プロローグ 真冬の凶星
「うー寒っ……。トイレトイレ……」
季節は変わってすっかり冬。
そろそろ年を越そうかという日の夜中、俺は寒さに震えながらトイレに向かっていた。
大陸中央は大陸西方に比べてだいぶ寒い。
真冬の気温は優にマイナス十数℃を下回り、運河も城門も凍り付いてしまう。
おかげで冒険者ライフのオフシーズンだというのに、俺は全く釣り欲を満たせずにいる。
まあ、賑やかな酒場で特務戦力仲間と飲んだり、パーティで一日中鍛錬に明け暮れたり、大都市ならではの迷宮じみた地下水路を見回りしたりするのは案外楽しい。
あと、なんか最近になって設立された「練兵所」なる施設で臨時講師を頼まれ、冒険者や帝国正規軍を目指す少年少女を指導したりもしている。
充実しているといえばしているんだが……。
やっぱり釣りが出来ないとなぁ……。
そんなことを考えながら、俺は階段を下り、一階のトイレに向かう。
この家、広くて綺麗なのは素晴らしいが、トイレやら炊事場やら風呂やらの水道設備が1階にしかないのは不便だ。
「パシャッ」
用を足してトイレから出ると、廊下の奥、洗面所のある方から水音が聞こえた。
同時に、「ハァハァ……」という荒い息遣いも聞こえてくる。
……誰だ。
まさかこの二つ名持ち3人とそれに負けず劣らずの怪力天使が潜む屋敷に忍び込む輩はいないだろうが……。
念のため俺は洗面所を覗き込んだ。
直後、「ドッ」という衝撃が胸に走る。
そして香る、仄かな石鹸の香り。
「愛ちゃん……?」
愛ちゃんが、震えながら俺の胸にしがみ付いていた。
彼女の顔が当たっている部分が、無茶苦茶冷たい。
俺は愛ちゃんの頭と背中を撫でながら、ヒクヒクとしゃくりあげる彼女を落ち着かせる。
「どうした? 幽霊でも見たか?」
「……見たんです」
「えぇ!? マジで!?」
「ち……違います! 怖い夢……見たんです……」
愛ちゃんは俺の胸から顔を離し、乱れた呼吸を整える。
「私が……先輩を焼き殺す夢でした……。その前にシャウト先輩やコトワリさんは闇の手に連れ去られて……ミコト先輩も……誰かに言われるがままに私が……。夢の中の私……すごく楽しそうで……でもすごく悲しくて……」
「それで夢現のまま慌てて顔を洗いに来たと……」
「はい……。ごめんなさい、お騒がせして……。起こしちゃいました?」
「いや? 俺はトイレに起きてきただけ。まあ、訳の分からん悪夢に襲われることはたまにあるよ。気にせず寝ると良い」
俺が寝る前に白湯でも飲もうかと湯を沸かし始めると、愛ちゃんはこちらをジッと見つめている。
ど……どうされた?
早く寝ないと明日の鍛錬に響くよ?
「それが……最近ずっと似たような悪夢を見てて……。日に日にそれが鮮明になって来たっていうか……」
「……」
「私が魔女さんに言われた地獄の苦しみって……先輩達を私が手にかけてしまうってことなんじゃ……って思うと……。私……怖くて……怖くて……」
そう言って再び泣きだす愛ちゃん。
最近食欲無いって言ってたけど、まさかそんなことになっていたとは……。
とりあえず……。
「てい!」
「あ痛っ!!」
俺は愛ちゃんの頭に軽いチョップをお見舞いした。
連続性のある奇妙な悪夢には、ハッグという悪霊、もしくは悪戯妖精の類が取りついて引き起こされるものがある。
これらは目視出来ないのが普通とのことだが、俺の真理掌握スキルをもってすれば、その実体にダメージを与えることが可能なのだ。
「これで今夜は大丈夫だ。多分!」
「えぇ……私真面目に言ってるんですけ……ど……。あれ? なんか体が軽くなりましたよ!?」
「おっと、それならやっぱりハッグの仕業だったっぽいな! これにて一件落着か」
「わー! 先輩ありがとうございます! これで今夜は安眠できる気がします! でもなんか怖いんで、シャウト先輩のお布団に潜り込んできます!」
「おやすみなさい先輩! めっちゃ感謝っす!」と言って、トタトタと廊下をかけていく愛ちゃん。
しばらくして「うおぉ!? 何だオイ!」という声が聞こえてきたが、特に雷鳴が聞こえないあたり、先輩は彼女の領土侵犯を許してくれたのだろう。
よかったよかった。
俺は沸騰した白湯をマグカップに入れてすすりながら、ふと窓の外を見た。
澄み渡った夜空には星が無数に輝き、およそ大災厄がこの先に控えているようには思えない。
魔女さんらの預言が外れてくれれば何よりなんだけどなぁ……。
などと思っている俺の視界を、赤い閃光が横切った。
火球とも、流星とも思えるそれは、血のように赤い帯を引きながら南西の空から北西の地平線へ走り、消える。
赤い星っていうと……なんか不吉の前兆とか言われてたような……。
………。
……。
よくないこと……。
起きないといいな……。





