第32話:清らかなる姫君
「ふむ……天使族を引き連れているとは、やはり長寿種が恋しかったのだろうな。可哀そうに」
「……っ」
かつて大陸のハイエルフ、ダークエルフ種を絶滅に追い込んだという冥王……ダークエルフロード、ルキアス・ヴィアードは先輩から視線を移し、静かにパーティメンバーを一瞥して言った。
先輩は何も言わず、彼を睨む。
「しかして……その猿人は奴隷かペットの類か?」
「アタシの仲間だ……! ふざけた言い草はやめろ……!」
「ふぅむ……。吾輩が眠っている間に、幾分時が流れたようだが……貴様は少々粗末な環境にあったようだ。身なりも口も悪くなり、挙句に猿人に仲間意識を持つようでは、誇り高き我らが種族の再興は遠いであろうな……」
刹那、激しい雷が教会の中を明滅させた。
先輩のサンダースパイクがルキアス目がけて放たれたのだ。
せ……先輩!?
「イカれたこと抜かすんじゃねぇ!! テメェの言う”種族”はここで打ち止めだ!!」
次々に電撃魔法を放つ先輩。
だが、ルキアスは動じる様子もなく、それらすべてを防いで見せた。
いや……防いですらいない。
先輩の電撃はルキアスに達することもなく、消滅している。
ルキアスが一瞥するだけで、ドラゴンにすら有効打を与えるあの強力魔法が打ち消されているのだ。
「ふむ……。筋は悪くないようだが、まだまだであるな」
「だぁあ!?」
突然先輩の体が吹き飛び、後ろの壁に激突した。
何が起きた!?
「先輩大丈夫ですか!?」
愛ちゃんが駆け寄り、先輩を抱き起す。
先輩は激しく血を吐き、身を震わせていた。
俺はミコトと共に先輩の前に陣取り、武器を構える。
ただ、明らかに俺達の手でどうこうできる相手ではない……!
「ふむ……猿人に懐かれているようだな、シャウト」
「……っ!!」
「先輩無理しないでください!」
後ろで先輩の嗚咽と、愛ちゃんの叫び声が聞こえる。
これは間違いなく逃げるべき状況だ。
俺はミコトとアイコンタクトを交わし、テレポートを発動しようとした。
……。
が、体が動かない。
「何かの縁だ。貴様らに昔話をしてやろう」
ルキアスが口を開く。
恐らく何らかの魔法で俺達の動きを封じているのだ。
もはや俺達の生殺与奪の権は完全にルキアスに握られている。
黙って彼の話を聞くしかない。
「かつてこの地には、誇り高きハイエルフの一族と、ダークエルフの一族が湾を隔て、穏やかな営みを持っていた」
「だが、ある時より魔王と呼ばれる邪悪な存在がこの大陸に現れ、我らが地にも侵攻を始めた」
「その折、愚かなる我らが長たちは、猿人と手を組み、魔の者と戦うべきであると言い始めたのだ」
「吾輩は誇り高きダークエルフの王族として、そればかりは避けるべきであると言った、だが、長たちも、民たちも吾輩の言葉に耳を貸す者はいなかった」
「だが、その時、ある幼きハイエルフの姫君が吾輩の元へ現れた」
「孤立した吾輩の言葉に、純情なるその姫君は耳を貸し、吾輩のため、長たちの企みを全て吾輩に打ち明けたのだ」
「そして、魔王ダイバンと契約した吾輩は不浄なる企みを持った全てのハイエルフ、ダークエルフを抹殺し、清らかなる姫君と共に誇り高き種の再興を誓ったのだ」
狂った話をクドクドと垂れ流しながら、ルキアスはゆっくりとこちらへ歩き始めた。
それに合わせるように、背後に感じる先輩の呼吸が激しくなっていくのを感じる。
「我が夢は猿人の勇者なる愚者の手で一度潰えたかに思われたが、幸運にも再生することができたのだ」
「あ……あぁ……!」
「次なる魔王は幼いが、猿人の勇者100匹もの血を使い生まれただけのことはある、潜在する魔力、呪力はダイバンに肩を並べるだろう」
「ぁ……ぁ……!!」
「故に、次は吾輩らに敗北はないだろう。さあ、共に種の再興を執り行おうではないか。我が妃、シャウト・フリーデよ」
「ああああああああ!!!!!!!!」
は?
と思う間もなく、先輩が叫んだ。
同時に電撃が次々に放たれる。
しかし、先ほどと同じようにそれは全て防がれてしまう。
だが、不意に俺の体が動くようになった。
先輩の魔法は相当の大威力だ。
その打消しとなると、他の魔法をキャンセルする必要があるに違いない。
「メガ冷凍ビーム!!」
俺はすかさず渾身のメガ冷凍ビームを放った。
ルキアスの視線がこちらに向く、そして、彼はその身を翻し、俺の光線を避けた。
恐るべきダークエルフロードが初めて見せた“退き”だ。
「どっせぇぇぇぇぇいっス!!!」
テレポートしたミコトが大剣をルキアス目がけて振り下ろす。
同じく、ルキアスは極めて小さな動きだが、その一閃を回避した。
ミコトが二撃目の横切りを叩き込もうと振りかぶり、俺はルキアスの背後に飛び、双剣を叩き込もうとする。
先輩は電撃の連射を続けており、愛ちゃんも魔法矢を構えている。
一瞬、意外と勝てるのではないかという希望が脳裏をよぎった。
が、そこまでだった。
「小賢しい!!!!」
ルキアスが叫ぶ。
彼のマントの下から剣と杖を携えた彼の両手が現れる。
杖の一振りが俺の双剣の刀身を深々と砕き、剣の一振りはミコトの剣撃を龍毒ごと弾き返した。
直後、激しい閃光と共に凄まじい力が全身を圧迫し、俺の意識は一瞬途切れた。
しかしすぐに、激しい痛みで意識が覚醒する。
「ゲホッ……ゲホッ……!!」
俺は激しく咳き込み、嘔吐する。
気がつけば、俺達は外にいた。
というより、恐るべき力で教会が破壊され、今までいた場所が“外”にされたと言うべきだろう。
「我らと同じく神に近き種であり、シャウトが仲間と語る者たち故、穏便に事を済ませようと思ってはいたが、吾輩に剣を振るうとは不埒者めが……。吾輩とシャウトの邪魔だてはさせぬ!!」
中に浮くルキアスが杖をこちらにかざすと、凄まじい重力が俺の全身に降りかかった。
既にテレポートも飛行スキルも、全てが完全に無効化されている。
同時に、大地が波打ち、地中から次々に岩石の巨人や怪鳥が姿を現す。
ご……ゴーレム……ガーゴイル!!
強力な魔物の登場に驚いている間も無く、俺とミコトの体は宙に打ち上げられ、再び激しい重力で地面に叩きつけられる。
「がっ……はっ……!」
「ぐっ……!」
「あ゛がっ!!」
悲鳴と共に、グキグキという嫌な音が全身から聞こえた。
今度は大地が怪しく輝き、激しい光線が俺の全身を焼き、再び空中へ飛ばされる俺達。
全身を刃物でめった刺しにされたかのような痛みが走り、意識が飛びかける。
ガーゴイルたちが放った怪光線が四方から浴びせられ、そして再びの墜落。
今度は無数のゴーレムたちが俺の元に集まってくる。
あ……まずい……死んだかもしれない……。
「雄一さん……に……手は出させないっス……!!!」
俺目がけて振り下ろされたゴーレムの足を、ミコトが受け止めた。
ミコト……!!
「うりゃあああああああああああああっス!!」
ミコトはそのままゴーレムの足を掴み、思い切りぶん回す。
周囲にいたゴーレムたちが将棋倒しに倒れた。
「はああああああああああああああっス!!!」
ミコトがゴーレムを上空のルキアス目がけて投げつけた。
ルキアスはその巨大かつ堅牢な岩肌を剣の一振りをもって両断して見せる。
「さあ……かかってくるっス……! 私は……はぁ……はぁ……そう簡単に倒れないっスよ……!!」
ミコトの気迫に押されたのか、ゴーレムたちは近づいてこない。
だが、それは膠着ではなかった。
ゴーレムとガーゴイル達の目がピカピカと光り、ルキアスが光る球体を杖から放ったかと思うと……。
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「どうか……彼らにはもう手を出さないでください……」
小さな声が聞こえる。
涙声だ。
痛む体を何とか動かし、声のする方を見る。
霞む視界の向こうに、見慣れた金髪姿があった。
ルキアスの前に跪き、許しを請う先輩の姿が……。
「誇り高き最高種族の長となる吾輩に手を挙げた。天使族とはいえど、これは万死に値すると考えているが、貴様はどう思う」
「全くその通りでございます……しかし、私が取り乱してしまったことが彼らの過ちの原因故……私が全ての責を負います……どうか彼らにはこれ以上の裁きを与えないでください……!!」
やめてください先輩……。
「ふむ……ならばこの場で誓え。貴様の全てを吾輩に捧げ、贖罪を遂げると」
「はい……私……シャウト・フリーデは……」
「そのような下賤な衣を身に纏い、猿人の勲章を付けて誓う忠誠があるのか?」
「……失礼致しました」
やめてください先輩……そんなのやめてください……!!
滲む俺の視界で、先輩が一つ一つ、ギルドの勲章を、俺達のパーティアイコンを、そして服を脱ぎ、彼女はそこに短刀を突き刺した。
そして結んでいた髪も解き、一糸まとわぬ姿になった先輩が、ルキアスの前で深々と土下座した。
「数々のご無礼……申し訳ございませんでした。私シャウト・フリーデはルキアス・ヴィアード様にこの身を捧げ、一生の忠誠を誓い、いかなる罰をもお受けいたします」
あ……あぁ……。
先輩……!!
俺は激しい絶望と無力感に打ちひしがれる。
ふと、先輩と俺の間に、キラキラと光る二つの塊が転がっているのが見えた。
俺の涙ではない。
確実に何か、小瓶のようなものがある。
あ……あれは……!!
もはや動かないと思っていた体に力が漲った。
眼前に希望があれば、空腹だろうが、重傷だろうが、人はその身を動かすことが出来るなどと、誰かが言っていた。
ふざけた戯言だと思っていたが、俺の体は動いたのだ。
そう、大地の魔女さんにもらった、あの秘薬である。
何かの拍子に、先輩のポーチからこぼれ出たらしい。
命を削って力を得る。
いかほどの物かは分からないが、最後の希望は残っていた。
俺はその小瓶の元に辿り着き、飲み口をへし折り、口に流し込……。
バチッ……パリン……。
小さな音が鳴った。
ゆっくりと視線を移すと、手に持っていた小瓶は粉々に砕け、もう一つも原型を残さない程に割れていた。
中身は揮発性が高かったのか、瞬く間に風に溶けて消えていった。
唖然とする俺。
「ユウイチ。アタシはお前が命を賭けるべき奴じゃない。今日からお前がリーダーだ」
そんな声が聞こえた。
顔を上げると、既に先輩の姿も、ルキアスの姿も、ゴーレムやガーゴイルの姿もない。
代わりに、遥か遠方、禍々しいオーラを纏った城が見えた。
「あああああああああああああああああああああああああああ!!!」
俺は慟哭した。
激しく、激しく。
そして最後の力を使い切った俺の体は、深いまどろみの中に沈んでいった。