を飲み、体内の瘴気を排出させる
・体内の瘴気を浄化する
の二つがあると教えてくれた。
だが、滅多に使用されない特殊な下剤ゆえに発注しないと届かず、瘴気を浄化するホワイトハーブは今使ったものを含めて残り2枚。
それだけで体内を浄化しきるのは不可能とのこと。
結論だけ言えば、下剤が届くまで苦痛に耐えながらここで安静にしてなさいとのことだ。
死ぬほど苦しいだろうが、栄養と水分を取れば死に至るようなレベルではないとも先生は付け加えてくれた。
だが、正直ミコトが苦しみ、唸るさまを見ていると、とてもあと数日耐えろとは言えない。
ていうか、見ている俺が耐えられない。
俺は多分、嫁の出産とかに怖くて立ち会えないタイプである。
己の無力感に苛まれつつ、ミコトの額に浮かんだ汗を拭ってやる。
意識を取り戻したミコトは、
「大丈夫っスよ雄一さん……。私、それまでは我慢出来るっスから。雄一さんはお家に帰って釣れた魚を保冷庫に入れておいてほしいっス……」
等と、気丈に振舞っているが、それが尚更見ていて辛い。
クエストで素材を集め、瘴気下し下剤を作ったりできないものか聞いてみたが、この近辺には、下剤成分を含む素材が無いらしい。
「あ、そういえば……」
ふと、俺は今回のクエストで釣った中に、元の世界のとある魚そっくりな種がいたことを思い出した。
俺は先生からホワイトハーブを買い、ある秘策を伝え、許可をもらった上でミコトを背負い、家に戻った。
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そして今
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俺は台所で「バラムツ」そっくりな魚をさばいている。
バラムツとは、日本近海で漁獲される深海魚の一種だ。
身に濃厚なワックス成分(人体では消化のできない油脂)を含み、二切れ食べれば1~2日はオムツ抜きの生活が送れなくなると言われている。
甘く、とろけるような脂は非常に美味だが、その性質から「禁断の味」として釣り人界隈では有名なのだ。
俺が釣り上げたこの世界のバラムツは、全身が分厚い鱗に覆われていて、鎧を着ているように固い。
グソクバラムツとでも言おうか。
ギラギラになるまで磨いた包丁をその鱗の隙間に割り込ませ、剥がしていく。
ベリ! ベリ! と、およそ魚をさばいているとは思えない異音が響き渡る。
鱗を剥がしきり、今度は頭を落とす。
そして身を三枚におろせば、バラムツのそれと瓜二つの、真っ白い肉が露になった。
指を這わせれば、ヌラヌラとした脂が纏わりついてくる。
バラムツの比ではないワックス脂肪だ。
これは……期待できるな……。
身を大きめに切り分ける。
その身にホワイトハーブ、胡椒、塩、小麦粉をまぶし、フライパンで焼く。
ホワイトハーブを入れることでグソクバラムツに蓄積した瘴気を浄化し、さらに瘴気下し機能もエンチャントしようという寸法だ。
飛んだ脂がカセットコンロの火でパチパチと火花を散らした。
うおお……これはすげぇ脂。
白ワインを回し入れ、香りを付ければ、グソクバラムツのソテーの完成だ。
ホワイトハーブのスパイシーな香りが食欲をそそる一品である。
まあ、食ったら大惨事なんだけど……。
「美味しそうな匂いっス~」
ベッドで丸くなりながら寝ていたミコトが、顔を掛布団の隙間から出し、スンスンと匂いを嗅いでくる。
焼き上がったそれをミコトの枕元まで運び、食べさせてやる。
「ふぁ~……。脂が甘くて美味しいっス~」
布団を背負ったカタツムリスタイルでソテーを頬張るミコト。
心なしか、血色がさっきよりだいぶいい。
ソテーで香り立ったホワイトハーブの効能だろうか?
皿が空になる頃には、彼女の顔からは苦痛の色がかなり薄れていた。
気休め程度だが、グリーンハーブティーで水分を補給させる。
「もう後戻りできないっスね……」
「そうだな……」
これから数時間後、ホワイトハーブによって希釈された瘴気が、グソクバラムツの脂に乗って、溶けだしてくる。
抵抗なく流れ出す脂は、どれほど力を入れようとも、全く止めることができないと聞く。
ミコトからすれば、俺の前でそのような事態になるのはかなり辛いだろう。
だが、これがミコトを一番手っ取り早く回復させてやる手段なのだ。
「雄一さんが私のこと想ってやってくれたのはよく分かってるっス。だから私、多少カッコ悪くても平気っス」
これから色々垂れ流す残酷な運命を受け入れ、笑って見せるミコト。
俺はその笑顔に、ある告白をする勇気をもらった。
「ミコト」
彼女の顔をしっかりと見据える。
「は……はいっス」
彼女は突然真剣な顔で見つめられ、少し顔を赤らめた。
その様子が可愛らしかったので、俺はそっと口づけを交わし、彼女の耳元で囁いた。
「ごめん、ホワイトハーブめっちゃ高くてオムツ買えなかった」
腕の中で、彼女の体が石のように固まったのを感じた。
ごめん……マジでごめん……





