第6話:はじめての指名依頼 死滅回遊と冒険ロマン
「おお! 見事だ! さすがは釣神どの! こんなデカい奴を仕留めてしまうとは!」
翌朝、様子を見に来た港湾ギルドの理事長は、目を丸くして叫んだ。
流石に一晩でこの怪物を退治するとは思わなかったのだろう。
まあ、運が良かっただけですがね。
「そんなこと言って謙遜しちゃってにゃ~。ユウイチはもうちょっと鼻にかける癖を覚えてもいいにゃ」
茶々を入れてくるマーゲイをグイと押しやり、俺は釣りあげた魚に関する報告を行う。
獰猛な大型魚食魚で、体内の冷気生成機関から冷気を噴出させて、氷の口吻を作り出し、それを射出して攻撃する能力を備えていること。
その口吻が、辺りに浮かぶ槍状の氷柱ということ。
自分の知るよく似た魚の習性に照らし合わせれば、おそらく群れではなく、単独で回遊する種であり、ここのところの被害はこの一匹によってもたらされたものであろう、ということ。
そして、体内に冷気が蓄えられており、迂闊に触れると凍傷になる恐れがあるので、食べるなら最低でも一晩は置いた方がいいということ。
「しかしこんな魚……見たことがないぞ。いったいどこから現れたんだ?」
ミコトが焼いてくれたゴールデンマーリンのステーキを頬張り、俺が炊いたゴールデンマーリンのブイヤベースを啜りながら、理事長が首をかしげる。
船乗りや市場の仲買いたちに聞いてみるも、皆、一様に舌鼓をうちながら首を横に振るばかりだ。
しかしこの魚。
旨いこと旨いこと!
脂は乗っているがしつこくない。
メカジキのような感じだ。
そして何より、自分で鮮度を維持してくれるのが素晴らしい。
刺身にしてみたが、ルイベのようでこれがなかなか味わい深い。
漬けとかにしたら一層旨いだろうな……。
ユニークなのが、血が青いことだ。
これはエビやタコなどにみられ、我々赤い血を持つ生物の血液に含まれる「ヘモグロビン」の代わりに、「ヘモシアニン」という物質を用いて体内の酸素を運搬している生物の特徴だ。
この物質は、ヘモグロビンに比べて低温に強く、ごく一部の極地の生物がそれを血中に多く含むという。
この魚が自身を凍り付かせて尚、生き生きと動き回ることができるのは、この血のおかげに違いない。
「こいつは……」
ふと、船乗りたちの中から歩み出たノームの老船頭が、古い手記を片手に、まじまじと魚体を見つめ始めた。
「ボルツ爺さん何か心当たりあんのかい?」と、理事長が問いかけると、彼は手記の一ページを指さした。
「コイツに似ているな。北方暗黒大陸の北回り航路のときのものだ」
そう言って差し出された手記のページには、ヤマアラシのような姿の魚が書き記されていた。
ぱっと見では似ても似つかないが、確かに凍った口吻の形状や、背びれ、そして10m前後というサイズも、釣りあげたコイツに当てはまる。
確かにこれっぽい!
多分、極寒の海ではもっと多くの氷を纏えるのだろう。
同ページには、「全身の凍った棘を放って攻撃してきた。高速すぎて船首の銛命中せず、ファイアボールで撃退」と記載されていた。
「ちょっと待てよ!?」
突然、若い船乗りが声を上げた。
「北方暗黒大陸の北回り航路って……伝説じゃなかったのか!?」
どよめきが走った。
え、何々?
何なんです?
「北方暗黒大陸に至る航路には、この大陸からほぼ直線で、南側の海岸へ接岸する南側航路が一般的なんだが、暗黒大陸の東側を流れる大海流に乗って北側へ抜けて、その砂丘地帯に上陸する“北回り航路”ってのがその昔あったんだ。今じゃ伝説扱いだがな」
チンプンカンプンな俺に、理事長が説明してくれる。
「険しい断崖を越えなくていいから、上陸してからは北回りのが楽なんだがな、なにせ海は荒れるわ、クラーケンやサーペントが多いわで、上陸前に全滅するリスクも高かった。南側の海岸に砦や石の大橋、トンネルなんかが設営されてからは、そっちの航路は廃止されちまったんだ。確か500年くらい前にな」
500年!
帝国が大陸全土を支配するよりずっと前だ!
その頃から人は暗黒大陸を目指してたのか……。
「まさか500年ぶりに真の姿を拝むことになるとはのう……。ふぉふぉふぉ」
ボルツ爺さんはそう言いながら、上機嫌でステーキを頬張ってる。
この人いくつなんだ……?
「ノームの寿命は1000年とも1500年とも言われてるわ。記憶力もすごくて、まさにこの世の生き字引ね」
と、レアリスが言った。
結構な長寿種なんだなノーム……。
「すげーぜボルツ爺さん! そんなすげぇ船乗りだったなんて何で教えてくれなかったんだよ!」
港の若い衆が色めきだった。
そりゃ、ロマンや伝説に夢を見がちな年ごろだ。
生きる伝説に遭遇したとあれば、興奮もする。
北の海からやってきた魚は、出征港に古のロマンを届けてくれたようだ。
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ボルツ爺さんの昔話に熱狂する港湾ギルドの集会所から少し離れた場所で、ミコトが海を見つめていた。
「どうしたミコト?」
「いや、考え事してたっス」
「何の?」
「あの魚、凍っていた部分は新鮮だったっスけど、凍りきってなかったところはもの凄い身焼けしてたんスよ。多分、極北の海の超低温化じゃないと、常時火傷するくらいの低温特化の魚なんス。あの子は所謂死滅回遊ってやつっスねぇ」
死滅回遊。
それは、特定の種の魚が海流に乗り、本来の生息域とは異なる水温の海域へ回遊していくことである。
日本では千葉県沿岸のメッキアジや、和歌山沿岸のウミテングなどが有名だ。
暖海の魚が北上していった結果は、当然、死滅。
あまりにも悲しい旅路とされている。
「なんか……考えさせられちゃうっスよねぇ……」
ミコトが見つめる先は、熱を帯びる船乗りたち。
ああ、彼らの送り出す冒険者たちの旅路と、死滅回遊魚を重ね合わせたのか。
「まあ、俺もそれは思ったけどさ。死滅回遊でも越冬に成功する個体が出ることもある。今は送り出す傍から全滅していても、技術の進歩や、環境変化が、暗黒大陸移民団を生き永らえさせてくれるかもしれない。それに多分、死の危険や恐ろしい体験では、未知へ挑む人の意思は止められないんじゃねかな」
俺は待機していた冒険移民団を巻き込み、お祭りムードになっていく集会所と、骨だけになっていくゴールデンマーリンの姿を眺めていた。
死滅回遊は、無数の犠牲を払いながらも、やがては生息域を広げる極めてたくましい命の営みである。
釣り雑誌で読んだ、そんな学説の一文が、脳裏をかすめた。