第34話:崩壊
俺達の冒険者生活は運に支えられた薄氷の上にあって、運をもっても支えきれない衝撃が一つあれば、瞬く間に崩れてしまう脆いものだった。
土台を失った生活は、冷え切った水底に沈むのみ……。
それを嫌がおうにも理解させられた数週間であった。
未だ愛ちゃんは見つかっていない。
都中を探しても、周辺の村を探しても、彼女らしき情報はなかった。
そして、激化する魔物との戦いが、シャウト先輩の救出を、愛ちゃんの捜索を、いよいよ困難なものに変えていった。
魔物の数も、勢いも、火を追うごとに激しくなり、大陸の空域は飛竜や怪鳥が飛び交い、飛行クジラによる移動や、ギルドバードによる情報伝達がほぼ断絶された。
各地の情報はもちろんのこと、各地を動き回っているレフィーナ達や、皇立騎士団の動きも全く分からない。
陸路での移動は、危険度こそ高いものの、砦や城が機能しているだけ、まだ何とか機能している状態だ。
魔王の呼び声によって徒党を組み始めた魔物達は、大規模かつ、複数種入り乱れる群れで村や町を襲い、地方の小規模な城砦都市が陥落した知らせすら届いている。
その中にあって、ただでさえアンバランスな構成の俺達コンビは、強力な魔物相手にギリギリの戦いを繰り返し、その間に雇った冒険者諸共、毎回死線を潜り抜け続ける有様であった。
そして最終的に、募集に応えてくれる冒険者は居なくなった。
冷たいなどと憤ってはいけない。
二つ名の肩書を持つ以上、雇った冒険者を導く義務と責任がある。
それらを満足に果たすことなく、アレやれコレ頼むで無茶振りを繰り返すなど、二つ名にあってはならない暴挙である。
レアリスとマーゲイに以前言われた、「考えて動ける技量のメンバーが必要」という言葉が、今になって身につまされる。
特務戦力の誰かに頼りたいところではあったが、今は皆各地に散り、それぞれの任務に従事している。
そこに合流しようにも、俺の二つ名がそれを許さない。
あらゆる技能が半端なまま、大層な肩書を受け取ってしまった者の末路だ。
「デイス……ですか?」
そんな矢先に、ギルドマスターが持ち掛けてきたのが、「デイス防衛戦への支援任務」であった。
「誤解のないよう言っておくと、決して君たちを追いやりたいわけじゃないわ」
ギルドマスターはそう前置きをしたうえで、話を続ける。
「今各地の地方都市で戦力が足りていない状況なのは知っているわよね? 既にいくつかの城砦都市が魔物の攻撃で陥落しているわ。デイスは西方を守る最大の交易都市……バーナクルやカトラス、ランプレイ、インフィート防衛の戦力もここから人員や物資を動かすことになる。人手は全く足りていないわ。例の勇者ちゃん達も街に急遽戻ってきて、防衛戦に当たっているそうよ」
「それで、ちょうど余ってる俺がその支援を……というわけですね……」
「気を悪くしないでちょうだい……。ただ……きっと今のあなたには、それが一番いいわ」
「いえ……俺こそすみません。その任務、引き受けます」
今、この状態の俺がデイスに戻れば、大成することなく、二つ名のリーダーを失い、パーティメンバーも失い、都落ちしたものと人は見るだろう。
あの気のいい皆のこと、俺にそんな素振りは見せないかもしれないが、多くの者はそう捉えるに違いない。
だが、同時に俺は、情けないながらも若干の安堵を覚えていた。
見知った者しかいない。
滅多なことでは生死にかかわる事件も起きない。
そんなゆったりと冒険者生活を送っていた時の記憶が、あの街をやはり故郷のように思わせるのだろう。
上京して大失敗した若者が、元居た田舎に出戻りするような感覚は、こういったものかもしれないな……。
俺は自嘲気味に笑い、「では、すぐに準備を整えて、明日のキャラバン隊列にでも加わりますよ。早い方がいい」と言いながら、ギルドマスターの部屋を出ようとした。
その時だった。
バタバタという足音が扉の外から聞こえたかと思うと、ギルドの伝令係が血相を変えて飛び込んで来た。
伝令係は部屋に入ってくるや否や、ガクンと膝をつき、激しく咳き込んだ。
外で待っていたミコトも、何事かと心配そうにのぞき込んでいる。
ギルドマスターが一杯の水を手渡すと、彼はそれをグッと飲み干し、過呼吸のような浅く激しい呼吸を繰り返しながら、殴り書きの書面を読み上げた。
「大陸西方に向かい、引き返してきたキャラバン部隊より報告!! デイス陥落! はぁ……はぁ……繰り返します……! デイスが魔物の攻撃により陥落! 全街炎に包まれています!!」
「なっ……」
俺はそれ以上言葉が出せなかった。
え……?
デイスが……陥……?
デイスが……?
エドワーズは?
コモモは?
サラナは?
同期連中は?
ホッツ先輩や二つ名の先輩達は……?
レフィーナは?
タイドは?
ラルスは?
ビビは?
ギルドの皆やハーピィ便の皆は?
「そんな!? 嘘っス!! デイスは西方でも一番硬い砦だってシャウト先輩が……あ……あ……」
ミコトがへたり込んだ。
俺は頭の整理がつかぬまま、呆然と立ち尽くしていた。
だが、情報は尚も押し寄せて来た。
伝令は同じく殴り書きのメモをめくり、続けた。
「スカラープのギルド支部より報告!! 新魔王城、大陸南東大砂漠に発現!! 5日前より攻撃に向かった皇立騎士団・新魔王索敵部隊、及び皇立騎士団第二大隊全滅!! 繰り返します! 新魔王城、大陸南東…………」
もはや俺の耳はその言葉を受け付けてくれなかった。
俺の脳裏には、新魔王城索敵部隊、皇立騎士団第二大隊という言葉が延々と流れ続け、記憶とその言葉が合致しないように、意識が理解を拒んでいた。
だが。
俺は確かに覚えていた。
エラマンダリアスとの戦いに駆け付けてくれた、顔なじみの皇立騎士団員達が所属していた大隊の番号を。
そして、あの、指輪と即死避けのタグを預け合っていた、生真面目なあの子が志願した部隊を。
「――――――――――――――――――!!」
俺は声にならない叫びをあげ、そのまま倒れ伏した。
白濁していく意識と視界の中、黒く長身の人影が、こちらをじっと見つめていた。