第2話:コンガーイール南端岬の深海五目釣り
二人が「夜に備えて」とテントで昼寝に興じているので、俺は見張りがてら釣りで時間を潰すことにした。
俺も夜に備えて寝てろと言われたのだが、目の前に大海原を見て寝ていられる釣り人は居ない。
コンガーイール大山脈の南端の岬は、陸地から数十キロ突き出しているだけあって、足元から水深200mを超える。
その証拠に、300m巻きのリールが糸の2/3を吐き出して尚、糸の排出が止まらない。
ようやく「ガリガリ」という感触が伝わり、仕掛けが250m先で着底したのが分かった。
海流も早いのか、一旦仕掛けを巻き上げてみると遥か遠くから斜めになって浮かび上がってくる。
日本にも堤防の直下から50m以上の水深がある場所もあったが、100mを超えるようなところはそうそうない。
ノルウェーのフィヨルドなんかにはこんな地形が結構あるらしいが。
さて、ここでは何が釣れるのだろうか。
海域で考えれば、南方系の魚が釣れるのだろうが、山脈から流れ込んでいるであろう冷たい水の影響がどの程度か分からない。
というか、この世界の深海の魚が分からない……。
思えば、魚市場でも深海の魚を見たことがなかった。
そうか……!
この世界はまだ漁具が発展していないから深海は未知の領域なのか。
「いいじゃないか……!」
思わず笑いが漏れる。
俺の足元にはスレていない無垢な魚たちが無数に潜んでいるのだ。
そんな場所で釣りができるなんて釣り人冥利に尽きるというもの。
「釣具召喚!!」
俺はGT用のキャスティングロッドを召喚し、キンメ五目仕掛けを改造した3本針の胴突き仕掛けに100号の高比重錘を装着、イカタンを餌に足元に投げ込んだ。
高速で沈下するよう設計された深海用の錘は、凄まじい速度で沈んでいく。
ものの1分程度で200m下の底面を捉えた。
かなりの深さがあるため、仕掛けの感度は格段に落ちる。
海底に仕掛けがついているのは分かるが、それが砂地なのか、岩場なのかはよく分からない。
とりあえず仕掛けを上下にしゃくり、誘いを入れる。
するとすぐに「ゴゴン!!」という重い衝撃が竿から伝わってきた。
「よっしゃ! ヒット!」
GT用ロッドが小さくしなる。
かかった魚はそれほど大くなさそうだが、ゴン! ゴン! ゴン!という首振りの感触が伝わってくる。
大した引きではなくとも、200mとなると巻き上げも一苦労だ。
このひと月、体を鍛えていなければ既に音を上げていただろう。
20分程度のファイトの後、海面に真っ赤な魚体が上がってきた。
「よいしょ!」と抜き上げると、大体50cmほどのスズキ系の魚であった。
日本では伊豆諸島や沖縄で漁獲される「ハマダイ」によく似ている。
なんか案外無難なやつが釣れたな……。
異世界の深海ということで、もっと妙な魚が釣れると思ったのだが……。
まあ、美味しそうな魚だし良いか!
今日の夕食はこいつの塩焼きにしよう!
と、ガッカリ半分、喜び半分で、魚をクーラーボックスにしまい、再び仕掛けを投入した。
それからはもう釣れるわ、釣れるわ。
先ほど釣れた赤い魚を皮切りに、キンメダイっぽい魚、タラっぽい魚、タチウオっぽいの、ババガレイっぽいの、バラムツっぽいの……。
暖流と冷たい雪解け水両方の影響を受けるためか、この海域には北方系、南方系の深海魚が入り乱れて生息しているらしい。
しかしまあ……。斑点や独特な模様、殺人的な鋭さ、大きさの牙等をのぞけば至って無難なラインナップである。
よくよく考えれば、元の世界でも変わった魚が釣りの仕掛けにかかることは稀だ。
ニュースを賑わせる奇怪な魚たちが漁獲されるのは、殆どが深海の底引き網漁である。
釣りで奇妙な魚を捕らえるのは結構難しいのかもしれない……。
クーラーボックスもいっぱいになってきたし、そろそろ竿じまいかなぁと仕掛けを煽っていると、これまでとは明らかに異なるアタリが穂先を通じて伝わってきた。
「ガン!」とか「ゴゴン!」とかではない。
「フッ……ニュ~」っとした感触である。
言葉にすると分かり辛いかもしれないが、一瞬仕掛けが軽くなり、その直後にゆっくりと引っ張られるような感じである。
「お? おお?」
未知のアタリに戸惑いながらも、鋭いアワセを入れてみる。
すると一瞬激しく竿が曲がり「グー!」という、底へ底へ向かおうとする感じの引きが来た。
しかし、GTロッドのバットパワーには勝てなかったのか、あっさりと抵抗が弱まり、リールを巻くのに合わせて浮かび上がってくる。
引き味は弱いが、とにかく重い!
虚弱な魚だが、サイズはなかなかのものだろう。
何だ?
逃がさないように、ゆっくりと巻き上げていると、見えた!
青黒い波間に、青白い魚影が……
「え!? 小っさ!?」
水面に姿を現したのは、青白く光る20センチほどのイワシっぽい魚だった。
特に暴れるでもなく、水面を漂っている。
しかし……無茶苦茶重い!?
何だこいつ!?
巻き上げ式のギャフを撃ち込むも、俺一人の力ではビクともしない程に重い。
もしかすると異様な重さが特徴の、未知の魚なのかもしれない。
地味な特徴ではあるが、やっと異世界感のあるものが釣れて、俺は少しばかりワクワクしていた。
「ミコトー! シャウト先輩! ちょっと助けて下さいー!」
この魚だけは逃したくないので、テント目がけて大声で助けを呼ぶ。
幸運にも「どうしたんスか!?」「敵か!!」と叫びながら、二人はあっさりと出てきてくれた。
「いや、ちょっと珍しい魚が……」
「ハァ!? てめえ寝ろって言ってんだろ!! クエスト何だと思ってんだ!」
「まあまあ先輩……雄一さんきっと夕食の食材調達してくれてたんスよ」
真っ当な理由で怒る先輩を、ミコトが宥めてくれた。
「……ったく。これひっぱりゃ良いのか?」
だいぶ釈然としないようだが、先輩は手伝ってくれるようだ。
ありがたい……。
多分俺一人だったら往復ビンタかゲンコツ食らってた……。
「せーのでお願いします」
「分かったっス!」
「任せな」
3人でギャフの繋がるロープを掴み「せーの!」で引き上げにかかる。
「重ぇ!?」とシャウト先輩までもが驚愕の声を上げるほどの重量感。
それでも何とかゆっくり、ゆっくりと魚体が持ち上がってくる。
青白い魚が磯に横たわったが、まだ凄まじい重みを感じる。
よく見ると何やら黒い茎のようなものがその腹から伸びている。
不審に思い、その茎が伸びる先、磯の下を見ると、真っ黒な深淵が口を開けていた。
「うわぁ!?」
思わず磯にへたり込んだ。
「お……い……。このバカ野郎!! 手ぇ放すんじゃねぇ!!」
はっと振り返ると、シャウト先輩が鬼のような形相でロープを掴んでいた。
慌ててロープを掴みなおし、もう一引きする。
磯に転がったのは、2mはあろうかという漆黒の塊だった。
青白く光る魚は、この物体の一部から伸びる茎に生えたものだったのである。
「なんじゃこりゃあ!?」
シャウト先輩が黒い物体をゲシゲシと蹴る。
すると、黒い物体の一部が裂け始めたかと思うと、シャウト先輩の足に食らいついた!
「うおっ!? 痛てぇ!! 痛ててててて!! この野郎! サンダーショット!」
放たれた電撃魔法が黒い物体を直撃した。
それはビクビクと痙攣した後、やがてピクリとも動かなくなった。
同時に、青白く光っていた魚もその光を失い、真っ黒な塊になり果てた。
「ハァ……ハァ……痛ててて……!」
「大丈夫っスか!」
シャウト先輩が足を挟む口を無理やりこじ開け、足を抜く。
その足には痛々しい噛み跡が残されていた。
ミコトが大慌てでウォーターショットを放ち、汚れとぬめりを落とし、消毒用ポーションをぶっかける。
「く……はぁ……はぁ……」
しみるのか、シャウト先輩の顔が苦痛に歪む。
この人苦しんでる顔も美人だな……。
いかん、性癖が出た……。
「何釣ってんだよお前ぇはよお!!」
怒号と共に放たれた先輩の電撃ビンタが顔面に直撃する。
俺のクエスト初日の記憶はそこで途絶えている。